(一)
山深いニューサの地には、色とりどりの花の咲く野原があった。
馨しい花の香りに紛れて、歌うような女達の声が響いている。そのほとんどはこの山に棲む妖精であるニュンペらのものだ。
美しいニュンペ達に囲まれて、一際麗しい乙女が花を摘んでいた。小麦の色をした髪は豊かで、頬と唇は薔薇色で瑞々しい。
「ペルセフォネ様、こちらの花は如何でしょう?」
ニュンペの一人が乙女に花を差し出した。
「まあ、綺麗。これは是非持ち帰ってお母様への贈り物にいたしましょう」
乙女はその花を受け取ると、花籠に大切にしまった。
また別のニュンペが乙女を呼ぶ。
「ペルセフォネ様、ご覧ください。あちらに美しい水仙が咲いていますわ」
乙女は目を輝かせてニュンペが指さす方へ歩いて行った。
「本当ね。なんと清らかで美しいのでしょう」
野原の奥には白い水仙が群生しており、その一画だけが輝いているようだった。花に近づいてみると、開いた水仙は清楚でありながら華麗で、乙女はうっとりと見つめる。もっとよく見てみようと水仙の側近くに屈んだ。
「きっとお母様もお喜びになるわ」
乙女は母の喜ぶ顔を思い浮かべて、その水仙を一輪摘み取ろうと手を伸ばす。
そのとき、大地が轟いた。
何事かとその場に緊張が走る。
地が裂けて、乙女の前に真っ暗闇が現れた。
ニュンペ達は恐怖に慄き、悲鳴を上げながら逃げ惑う。
乙女は恐ろしさのあまり、声も出せない。助けも呼べない。それどころか、その場から動くこともできなかった。
怯えて震える眼に黒馬が映った。馬は一頭ではなかった。二頭の馬が高く足を掲げる。しなやかな脚が空を蹴ると、大地に現れた暗黒から、その背に引いている車が顕わになる。
馬車には男が一人乗っていた。闇をそのまま形にしたような男だ。男は手綱で馬を御し、ペルセフォネの間近に迫ると、有無を言わさず乙女を抱え上げてしまう。そのときになってやっと、乙女は声を上げた。
「いや! 離して、離して!」
男は乙女の叫びを全く意に介さず、手綱を振って馬を駆る。
馬車は乙女と共に大地の裂け目に駆け戻っていく。暗く底の見えない穴へ吸い込まれ、間もなくその姿は見えなくなった。