第121話 夢の世界からの脱出(前編)
付近の村人から『妖精の森』と恐れられた場所に足を踏み入れたさやか達であったが、突如白い霧に包まれる。それは視界を覆い隠すのみならず催眠ガスの効果があり、少女たちは抗えず眠りに落ちてしまう。
『この妖精の森で、楽しい夢を見ながら永遠の眠りに就くがいいッ!! ハァーーーーッハッハッハァッ!!』
眠る少女の姿を眺めながら、ファントム・ザーヴェラーと名乗るメタルノイドが勝ち誇ったように笑う。
◇ ◇ ◇
「……やかっ! 起きなさい、さやかっ!」
何者かが名前を呼びながら、激しく体を揺り動かす。
「ふぇ? ここ、ようせいのもりじゃ……」
体を揺さぶられた衝撃で、少女が目を覚ます。
眠たそうに瞼を擦ると、次第に頭が冴えて、ぼやけた視界がはっきりしてくる。
「……あれぇぇええええっっ!?」
脳が完全に覚醒した瞬間目に映った光景に、さやかが声に出して仰天する。
……そこはメタルノイドに破壊されたはずの実家で、彼女は暖かいベッドの上でパジャマを着て目覚めていた。しかもそれだけではなく、少女の体は四歳当時の背丈に縮んでいたのだ。
「あれぇっ!? そんあっ! どうしてっ! わたし、ようせいのもりにいったんじゃ……」
少女は何が起こったのかまるで訳が分からず、パニックに陥って慌てふためく。舌足らずな発音のまま喚き散らしながら、パジャマの袖をぶんぶん振り回した。
「さやかったら、朝からおかしな事ばっかり……きっと変な夢でも見たのね」
誰かが彼女を見下ろしながらクスクスと笑う。
「おか……ママ……」
その人物を目にして、さやかの表情が固まる。それは他の誰でもない、メタルノイドに踏み潰されて死んだはずの彼女の母親その人だったからだ。ゾンビのような生きた屍にもなっておらず、幼き日の記憶に焼き付いた元気な姿そのものだ。
今彼女の前に広がる光景は、十五歳の少女が仲間と共に『妖精の森』に向かった時のものではない。紛れもなくメタルノイドに襲撃される前の平和な日常の風景だった。
「……」
さやかは状況が全く飲み込めずに押し黙る。ありえない事が立て続けに起こった驚きのあまり、夢を見ているんじゃないかと疑いだした。
少女がパンクしそうな脳を抑えるように両手で頭を抱えながら、ウンウン声に出して唸っていると……。
「さやか、朝から何を唸っているんだ。パパが昨日冷凍庫に入れてあったアイス食べちゃった事をまだ怒ってるのか?」
そう言いながら彼女の父親が姿を現す。仕事が休みなのか、部屋着のまま新聞を片手に持ってスリッパを履いている。
「パパ……」
元気な父の姿を目にして、さやかがまたも硬直する。母親が生きている以上父親がこの場にいる事は容易に想像が付いたが、それでも実際に目の当たりにすると、胸が激しくざわついた。
「パパーーーーッ! ママーーーーッ!」
少女が大声で叫びながらベッドから飛び起きる。四歳の幼い体のまま母親のエプロンにボフッと体当たりしてめり込むと、顔をうずめたまま嬉しそうにわんわん泣き出した。
「まぁ、さやかったら……いつまでも甘えん坊なんだから」
母親はそう言ってフフッと笑いながら、娘の頭を優しく撫でる。
父親もそんな二人に寄り添って、娘を母親もろとも強く抱き締める。
「うわぁぁああああーーーーーーんっ!」
親の愛に包まれて満たされた気持ちになりながら、さやかはいつまでも大声で泣き続けた。
明らかに敵の仕業だと疑う状況でありながら、彼女にはそれが出来ない。四歳の体になった事で精神まで幼児退行を起こしたのか、かつて装甲少女だった記憶すらも忘れて、すっかり思い出の記憶に浸っていた。
◇ ◇ ◇
「イルマっ! 何故ここに!?」
一方その頃、制服姿のミサキは見慣れない森の中で一人の少年と話していた。
年齢は十歳くらいで、埃まみれでボロボロの衣服を身にまとったその少年こそ、かつて彼女の命を救い、実の姉弟のように親しい仲だったイルマという名の男の子だった。
「お姉ちゃんっ! 僕、生き返ったよっ! ゼル博士って人が遂にバロウズから人を生き返らせる技術を盗み出して、それで生き返ったんだよっ!」
イルマはそう口にしながら満面の笑みを浮かべる。かつてミサキもろとも高性能爆弾で焼き殺されて命を落とした彼であったが、今こうして科学の力によって新たな生を得たというのだ。
「くっ……そんなはずは無いッ! これは敵が見せた幻覚なんだッ! そうに決まっているッ!!」
ミサキは少年の言葉を信じようとはせず、敵の仕業だと断定する。
むろん少年の言葉がもし真実なら大変喜ばしく、そうであって欲しいと願う気持ちはあったが、とても合点が行かなかった。
あまりにも荒唐無稽な現象が、かえって少女の心を冷静にさせたのだ。
「お姉ちゃん、どうしてそんな悲しい事言うの? ほら、ここにお姉ちゃんの大好物の鶏肉の唐揚げがあるよ」
イルマはそう言いながら一枚の大きな皿を取り出す。その上には新鮮な油で揚げた、揚げたてホカホカの鶏肉の唐揚げが、レタスの上に山のように盛り付けられていた。ちなみにレモンは掛かっていない。
「おおっ!」
山盛りの唐揚げを前にして、ミサキが目をらんらんと輝かせる。口の中には瞬く間に涎が溜まり、外に垂れないようにゴクリと飲み込む。
それは彼女が地球に来てから食べた中で、最も感動した料理だった。
「ぐっ……たとえまやかしだと分かっていても、食べずにはいられないッ!!」
少女はそう言うや否や、湧き上がる食欲に抗えず、唐揚げを手掴みで口の中に運ぶ。
「うっ……うまいっ! うますぎるっ! 衣のサクサクした食感……口の中でとろけるような肉のジューシーな旨み……これがまやかしであるはずが無いッ! この肉のウマさも、イルマが生き返った事も、紛れもない真実ッ! きっとそうに違いないッ!!」
あまりの美味しさに感激の言葉を漏らしながら、腹を空かせた猫が餌にかぶりつくように、山盛りの唐揚げを貪り食らった。
肉のうまさに思考力すらも奪われた少女は、もはや食欲を満たす事しか考えられなくなっていた。
◇ ◇ ◇
「お姉……ちゃん?」
その頃アミカは、ある建物の中にいた。
築三十年以上は経つ、古びたアパート……そこにある四畳半の1DK。狭いスペースを無駄なく使うように置かれたテレビ、ベッド、ちゃぶ台……ベッドの下にはタンス代わりに昔の漫画雑誌や古いゲーム機が置かれている。全てが彼女にとっては見慣れた風景だった。
そして目の前に立つ、一人の女性……。
「アミカ……会いたかったよ」
そう口にしたのは他ならぬ少女の姉、星月マイだった。
「そんな……マイお姉ちゃん……どうして」
間違いなく死んだはずの姉が目の前にいる事に、アミカは深く動揺する。
彼女は四人の中では比較的冷静なタイプだ。普段なら異常な状況下に遭遇すれば、それが敵の仕業だと気付く程度には落ち着いていた。
だが亡き肉親が生きていた事に心を激しくかき乱されて、今回ばかりは思考を働かせられなかった。いくら考えをまとめようとしても、胸がざわついて、頭が真っ白になってしまうのだ。もはや彼女は完全に思考力を剥奪されていた。
「アミカ……私、生き返ったんだよ。ゼル博士がバロウズから盗み出した技術で、こうして生き返れたんだよ」
ミサキの見たまやかしに出てきたイルマと同じ言葉を口にする。よほど都合の良い言い回しのようだ。
「マイお姉ちゃん……会いたかった……うわぁぁぁああああああんっっ!!」
アミカは大声で泣き叫ぶと、その勢いのまま姉に抱きつく。相手の言動を疑う様子は微塵も無い。
「お姉ちゃん、もう何処にも行かないでっ! ずっと……ずっと一緒だよっ! 私、もう絶対お姉ちゃんから離れないっ! ずっとそばにいるっ!」
これまで溜まった感情を全てぶつけるように喚き散らすと、胸に顔をうずめたままヒックヒックと母親に甘える子供のように泣きじゃくった。
少女は亡き姉に会えた嬉しさのあまり、もう一生ずっとこのままで良いとさえ思えた。
「うんうん、ずっとそばにいるよ……もう何処にも行かないから」
マイはそう言って穏やかな笑みを浮かべながら、自分に甘える妹の頭を優しく撫でる。
だがかけがえの無い肉親に向けられた筈の笑みは、一瞬だけニヤリと邪悪に歪む。まるで策が成功したと言わんばかりに……。
アミカは姉の異変に気付きもしなかった。
四人のうちさやか、ミサキ、アミカは完全に敵が見せた幻覚の虜になった。
アリ地獄に落ちた仲間を助けようとして、自分も引きずり込まれてしまったのだ。




