妖精の日記帳
「フェイスちゃん。悪いとは思うのですが、少し離れて」「なぜ」
すまして笑う彼女は私のいとこにあたります。
もっとも彼女には厳密な性別というものは存在しませんので彼女と呼ぶには語弊がありますが。
伯父のピートとその家族は時々遊びに来てくれます。
私はあっという間に彼らと仲良くなってしまいました。
奥さんはとっても美人のエルフさんなんですよ。
御機嫌よう。
城塞都市国家、ローラ伯国ことローラ王国に住まう16歳。
フィリアス・ミスリルと申します。
「約束した。父がいないときは私が貴女を守る」
そういってすまして答える彼女の姿はそばかすだらけの幼女で守るというより守られるほうが先、要保護者ですが見た目に反して婚約者がいるそうです。
それより、彼女とそのような約束。しましたっけ。
いぶかしむ私と親しげにふるまう彼女。午後はゆっくりと過ぎていきます。
建付けが悪いのかそれとも偶然か。
ぽとりと一冊の本が書架から落ちました。
おかしいなぁ。丁寧に巻ごとに入れているのに。
風もないのにページがパラパラ。
『はじめまして。アップルおばあちゃんだよ』『この子をキミが育てるの? やめておいたほうが良いよ。あれなら僕らがもう一回育てようか』
どきん。
『ふぃりあす。もじは解るよな。おじさんが良いことを教えてやる。こうして日記を毎日つけるのだ。そうすればだいじなことは忘れない。妖精の日記帳だからだいじにしろよ~。なに? ぼく? つけるわけないじゃん。三日で飽きたからぼくの分も代わりに書くのだ』
なぜでしょう。この胸の高鳴りは。
『こうこう。おじさんが綺麗な文字の書き方を教えてやる。
筆圧が強くてうまく書けない場合は三本指じゃなくて親指と人差し指でつまんでな、残りの指はガッチリ握るんだ。そうすっと余計な力が入らない』『文字の大きさや幅のつけ方にもコツがあるんだ。よっくみてろ。こういうのは画面全体を見てセンスを磨かないとダメだからな~』
『ちーあももじをおぼえるのの』『じ、自分の名前くらい書けるわいっ?! ……じゃ、オマエの娘と一緒に覚える』『おう。ぼくが書き取りの手本を書いてやる。ファルコもやれよ。オマエの文字は汚い』『ぼく、字は綺麗だよ』『兄貴に逆らうつもりか』『みゅぅ』
『この字ってどう書くんだ』『ちぃ。こうかく』
風もなくパラパラとめくれる日記帳から幾枚かの書き取りのお手本がこぼれ出ました。
書き取りの練習は、たまに家に帰ってきたときの父に。
でもこのお手本は父の字ではありません。
こぼれた羊皮紙が風もないのにすっと私の足もとに。
ふるぼけた羊皮紙の上には『未熟』と。
「これ、おじさんの……字?」
震える私の手の上。古ぼけた羊皮紙の上に何かが落ちました。
私は。私は自分が泣いていることに気付きました。
『雨だなぁ。うじうじじめじめしてうっとおしいなぁ。かくれんぼでもすっか』『ラフィエルに吊るされる』『じゃ、ぼくが吊るされてやる。意外と楽しいぞ』
『おじさんのまねしちゃだめ!』『やかましい。たまには家に帰ってこいバカ』『旦那様。異母兄上様。お嬢様の見ている前で暴力ごとはお辞めください』
『テーブルクロスを破きましたか。異母兄殿』『お前の執事、超こええぞ』
『お婆ちゃんがレース編みを教えてあげる』『はじめまして。アルダスって呼んで』
『らしぇーばだったっけ。らしゅーばだったっけ』『もういい加減にしてください』
『ミックの軍学は実戦経験がまだまだだな。ぼくに任せろ。次のテストは満点以上だ』『あなたどなた』『どなたって……ぴーとは知られているのになんで僕の扱いはこんなんなんだ。ふぁるこめ』
『おじさんはお父さんより、一緒に居てくれるよ』
がたん。
窓が勝手に開き、春の風が入ってきました。
ぱたぱたと頁が舞い、私の掌からするりと逃れた書き取りのお手本は時を巻き戻すように日記帳に収納され、日記は春の風と共に元の場所に戻り、悪戯な風は扉を閉めて何処かへ。
代償はあったんだ。
私は。私は。父との時間を得る代わりに。
父より長く共に過ごした伯父の。父の一族、祖母や祖父の思い出と、ともに過ごした時間を喪ったんだ。
「大丈夫。私もいる」
フェイスちゃんはちょっと笑うと私の腰をぽんと叩きました。
「これから、よろしくね」「はい。フェイスちゃん」
「真の名前、教えたでしょ」「ええ。『みえざれどともにあるかぜ』」
思い出は、これから作ればいいのです。
記憶はなくても、これからいっぱいの時と、思い出があります。
そういえば、私はそうやって父との時間を作ってきたのですよね。
私の名前はフィリアス・ミスリルと申します。
父の名前はファルコ・ミスリルと申します。
私たちの親戚周りは。とっても素敵なのですよ。




