第101話 ずっと、トモダチだよ。
「ナオ……ナオったら!」
何度も声を掛けられて、ナオがハッとなる。意識が急に現実に引き戻されると、缶ジュースを手にしたさやかが目の前に立っていた。彼女は考え事に没頭していたらしいナオを見て、顔をキョトンとさせる。
「飲んでいいよ……私のおごりだから」
だが友人が何を考えていたのかは敢えて追及せず、冷たい缶コーヒーを手渡すと、自分もベンチに座って缶の蓋を開ける。そして味わうように少しずつ飲みながら、原っぱでドッジボールして遊ぶ子供たちを遠くから眺める。
「この公園で、よく一緒に遊んだよね……」
さやかが昔を懐かしむように語りだす。穏やかに笑いながらも何処か憂いを帯びた表情は、楽しかった過去の思い出に浸りながらも、その日々が決して戻らない事を悲しんでいるようにも見えた。
ナオはさやかの言葉を、相槌を打つ事も無く、ただ黙って聞く。
表情は固く、渡された缶の蓋を開けようともせず、両手で強く握る。腕は微かに震えている。
「……あの頃に戻れたら、良いのにね」
ふいにさやかがそう口にした途端、ナオの表情が険しくなる。
「戻れないよっ!」
いきなり大声で叫びながら立ち上がった。興奮のあまり全身を震わせて、怒りと悔しさが入り混じった表情は真っ赤に染まって、フンフンと鼻息を荒くしている。まさに堪忍袋の緒が切れた……そんな様子だった。
「ミオは死んだんだよっ!? だって私が殺したんだものっ! ミオは生き返らないし、ミオを殺した私の罪も、一生消えない……あの頃になんて、戻れるわけないよっ! だってもうミオは、何処にもいないんだからっ!」
これまで抑えていた感情が爆発したように早口でまくし立てて、自らを強く罵る。妹を死に追いやった良心の呵責に苛まれて、目を瞑って顔をうつむかせたまま、血が出るほど強く下唇を噛んだ。
ミオを死なせるくらいなら、いっそ自分が死んだ方が百倍マシだった……そんな事まで考えだした。
「ナオ……」
少女の言葉を聞いて、さやかが悲しそうな顔をした。自分を責めて深く落ち込む友の姿を見て、胸がきゅうっと締め付けられて苦しくなる。何とかしてあげたい、妹を失った悲しみから救ってあげたい気持ちになり、居ても立ってもいられなくなる。
さやかは一瞬どうするべきか迷った。気休めにしかならない言葉を吐いても、かえって友を苦しめてしまうのではないかと懸念を抱いた。友を深く傷付けてしまうのが怖かった。
だがそれでも救ってあげたい一心で、勇気を振り絞って、友を強く抱き締めた。
「……ッ!!」
ナオが思わず絶句する。予想外の相手の行動に思考が全く追い付かず、フリーズしたパソコンのように棒立ちになったまま固まる。
困惑したナオを、さやかは両手で包み込むように優しく抱く。布越しでも体温が伝わるほど強く体を密着させて、相手が鼻で呼吸する音が生々しく耳に入ってくる。
ナオと同様に、さやかも少しだけ震えて緊張していた。
いきなり抱かれた事に驚いたナオだったが、すぐに振り払おうとはしない。
友の体は人の体温が染み付いた毛布のように暖かく、母親に抱かれた赤子のように心地良かった。
「ミオはいなくなってなんかない……ちゃんといる。ずっと側にいて、私たちの事を見守ってるよ。体は消えても、魂はちゃんと残ってる。だって私を何度もピンチから助けてくれたんだもの。目に見えなくて、手で触れなくて、言葉を交わせなくても……彼女はそこにいるんだよ。会いたいと思えば、いつだって会いに行ける……だからもう何処にもいないなんて、悲しい事言わないで」
友を強く抱いたまま、さやかが慰めの言葉を掛ける。そしていたわるように背中を優しく撫でた。
(ああっ……)
友の言葉に、ナオは胸を強く打たれる思いがあった。
さやかの言葉は気休めかもしれない。何の科学的根拠も無い、オカルトじみた精神論かもしれない。彼女がそうだと確信した所で、それを客観的事実だと証明する手段は無い。
だがそれでも、ナオはさやかの言葉に心を救われた気がした。
妹はいつでも自分の側にいて、見守ってくれている……そう思えただけで、これまで抱えていた孤独や悲しみが取り払われていく気がしたのだ。
「さやかぁ……」
ナオは思わず目頭が熱くなる。友が自分を気遣ってくれた優しさで胸がいっぱいになり、たまらずに泣き出しそうになる。目から溢れ出ようとする涙を抑える事が出来なかった。
今日こうしてここでさやかと再会できた運命を、神に……あるいはミオに心の底から感謝した。自分たち二人をミオが引き合わせてくれたのだとしたら、本当に彼女は見守ってくれているかもしれない……そう思えた。
「……ッ!!」
だがナオがふいに顔を上げると、さやかの背後にある茂みに黒服の男が隠れている姿が視界に入った。
彼女は友との会話に夢中になるあまり、忘れていたのだ。自分が悪魔と取引した事を……。
男はハンドガンを構えて、彼女たちの方へと向ける。銃に取り付けられたレーザーポインターの赤い光は、さやかの頭を狙っている。さやかは自分が命を狙われている事に、全く気が付いていない。
男は狙いを定めると、ニヤリと口元を歪ませながら、銃の引き金を指で引こうとした。
「危ないっ!」
銃口から弾が発射された瞬間、ナオが反射的にさやかを突き飛ばした。
弾丸はナオの左肩を貫通し、そのまま遥か遠くにあったコンクリートの塀を一気にブチ抜いて、何処かへと飛んでいった。
「ううっ……」
ナオが左肩を手で押さえながら、苦しそうに地面に倒れ込む。肩の傷口からは血がドクドクと溢れ出した。
「クソッ……作戦は失敗かっ! くだらん友情にほだされおって、役に立たない女だっ!」
男は腹立たしげに罵ると、慌ててその場から立ち去ろうとする。銃が消音装置付きだった事もあってか、周囲の人々はすぐには状況を理解できず、男はその混乱に乗じるように全力で走り去った。
さやかは一瞬何が起こったのか、全く分からなかった。いきなり友達に突き飛ばされたと思ったら、その友達が肩を負傷して倒れていたのだ。あまりに突然の出来事だったため、思考が追い付かなかった。
だが地面が血で赤く染まるのを見て、ハッと気が付いて、急いで負傷した友に駆け寄る。
「ナオっ! しっかりして……ナオっ!」
心配になりながら、必死に名を呼ぶ。傷口から流れる血は一向に止まる気配が無く、急所を避けたとはいえ、このまま何の手も打てなければ命を落としかねない状況だった。
「大丈夫かっ!」
周囲の大人が数人、彼女たちの元へと集まる。彼らの内一人は心得があるのか血止めの応急手当を行い、他の者は携帯電話で救急車を呼ぶ。逃げた黒服の男を探そうとする者もいた。
「さやか……ごめん」
手当されながら、ナオがゆっくりと口を開く。ハァハァと辛そうに息をしていて、今にも消え入りそうに声がかすれている。喋るのもやっとのように見えた。
「私……バロウズと取引したの。貴方の注意を逸らさせて、黒服の男に撃ち殺させたら、ミオを生き返らせてやるって。でも、出来なかった……」
悪魔の誘いに乗った事を打ち明ける。友を巻き込んだ罪悪感に苛まれて、涙声になっていた。目にはうっすらと涙を浮かべて、今にも泣きそうになっている。
「私、バカだった……何にも分かってなかった。友達を犠牲にして生き返らせても、ミオは絶対に喜ばないのに……そんな事も分からなかった、大バカ者だ。さやか、今までずっと騙してて、ゴメンね……ゴメン。私の事、憎いよね……許せないよね。だってさやかの事、殺そうとしたんだもの……」
瞳から大粒の涙をボロボロと溢れさせながら、声に出してすすり泣いた。
自分が今死ぬかもしれない事よりも、友の信頼を裏切った事の方が何倍も悲しかった。深く傷付けたかもしれないと心配になった。恨まれてもしょうがないと思った。
たとえ死ぬ事になったとしても、友を裏切った報いを受けたんだとさえ考えていた。
「ナオは悪くないっ! 何も悪くないよっ! 私、ナオの事全然恨んでないっ! だって私たち、これからもずっと友達だもんっ! 友達が苦しんでたら、どんな事でも力になるって、そう決めたんだもんっ! だから、ナオは何も悪くないよっ!」
自分を責めて泣く少女の手を、さやかが強く握った。友の命が消えないように願うあまり、彼女も泣きそうになっていた。
裏切られた悲しみなど、あろう筈も無かった。むしろ悪魔と取引するほど友が精神的に追い詰められた事、それでも最後は自分を庇う選択をした事に、彼女が内心どれだけ苦悩したかを想像し、同情して胸が張り裂けそうになった。
「ありがとう、さやか……ウソでもそう言ってくれて、本当に嬉しい。最後に貴方に会えて、本当に良か……っ……た……」
言い終えるや否や、ナオは目を瞑ったままガクッと力尽きたようにうなだれる。単に気を失っただけなのか、それとも死んだのかは、まだ分からない。大人の一人は懸命に手当を続けている。
「ナオ……」
さやかは友の手を強く握ったまま、顔をうつむかせて慟哭する。もし友の命が尽きてしまったら耐えられない思いがあった。
少女が悲しみに暮れていると、服のポケットに入れてある携帯電話の着信音が鳴る。とても電話に出る気分では無かったが、緊急事態かもしれないと考えて、気力を振り絞って電話に出た。
「さやか君っ! 今何処にいるっ!? 時空の歪みを検知したんだ! 今から数分以内に、○○工場跡地にメタルノイドが出現するっ! ゆりか君たちは先に向かっている! 君も向かってくれ!」
掛けてきた相手はゼル博士だった。敵の出現予兆を捉えて、慌てて彼女に連絡をよこしてきたのだ。電話の向こうで何が起こってるのかは、把握していない様子だった。
さやかはナオがバロウズと取引した事を思い出して、あえてこのタイミングで攻めてきた敵が、先に自分を始末するために一連の策を仕込んだのではないかと考えた。そして友の弱みに付け込んだ卑劣さに、ふつふつと怒りが湧き上がってきた。
「ナオ……私、ちょっと行ってくる。ナオをこんな目に遭わせた連中の親玉を、ブチのめしてくるから、待っててね」
さやかはそう口にすると、握った手を離してゆっくりと立ち上がる。
(ミオ……お願い。これまで何度も私を助けてくれたように、ナオの命を救って。彼女はこんな所で死んじゃいけない……絶対にッ!)
友が助かるように強く願いながら、振り返らずに公園の外へと駆け出した。




