お父さんなんてだいっきらいっ!
「ただいま。なのの」
ふらっと消えたお父さんが二週間ぶりに帰ってきました。
ぼろぼろに汚れた服に異臭を放つ姿はとても見られたものではありません。
「おかえり。お父さん」「ふぃりあす! いい子にしてた?!」
私の両足に駆け寄り抱き付くこの幼児に見える人物は私の父です。
妖精さんの血を引くため容姿に変化がない呪いを受けているだけで。
繰り返しますが足元の幼児の姿をした人物は私の父なのです。つまり大人です。
「今度のお誕生日は一緒に祝ってくれる約束だったのに」「……うん」
しゅんとなるお父さんに私は思いっきり叫びました。
「お父さんなんてだいっきらいっ 」大人の癖に約束も守れないなんてッ!!?
……。
……。
「あのさ。ふぃりあす」「なに? おじさんのばか」「バカは余計だ。アホウ」
私の足元で生意気なことを言うこの幼児もまた妖精さんの血を引く子で、私の伯父にあたります。
「あ。頭叩いた。痛い。マンザイとバンショーを要求する」「なにそれ」
お父さんの一族は時々変な事を言うのですが、お父さんのお友達しかわかりません。
「多分謝罪と賠償」「もっとわかんない」「子供には解らない」「子供に解ることをいって」
こんな伯父ですが、私を世話しているとは伯父の弁。
騒がしい市場には色々な匂い。私たちの足元を逃げた鶏とそれを追う猫や犬が。
「ファルコ、再起不能だぞ。『ふぃりあすに嫌われた』って膝抱えて泣いてたぞ」「いい気味ッ」
思わず地面に八つ当たりしながら歩む私。べったり汚れた服に少し血の臭いがついていることに気が付きます。
「怪我して帰ってきてッ」「アイツ『勇者』だもん。そりゃ怪我もするさ」
おもちゃの剣を背負い、私の足元についてくる幼児は私がいくら走っても追いついてきます。
「どこまで追いかけてくるのよ。おじさん」「君の行く方向が僕と同じだけ」
頭に巻いた黄ばんだ布と黄ばんだマントを身に着け、尊大に胸を張る幼児に私は呆れます。
おじさん、どうしてこんなに走るのが早いんでしょう。
「ファルコほどじゃない。あいつは一族で一番足が速いもん」ホントかな? おじさん嘘つきだし。
私は歩を早めます。
「ついてきたってお菓子あげない」「持ってる」
おじさんは何処からかビスケットを取り出し、私の前でパクパク。
ぐう。
「欲しいと言ってもあげないぞ~ ぼくのだかんな~」
いつの間にか私の背中に乗っているおじさんを思わず振り落としそうになります。
「だいたい、あいつが娘の誕生日忘れるわけないじゃん」「知ってる」
歩を歩める私。
角を曲がるとおじさんが何故かいます。どうやって追いついてくるのでしょう。
「今回だって辺境の村に魔物が出るから一人で」「へぇ。一人で行っちゃったんだ」
お父さんのお友達は強い人揃いです。ロー・アースさんとかロンさんとか。
チーアさんはちょっとわからないけど。一人でいくことはないじゃないですか。
あ。そうだ。本当はミック先生が一番強いらしいです。
軍学を教えてくれる姿からは想像つきませんが。
リンスさんは綺麗な人だから強いなんて想像つかないけど。
「ニンゲンはあるくのも走るのもトロイ」
振り切るのに疲れて肩で息をしている私に後ろから声。
ミルクの入った瓶をおじさんは差し出してきました。
「飲む? 」「……」
開栓した瓶からは蜂蜜と香草でつけられた甘い香り。
どうやって冷やしたのか。
井戸水より冷たい羊乳はとても甘くておいしかったです。
「帰れば良いけど帰って来ない時は心配ねぇ。うちはいつも家を空けているからなぁ」「奥さん怒ってない?」
この伯父、幼児の見た目に反して綺麗な奥さんがおうちで待っています。
「文句ひとつ言わない女房を持つと逆に帰るに帰れないというか居心地が良くない」「そんなものなのかなぁ」
肩を落とす伯父を見て小首を傾げる私は彼に瓶を返します。というより伯父はどうやってこのような瓶を持ち歩けるのでしょうか。
「『ふぃりあすにきわられた~』『ふぃりあすにきわられた~』♪」
足元でお父さんの真似をしてはやし立てる伯父。正直腹が立ちます。人のお父さんの真似をしないでください。
「嫌われた。だもん」嫌いじゃないし。
「だったら帰ってあげればいいのに。日が暮れるよ」「うー」
足元で小さな足をせかしく動かす伯父。私は結構走るのが早いのですが彼には敵いません。
勢いよく町から飛び出してしまいましたが、おじさんがいなければ門番さんに止められていたことでしょう。
「町の外は魔物がいっぱいいるんだよ~。ぼくらなんてペロリと食べられちゃうんだよ~!」
怖い怖いと震える伯父ですが、彼は以前熊を引きずってきてお父さんに叱られていました。
結局お父さん、おじさんと二人で熊を食べちゃいましたけど。信じられない。
「ちなみに毛布。ある」「……」
ふかふかの毛布に体を滑り込ませる幼児はいつの間にかたき火を焚いていました。
「マントあるから毛布なんて持ってきたの無駄だったなぁ。捨てようかなぁ」ううう。
きらきらと光る星の下、危険だという野営はそれほど怖いとは思いません。
ぱちぱちと爆ぜる火の粉を払い、おじさんは何処から捕ってきたのかお魚を焼いています。
香ばしい香りに思わず目をちらちらさせてしまいますが。
「食べる?」差し出されたソレに絶句。
「ムカデなんて食べないッ」彼は少し悪食の気があり。
「好き嫌い良くない。背丈伸びないよ」おじさんが言っても説得力がないのですが。
「だいたい、冒険してたら食べ物なんてこだわれないよ?」お父さん、私が焼いたクッキー持っていくもん。
「あれ、美味しくないぞ。クッキー屋のミリア姉ちゃんの足元にも及ばない。焼き締めも甘いし」お父さんは美味しいって言ったもん!
むしゃむしゃと大きなムカデを食べるおじさんを目に入れないよう、残ったお魚を口にする私。……あら。
「美味いだろ? 僕の料理はあいつより上手いからなぁ~♪」
香味つけと塩加減、ふわりとした香りと熱い湯気が喉から鼻まで通って、口にするとふんわりと美味しさが広がります。
「しっかり食えよ~。まだあるぞ~!」「要らない」
「えんりょするなよ~。遠慮するなら食わなくていいぞ~!」「……」
いつの間にか四串食べていましたが私の所為ではありません。
「火は消すなよ~」
時々伯父は火を残して姿を消します。
闇の端々から視線を感じるのですが。今のところ安全です。
「夜の森って死霊が出るっていうけど」嘘みたい。
一人で火を守っていると怖くて怖くてたまりません。時々お父さんを呼びたくなります。
私が耐え切れなくなるころになると、伯父が戻ってきます。まだ夜は明けません。
「さっさと寝ればいいのに」「怖いもん」
「よしよし。よーしよし。フィリアスは良い子だねんねしな」
毛布にくるまってうずくまる私に近寄り、背伸びして私を宥める伯父さん。
そういえば伯父さんのほうが年上なんだなぁ。信じられないけど。
目覚めて伯父と沢に出て、身を清めます。
「見ないでよ。おじさん」人には言いたく無いのですが私の背中には大きな二つの傷痕があるのです。
それを知ってか知らずか。「ちびのくせに色気づいてる。やだやだ」おじさんのほうがチビです。
冷たい水に身体を浸し、鼻を突き抜ける清涼な香りと水音に身体と心を預けていると。
「ううう。お父さんのばか」ピクニックに行って水に流されているお父さんを思い出しました。結局自力で泳いで戻ってきましたが。
ざば。
立ち上がった私は不審な音に振り返りました。
目の前に大きな大きな何かが水を掻き分けて。
それが巨大な口だと気が付いたときには、もう手遅れでした。
轟音を立てて吹き飛んだ大きな『口』とおじさんが戦っています。
必死で沢から逃れ、濡れた身体に服を纏おうとする私ですが、震える手と濡れてまとわりつく服で上手くいきません。
「早く逃げろッ」おじさんの声を聞いたのと、おじさんが『口』に呑まれるのが同時でした。
ひざがいたい。
自分がけがをしていること。膝がいたいとわかったのは目がかすんでいることに気づいてからでした。
目がさっきから熱くてかすむのは涙の所為だと気づくのはもう少し後。
次は私と襲い掛かる『口』が急に暴れまわり、『口』の中から伯父がひょっこり顔を出してきてからです。
おじさんはわざと『口』の中に入って倒したと自慢していました。すごく怖かったです。
「ただいま。おいファルコ。いい加減なきやめ。お土産持ってきたぞ」
帰宅した私たちを父は泣きながら出迎えてくれました。
「ふぃりあずにぎらわれた」ぐずぐず泣く父の小さな肩を抱いて私は告げました。嫌っていないよ。ごめんね。
「ただいま。お父さん」「おかえり。フィリアス。お風呂とご飯の用意できてるよ」
私の名前はフィリアス・ミスリル。
お父さんの名前はファルコ・ミスリル。
私たちの親子仲は、結構いいと思う。
ピート:案外この『口』の肉美味しいよ? (もぐもぐ)
ファルコ:いあない。
フィリアス:おじさん。お腹壊すわよ。