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乙女譚  作者: 毛野智人
2/15

(二)

「なんてこと!」

 デメテルの嘆きが響き渡った。

 オリュンポスから東に離れた宮殿にて、大地の女神は事の顛末を聞き絶望した。

「私の目に映ったのはそれが全てだ。お疑いになるのはご自由だが」

 太陽神ヘリオスの冷徹な言葉にデメテルは首を振る。

「いや、私はそのように愚かではない。この世の全てを見渡している者の言うことだ。信じよう」

 傷心した様子でデメテルはヘリオスの告げた真実を受け止めた。彼が言うことならばまず間違いはあるまい。空の上から何もかもを見ている、あのアフロディテとアレスの不義の関係をも見通していた男だ。

「それで、ゼウスが手を貸しているのは確かなのだな?」

 ヘリオスは頷き、皮肉っぽく笑う。

「あの方にも兄思いのところがおありのようで」

「姉に対する驕慢の間違いであろう」

 デメテルは憎々しげに歯を噛んだ。これまで弟であるゼウスにどれだけ勝手を働かれたことか。思い出すだけで憎悪で身が焼けるようだ。

 怒りの熱をどうにか押さえ付けて、デメテルは衣を翻す。

「話は解った。礼を言う」

「どちらへ?」

「本人の許へ。直接(ただ)しに行く」

「それは結構。だが呉々もお気を確かに持たれよ」

 ヘリオスの忠告はデメテルの背に向けられたまま、返答はなかった。


 オリュンポス山の頂上に座す大神と、彼と父母を同じくする大女神が対峙した。

「おお、デメテルよ。会うのは久方ぶりだな」

「つまらぬ挨拶など要らぬ」

 仰々しい動作で迎えたゼウスをデメテルは一蹴する。そして、煮え滾る憤懣(ふんまん)を露にしてゼウスを睨みつける。

「私の娘を帰せ」

 怒気の篭った声を受けてもゼウスは動じず、(あまつ)(とぼ)けた。

「はて、なんのことかな。そなたの娘というと…」

「我が愛しき乙女――ペルセフォネのことだ!」

 デメテルの激昂を受けて、ゼウスは思い出したように「ああ」と相槌を打った。

「あの可愛い乙女(コレー)だな。彼女がどうかしたか?」

「恍けるな。そなたがハデスと共謀し、ペルセフォネを連れ去ったと聞いた」

 ペルセフォネがいつになっても帰って来ないので心配になったデメテルは地上のあらゆる場所を探し回った。彼女が居なくなる直前まで一緒に遊んでいたニュンペらに話を聞いてみたが、皆、恐怖に怯えて喚くばかりで何が起きたか解らない。ついに空の上からいつでも地上を見ているというヘリオスを訪ねると、冥界を治めるハデスがペルセフォネを略奪し、ゼウスがそれに加担したのだと教えてくれた。

 これまでも幾度となくゼウスの慢心に振り回されてきたデメテルは、ヘリオスの告げた真実にまたも彼奴かと思い、不快で仕方がなかった。

「ほう。そこまで知っているなら、彼女を迎えに行けば良いではないか」

 ゼウスの余裕たっぷりの笑みはデメテルの怒りを逆撫でる。

「巫山戯るな! 私が冥界に立ち入れぬことなど解っておろう!」

「その通り。そなたが大地を司っているように、私も天空を治めているのだ。それに、あちらは死せる者しか入れぬ所。この天に君臨する私とて、生きている以上は冥界へは入れぬ。その私に、ハデスの許にいる娘をどうすることができようか」

「貴様…」

「それに、ハデスは冥界を治める王。並の神とは比べ物にならぬ力を持っている。夫婦(めおと)となるのにこれ以上の適任者はおらぬであろう」

 デメテルはぎりぎりと歯噛みする。

 この男は全てを承知の上で、ハデスにペルセフォネを攫わせたのだ。

 ――ああ、我が娘(コレー)よ。

 暗い昏い冥府の底で、どんなに肩を震わせていることだろう。

 実りのない寒いところで、どんなに心細いだろう。

 引き裂かれた娘を思い、母神は決意した。

「そなたの言い分はよく解った」

「ほう?」

 ゼウスは片眉を上げて興味を示す。

「私は娘の暮らす土地を守るために身を賭してきた。ペルセフォネが帰らぬ以上、私がこの地にいる必要はない」

 天空を統べる者として思い上がったこの大神に、思い知らせてやろう。

「さらばだ。我が弟」

 その日、大地の女神デメテルはオリュンポスを去った。

 地上の何処かに身を隠したというが、誰もその行方を知らない。

 草木は実ることを止め、地上は生気を失った。

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