(十三)
「ペルセフォネ様、こちらにこんなに美しい花が咲いていますわ」
「まあ、もっと近くで見せて頂戴」
山の奥深くの花園で、ペルセフォネはニュンペ達に囲まれて遊んでいた。
色とりどりの花にも負けぬ可憐な娘達の戯れの声は、ペルセフォネがハデスに攫われる前と何ら変わりはしない。心配して優しく迎えてくれた妖精達の気遣いが解ったから、ペルセフォネ自身も努めて明るくいつも通りに振る舞おうとした。
そんなペルセフォネの心中を、彼女達も母であるデメテルも知りはしないだろう。
何となく、知られてはいけない気がした。
ハデスに会うまでは、無邪気に母の愛を一身に受けるだけで幸せだった。
しかしもう自分は以前と同じように幸せを感じることができない。陽の光を浴びても、瑞々しい実りを口にしても、土や草や花の匂いを嗅いでも、何かが満たされない。その感覚が何なのか、地上に戻ってからペルセフォネはずっと考えていた。
花園を散策していたペルセフォネの視界にふと、白い花が映る。
ハデスと見えたあのとき咲いていたのと同じ水仙だ。
今頃あの人はどうしているだろう。
暗い闇の世界で一人きり、寒さを感じているのだろうか。
誰にも本心を見せないで抱え込んだままなのだろうか。
思いを馳せれば、溜息が出る。
どうして、あんなにあっさりとペルセフォネを帰したのだろう。
ペルセフォネの意思を無視して連れてきたくせに、帰すときも何の確認もなしで、まるで追い返されたように感じた。
何も言ってくれない。聞いてもくれない。解りたいのに。
もし寒さを感じているなら、それを分けて欲しいと思った。
冥界の中で、冥王を除いて生者が感じる寒さの解る者はいない。あのとき、ペルセフォネが冥界にいた間には、それに能う者はペルセフォネだけだった。ハデスはそれに気付いた。そして寒くないように優しくしてくれた。寒さが解るのは、自身も寒さを知っているからだ。
生命から遠ざかってしまったときの寂しさ、不安には身も心も悴む。それをペルセフォネは知っている。ハデスも知っている。死者の世界にあって二人だけが同じ感覚を共有していた。
しかし今は、一人だ。
一人になっても何も感じないのだろうか。
ペルセフォネを美しいと言ったのに。恋していると聞いたのに。
あの深い闇の奥底に秘めた想いを知りたかった。だから容易く離れられぬように深紅の粒を口に含んだのだ。けれどペルセフォネの期待に反して、あっさりと冥界を出ることができてしまった。
このまま、もう会えないのかしら。
そう思うと胸が苦しくなった。
ペルセフォネは自身の肩を抱く。身震いがした。
ここは陽の光も十分届いて明るく、暖かい。
それなのに何故、こんなにも寒い。
深く息を吐く。その吐息さえ、凍えるようだ。
身体の芯から冷たさが広がっていく。
熱が失われていく。
力が入らない。
「――ペルセフォネ様?」
訝しむニュンペの声が聞こえる。
意識が遠のく。
脳裡に人影。
黒衣の男。
ニュンペらの間から悲鳴が上がり、戯れは終わりを告げる。
ペルセフォネはデメテルの守る花園で倒れてしまった。




