おとうさん。私は悪い子だったかしら
ぼろぼろのおうちは軽く見て数百年前の建築と学校の先生がおっしゃっていました。
建築様式からして五百年以上前、古代魔導帝国の建築物であろうと父の友人であるミック先生がおっしゃっていました。
ぼろぼろかもしれませんが、私と執事は心をこめて維持に力を注いでいたのです。
こまめに二人で掃除して、お花を活けて、ゴミを捨てていつでも主人である父が帰ってこれるようにと。
執事からお料理を学び、ほつれたカーテンを直して刺繍を身につけ、父の英雄譚を基とした御本を読んで窓の外を見て。
春の花が散り、夏の葉が生い茂り、秋の紅葉を眺めて冬の黒を感じて。
大地の息吹を感じ、一瞬の涼風に汗を散らし、冷たい井戸水を汲んで暖炉の炎のそばで勉強をしつつ居眠りをして。
春は小さな野草を摘み、夏は天井の修理をして、秋は薪を集め、冬は雪かきをして雪人形を作って遊んで。
フィリアス・ミスリルと申します。
この家の主である父はファルコ・ミスリル。
世間一般では勇者と呼ばれています。
お父さん。おじさん。
ぼろぼろのおうちはそれでも。
私たちがぼろ屋敷、襤褸屋敷と言いながらも、壊れてはいませんでした。
以前、盗賊を撃退するために幼かった私が罠で穴ぼこだらけにしても壊れてはいませんでした。
私とラフィエルはいつか父が帰ってくると信じて。
あの笑顔を見せて帰ってくると信じてこのお屋敷の維持に心を砕いていたのです。
ぶすぶすと炎の残滓を放つおうちをみながら、私の喉は焼けるように痛くて。
「お父さんは。伯父さんはもう」「お気を確かに。ラフィエルがいます」
揺らぐ視界に優しい執事の声。痛いほど握られた私の手のひら。
ぐいっと引っ張る腕の感触は、男の人のそれですよね。ラフィエル。
灰燼と化した扉のあったところを抜けると、穴を直しながら刺繍を縫い付けたカーテンのかけらが、お父さんといたずら描きをしてラフィエルに二人ともども物干し台につるされることとなったきっかけの絵画が、お父さんとスケート遊びをスリッパでした……砕けた床が。
立ち込める血の臭いと、刺激臭に何度もむせながら私はこの家の主人を探します。
活けたお花が枯れて、散らばっていたのをへこんだ鉄壺を立て直して何本か入れてみました。
ぼろぼろとお花が崩れて、なくなってしまいましたけど。
「よっ。ふぃりあす」
おばけじゃ、ないですよね。
その足、食べられていてないってオチじゃないですよね。
体中傷だらけで脚を引きずるお父さんを肩に担いで、伯父さんが。
「おじさん!」「ふははっはっ。存分に僕の胸で泣いていい……ってぶはっ?! ちょ? ちょ? 今までそんな展開なかったよねッ?!」
「よがっ? よかったっ?! 無事でよかった!」
伯父を抱きしめる私のそばで父が呟きます。
「ぴーと」「なんだ? ぼくはいまモーレツに感動しているところなんだが」
「死刑」「ちょ。おま?! 今動ける状況じゃないからッ?! まてまてその『金剛石の短剣』仕舞えッ?!」
ぼろぼろの二人はそれでも死んでいるわけではありませんでした。
「もうっ?! こんなに壊してッ?! あとで……あとで……」
ぽんぽんと背を叩いて慰める二人に涙が止まらない私。
やがて、私は呟きます。
「行くの? 『サワタリ』を倒しに」「うん」「あいつ死なないからね」
二人は私を背に歩き出します。「待っている。止めないと」「義理はないけど義務はあるからな~。あ、あとのことはうちの娘と息子と女房に任せたから」
二人の小さな足が、砕けた床をゆっくりと蹴り、歩を進めようとします。
「ないで」
私は彼の、父の手を取り、つぶやきます。
「行かないで」
その手は、火傷だらけで、血の感触が伝わって。でも暖かくて。
「行っちゃやだ。お父さんダメ。行っちゃダメ」「放して」
彼はその小さな背を向けたまま私に命じます。
「家で待っていなさい」
だって。だって。
「お父さん。私待ったよ。誕生日の日だって待ったよ」
お料理も頑張って作ったよ。盗賊に襲われてもお父さんが心配しないように剣も習ったよ。
お父さんが驚いてくれるから魔法を練習して、誰より早くお迎えに行けるようにお馬さんの扱いもわかるようになったよ。
「カーテンをね。ぼろぼろになって」
彼の手。ぼろぼろの服を見ながら私はつぶやきます。
「もったいないから、刺繍するの。ずっと刺繍していたら時間がたつの。そしたらお父さんが帰ってきて、褒めてくれるの」
「ふぃりあす。離せ」「放さないッ!!!!!!!!!!」
喉の痛みを吐き出すように私は叫びます。
「私、待ったよ! 待ったよ! おとなしくずっとラフィエルと!
良い子にしていたよ! お父さんが帰ってくるのを待ってたよ!!
悪い子だった?! お父さん。私は悪い子だったかしら!?!」




