第148話 謎の男、ミスター・エックス
バロウズの基地と思しき建物……その内部に、中世ヨーロッパの城の如き玉座の間があった。騎士の鉄仮面を被り、ローブを羽織った男がリラックスしたように片肘をつきながら大股開きで玉座に腰掛けている。無論その男は言うまでもなくバロウズ総統バエルだ。
そして彼の前に側近と思しき一人の男が跪いていた。
その者は背丈4m、鎧武者の甲冑を身にまとい、鞘に収まった一振りの大太刀を背負っている。顔には見るからに特徴的な般若の面を被っている。
ザルヴァがメタルノイドの忍者なら、彼は侍と呼べる風貌だった。
「エッジマスター・ガイルよ……貴様は平行世界の存在を信じるか?」
バエルが目の前にいる侍風の男に問いかける。声はククッと楽しそうに笑っていて、仮面越しでもニヤニヤしている雰囲気が伝わる。
『平行世界……ですか。私には存じませぬな』
上機嫌な主君とは対照的に、ガイルと呼ばれた男はそっけなく答える。唐突に放たれた珍妙な問いに、真意を測りかねていた。
『しかし主よ……貴方の事です。そう仰せられたからには、何らかの心当たりを得たのでしょう?』
だが決して日の浅い付き合いではなく、主君がおかしな質問をしたのは、何かしらの根拠があったのだろうと推測する。
配下の言葉に満足したのか、バエルはまたも上機嫌気味に笑う。
「フフフッ……その通りだ、ガイルよ。私は最近『それ』が存在すると確証を得た。何故ならば、ヤツが……ミスター・エックスがその存在に気付いたからだ」
平行世界の存在を知ったという根拠について語る。
「ミスター・エックス……ヤツは赤城さやかにとって、最強の敵になり得るだろう……フフフッ……ハハハッ……ハァーーーーッハッハッハァッ!!」
男は言い終えると玉座から立ち上がり、天を仰ぐように両腕を広げて高笑いした。
(一体何が起ころうというのだ……?)
ガイルは主君の楽しげな姿を眺めながら、心の中で訝った。
◇ ◇ ◇
舗装されていない荒れた砂利道を、一台のキャンピングカーが乱暴に突っ切る。本州に残る最後のメタルノイドがいる地を目指して一行は突き進む。
「ミスター・エックスって、どんなヤツかしら」
ガタガタ揺れる座席シートに座ったさやかが、袋に入った乾パンをバリバリと音を立てて食べながら呟く。フリードマンが死の間際に口にした名前がどうしても気になり、喉の奥に引っかかるものがあった。
フリードマンはその者を影のリーダーと呼んだ。彼より更に上の地位にいるらしき男……本州の全メタルノイドの頂点に立つであろう人物に、ただならぬ何かを感じたのだ。
「ミスター・エックスの事なら知っているぞ。私が知る範囲について、全て話そう」
仲間の疑問にミサキが答える。
「私や博士は、大半のメタルノイドの能力を知らない……ヤツらも日々進化したり、新たな力を習得したり、あえて自分の能力を仲間に隠したりしているからな。だがミスター・エックスだけは違う。彼の能力は、組織に属している身なら誰一人として知らぬ者がいないほど有名だった」
その者の能力が、彼女のような末端にまで知れ渡っている事を明かす。
「ミスター・エックスの能力は『変身』……ヤツが今戦っている敵が最も恐れる相手に、文字通りに変身するんだ。その人物の記憶と能力を完全にコピーした姿に、ブラック・ナノマシンによって変身する。より正確なニュアンスで表現するなら、『憑依』と言い換えても良い。変身している間は、人格まで完全に変身した姿になりきっているのだからな……」
少女が口にした男の能力は、まるで魔法か何かのようであり、俄かに信じ難いほど奇怪なものだった。無論彼女はでたらめを言った訳ではない。運転席にいたゼル博士も、ハンドルを握ったまま同意するようにウンウンと頷いている。
どれだけおかしな内容であっても、彼女は紛れもなく、ありのまま真実を述べていたのだ。
「変身ですか……確かに厄介ですね。どんな相手にも変身するというなら、バエルに変身する事も十分にあり得るという訳ですよね……」
明かされた敵の能力にアミカが懸念を抱く。最強の相手と戦う事になるかもしれない状況に不安にならずにはいられない。
「……」
他の仲間たちも少女と思いを同じくし、表情が暗くなる。深刻そうに顔をうつむかせたまま、誰一人として言葉を発しようとしない。車内の空気が、まるで二酸化炭素が充満したように淀んで重くなる。息を吸い込んだら、むせ返ってしまいそうな程だ。
決して楽に勝ち進んできた訳ではない。今までも散々苦戦し、何度か死にかけた事もあった。だがこれから戦う事になる相手は未だかつてない強敵という予感がして、緊張せずにはいられない。
激しい戦いによって傷付いた体の痛みを想像し、『死』の文字が頭をよぎり、手足の震えが止まらなくなる。
「へっ……へへへ、へーきよっ! へっちゃらっ! どどどどんな相手が来た来た来たって、おそるももですきゃっ!」
さやかが慌てて立ち上がりながら早口でまくし立てる。自分の中に湧き上がった恐怖を必死に吹き飛ばそうとしたものの、声が震えており、所々で噛んでしまう。口からは大量の唾が飛び、ミサキの顔に数滴ほど掛かる。
ミサキは顔に掛かった唾を冷静にハンカチで拭きながら、またも心の中で「おちつけ」とツッコんだ。
「それに……どんな敵が現れたって、私たちは前に進むしか無いのよ」
さやかは半ば諦めたように言うと、座席シートに腰を下ろして黙り込む。進む道の先にどんな困難が待ち受けようと、乗り越えなければならないという悲壮な覚悟が浮かぶ。
辛い決意に満ちた少女に、仲間は掛ける言葉が見つからない。
車内が重い空気に包まれたまま、一行はただ目的に向かう事しか出来なかった。
◇ ◇ ◇
フェニキスに教えられた地図の場所へと辿り着き、車が停まる。
さやか達は奇襲に備えるべく装甲少女に変身してから車を降りて、博士も後に続く。
最後の敵が待ち受ける地……それは廃墟と化した集落だった。フリードマンに滅ぼされた村と同様、建物は破壊されたまま野ざらしにされ、ボロボロに朽ちている。人の気配は全く無く、時折吹き抜ける風が、道端に生えた雑草をカサカサと揺らす音だけが空しく鳴る。
ただ村人は全員逃げ延びたのか、それとも片付けられたのか、死体は一つも転がっていない。凄惨な現場を見ずに済んだ事は、少女たちにとっては唯一の救いと言えただろうか。
一行は静寂に包まれた村の中央にある広場へと足を進める。
「ミスター・エックスっ! いるんでしょ! 出てきなさいっ! 私たちが相手になってやるわっ!」
さやかは広場に着くや否や、姿を現すよう敵に向かって呼びかけた。彼女の声は村全体に響き渡るほど大きく、何処かに敵がいるなら、間違いなく聞こえている声量だった。
だがそうして呼びかけても音沙汰が無く、場がシーーンと静まり返る。目的の相手には聞こえていないのか、それとも無視されたのか、既にここを離れてしまったのか……。
まるで少女の元気を空回りしたと嘲笑うように、叫ぶ前と変わらぬ沈黙が続く。
「……」
さやかは苦虫を噛み潰した表情のまま押し黙る。極力冷静さを保とうと心がけたものの、内心穏やかではない。無視されたかもしれない苛立ちと、敵はいないのではないかという焦りが湧き上がり、胸がモヤモヤしだす。今すぐモヤモヤを発散させるために大声で叫んで暴れたい衝動にすら駆られた。
沈黙の空気に耐えられず、少女の不満が爆発しかけた時……。
『せっかちな女じゃ……そう大きな声で叫ばずとも、ちゃんと聞こえとるわい』
文句を言いながら、広場の彼方から小さな人影が歩いてくる。
その者は身長160cm前後、普通の人間と変わらぬ背丈であり、ローブを羽織った怪しげな魔術師か占い師のような格好をしている。ミスター・エックスという名のメタルノイドであろうと思われるその人物は、しかし見た目は完全にただの人間の変質者だった。フードから僅かに覗かせた素顔も、人間の男性のものだ。
しゃがれた老人の声をして、みすぼらしく背中を丸めてトボトボと歩く姿は、フリードマンを裏で操る黒幕とはとても思えなかった。
「……」
全く貫禄を感じさせない姿に、さやかは一瞬相手を舐めた態度を取りかけたものの、そんな自分に慌てて喝を入れる。これまでに得た情報から、目の前にいる相手が本州最強のメタルノイドである事は疑いようが無く、一見弱そうに見える姿すらも、敵を油断させるためなのだと冷静に思い直した。
「アンタが……本州のメタルノイドを統括する影のリーダー、ミスター・エックス!!」
少女は目的の人物である事を念入りに確かめようと、名前で呼びかける。
『そうじゃ……改めてこちらから名乗らせて頂こう。ワシはNo.025 コードネーム:ミスター・エックス……バエル総統閣下から本州の統治を任された、バロウズの大幹部じゃよ。ワシの部下を全て倒し、ここまで勝ち進んできた事、褒めてやろう……実に大した連中じゃ、カッカッカッ』
男は自らの素性を明かし、一行の健闘ぶりを素直に称賛した。あえて敵の強さを褒め称える辺りからは、追い詰められた焦りは全く感じられない。完全に余裕ありげに笑っている。
『ワシを倒せば、この地から貴様らの敵は一掃される……最も、そうはならんがのう。我が能力は既に知っているのだろう? ならば見せてやろうッ! ボドギギベルヘム……』
そう言うや否や、バンザイするように両腕を大きく広げて、怪しげな呪文を唱え出す。それが変身の為の術である事は明白だった。
「やらせるモンですかっ! 変身する前にブチのめしてやるっ!」
変身を阻止しようと敵に向かって飛び出したさやかだったが、時既に遅く、エックスの全身から七色に輝く光が放たれる。
「うわっ!」
その光のあまりの眩しさに、さやかが反射的に目を閉じる。他の仲間も同様に目を瞑ったり、顔面を手で覆ったりして光を見ないようにした。
男の体から放たれた光量は絶大であり、もし直視すれば眼球が熱で焼き切れて失明するのではないかと思えるほどだった。
一行は光を見ないようにするので精一杯であり、男に近付く事が出来ない。
そうして立ち往生したまま数分が経過した後、次第に光が弱まっていく。
やがて光が完全に消えてなくなり、視界が開けた時、先ほど男がいた場所に一人の少女が立っていた。
「う……そ……」
エックスが変身した姿であろうと思われる少女を見て、さやかの目が点になる。他の者も驚くあまり、ポカンと口を開けた。
……そこにいたのは紛れもなく、高校の制服を着た赤城さやか本人だった。
装甲少女に変身した本物のさやかの前に、変身していない偽のさやかが立っている状態だ。
さやかに瓜二つの少女は、さやかを見つめたままニコニコしている。からかうようにクスクスと声に出して笑ったり、両手を後ろに回して前屈みになり、相手の顔を覗き込むように下から見上げたりする。人格まで変身した姿になりきっているためか、仕草は完全に少女のものだ。
「さやかに変身しただとぉ!? こ、これは一体どういう事だッ!」
ミサキが思わず大きな声で叫ぶ。『二人のさやか』がいるという異様な光景に動揺を隠し切れず、パニックに陥りかけた。他の仲間たちも深く困惑して、場が俄かにざわつく。まるでこの世の終わりが訪れたかのように騒然となる。
だが一番ショックを受けたのは、当のさやか本人だった。何しろ目の前に『自分』が現れたのだから……似ているだとか、姉妹だとか、そんなレベルではない完全な自分そのものが。その事実が到底受け入れられず、頭がモヤモヤして、冷静に思考を練る事が出来なかった。
「私は赤城サヤカ……こことは異なる平行世界の赤城さやか本人よ」
少女に変身したミスター・エックスが自ら名乗る。
……いや、人格まで変身した人物になりきるという事は、今の彼……彼女はベースとなった人物である『サヤカ』その人なのだろう。
「平行世界の……私……」
少女に言われた言葉を、さやかは虚ろな目になりながら、同じように繰り返す。自分そっくりの人間が現れただけでも驚きなのに、更にその上平行世界の存在まで告げられて、まるで訳が分からなかった。
頭は完全に真っ白になり、耳に入った言葉は素通りし、金魚のように口をパクパクさせる事しか出来ない。悪い夢でも見ているような心地にすらなった。
そんな相手の態度を気にも止めず、少女は言葉を続ける。
「今の私はバロウズの戦士……別に洗脳されてなんかいないわ。私は人間の愚かさを知り、身勝手さに絶望し……自らの意思で闇に堕ちて、バエルに忠誠を誓ったのよ。志を同じくする彼と共に、世界を支配するために……」
更に驚くべき事を口にする。彼女は人間に愛想を尽かし、正義のヒーローである事をやめて、バエルの手下になったと言うのだ。いくら平行世界だとしても、とても本物の赤城さやかが口にする言葉とは思えなかった。
「こっちの世界の私……その仲間たち。貴方たちは全員、私の敵ッ! たとえ世界が違おうとも、バエルに逆らい、私の邪魔をするヤツは……全員殺すッ! 行くわよ! 覚醒ッ!! アームド・ギア、ウェイクアップ!!」
さやか達を明確に敵視した言葉を吐くと、すぐさま変身の構えに入る。直後少女の全身が眩い光に包まれて、戦士の姿へと変わる。
少女が変身した姿……それはさやかの戦闘形態であるエア・グレイブとよく似ていた。ただ装甲の色は純黒に染まっていて、見るからにダークな印象を与える。装甲の淵には赤い線が走っていて、かつてエア・グレイブだった名残を僅かに残す。
それは正に赤城さやかが闇堕ちしたと呼ぶに相応しい姿だった。
「装甲少女……その黒き闇の戦士、ゼノ・グレイブッ!!」
サヤカは変身を終えると、悪の手先になった事を誇るように名乗りを上げる。そこに正義を捨てた迷いは一片も感じられない。
「さあ行くわよ、こっちの世界の私……真の絶望を見せてあげるッ! 愛も正義も友情も、全てまやかし……力こそ唯一にして絶対の真理ッ! バエルに逆らった事を後悔して死ぬがいいッ!!」
そしてさやか達に対し、ヒーローの信念を否定しながら宣戦布告を行う。
(何という事だッ! たとえ平行世界だとしても、本物のさやか君が闇堕ちしたのだとしたら、偉い事だッ! だが……だが果たして、本当にそうなのか!? 本当に彼女は……サヤカは、平行世界の赤城さやかなのか!? とても信じられんッ!)
……ゼル博士には、彼女の言葉が真実だとは思えなかった。




