再会
暖かい春の日差しを受けて私はブーツの土を軽く蹴り上げました。
柔らかくなった黒い土が飛びます。みみずさんを驚かせちゃったかな。
御機嫌よう。私は16歳になりました。
大きな大きな草原の海をかき分け、私は。
私たちはあの街に向かいます。遠くを大きな隊商が見えます。
えっちらおっちらと言いつつ馬を抑えて進む彼らの表情は明るく。
あの街、街道から少し離れていますからこの緑の海が難所なんですよね。
「お父さん。ローラだよ」「もきゅ」
私の父がどこにいるか。ですか。
ぱたぱた。私の手の中でもがく彼。
「みゅ~みゅ~」「もう。暴れないでよ」
この幼児は。この幼児が私の父です。
皆信じてくれませんけど私たちはとっても仲良しなんですよ。
春風を受け、甘く懐かしく切ない気持ちとともに私たちはローラの門をくぐります。
『訪れる者に喜びを。立ち去る者に祝福を』
立派な鉄の門に刻まれた言葉は先の大戦でも消えることはありませんでした。
兵士さんに身分証明を見せ、門をくぐります。
お菓子を買ってもらってはしゃぐ小さな子。
威勢よく叫ぶ市場の商人。駆けずり回る小間使いの男の子。
神殿に向かう学生。馬車に乗った貴族や上級神官の子弟。
そのすべてが、私たちを覚えていることはありません。
私は彼を抱きしめます。覚悟はしていました。だけど。
どこかで楽団の施しがあったのでしょう。
にぎやかな明るい音楽が聞こえます。あの音楽を私は知っています。
『乙女の涙が大地を濡らすとき おせっかいな冒険者たちがしゃしゃり出るッ 大地枯れ葉て天が泣き 涙の海が世界を覆って絶望の闇が広がろうと、このお人よしどもは怯まない 悪党は問う! 剣を振りかざし天に叫ぶその者たちの名前は!』
その名前に、父が入ることはもう永遠に無いのです。
いえ、無かったのです。もとから。
私は急くように彼の背を押し、市場から逃げるように。
遠くからやってくる大きな買い物かごを抱いた青年。
私は彼を知っています。
私の知っている物語にて彼は私たちの執事でした。
でも、もう知らない他人です。
涙を流したいけど、その縁すらないのです。
頭を垂れて彼とすれ違う時、一瞬瞳が交わったように感じたのは未練でしょうか。
私の足が止まったのは、彼がほんの少しでも私を、私たちを覚えていてくれるなんていう甘い甘い、そして浅はかで浅ましい気持ちなのでしょうか。
背を向け合って通り過ぎる私たち。
彼の唇が甘く動いた気がしました。
「お嬢様」
胸が跳ね上がります。
手が震え、喉が動きません。
脚が完全に止まりました。
「らふぃえる」
幼い子供の声。
小さな足を一生懸命に動かして転びかける少女。
それを受け止める妖精の執事。
「素敵なお嬢様。学業は好調でしょうか」
ほほ笑む彼。
買い物かごから転がった野菜が私の足元に。
小さな野菜がぽつんと私の足元に。
「もちろん! がんばったららふぃえるは褒めてくれる?」「ええ」
ですよね。
私たちがいなくても、彼は執事をやっているはずです。
私たちがいない世界で、彼の幸せを生きているはずです。
私は父の手をひき、震える脚を抑えて歩き出します。
この街には思い出がいっぱいあります。
この街には思い出は一切ありません。
「お嬢様」
たまらず振り返る私にほほ笑む執事。
偶然。ですよね。私は彼に微笑み返し、父の手を引いて立ち去ろうと。
「旦那様。もう少し買い込みたいのですが」「もきゅ」
腰を落として穏やかにほほ笑む執事の表情はとても優しく。
「お帰りなさいませ。ラフィエルはお待ちしておりました」
え。そんなこと。
ないよ。ありえないよ。
だって。だってだって私たちは。
『神剣』を使ったのだから。
『神剣』の運命を覆すことなど、できるはずがないのだから。
「お嬢様」
泣き崩れる私に近づき、慈しむ聖母のような微笑みを向ける彼は告げます。
「妖精の執事たるこの私、ラフィエルめが粗相にもお嬢様を忘れるはずがありませぬ。逐一申しあげましょうか? お嬢様のしたお転婆や、汚した下着の行方などを」
え。え。えぇええええっ?!!
震える私の唇はかさかさになっていたと思います。
しばらく紅など忘れていました。髪も旅装でぼさぼさで。
「らふぃえる?」
「はい。お帰りなさいませ。フィリアスお嬢様。今夜は腕によりをかけてお二人の帰還を祝わせていただきます」
ほほ笑む執事。
これ、夢ですよね。
『神剣』が見せた甘くて残酷な夢の続きですよね。
『慌てふためく悪党に剣を振りかざし天に叫ぶその者たちの名前は!』『夢を追う者達だッ!』
『会えば不幸に遭うという……』『あははっ!』
詩人たちと子供たちの掛け合い声と笑い声。
「余計な事いうなぁ。俺そんな凶暴かよ。もっと淑女だぞ」
「詩人とはいつの世もそんなものですから」
「私、もっと美人よね。ローちゃん」「ローちゃんいうな。ロン」
銀の髪を持つ美しいエルフの女性が優雅にほほ笑み。
私の知る人たちがいます。私たちを覚えているはずのない人に声をかけてしまいます。
「ロー・アースさん」「ダレ?」
意地悪にほほ笑んで肩をすくめる彼。
その肩にはほほ笑んでいるのかウインクしているのかわからない変などくろのマーク。
その正体に気付いた楽団が慌てて弦を取り落し、子供たちが歓声をあげます。
その波は大きく広がり、市場の人、街の兵士さん、子供たちと広がっていきます。
「お帰り! ファルちゃん!」「フィリアスちゃんも一緒かい?!」
そんな、そんなそんなはずは。だって私たちは。
膝をつき、私の肩に手を添えて我が家の執事は穏やかに告げます。
「たとえ、『神剣』でも。親子の絆を引き裂くことなどできはしません。このラフィエルがお二人への忠誠を忘れることがないように街の人たちだって」
そんな。そんなそんな。
ありえません。これはどうなっているのでしょうか。
瞳から流れる熱いものを抑えられない私は。
「勝手に帰りやがってファルコ?! 後で、今折檻だ!」
ぐりぐり頭をいじるチーアさんに抱き着く持祭改め高司祭の女性。
「リンス、ふぁるこのだきごこちだいすき」「返してください。私の父です」「もきゅ」
「ローちゃん。結婚してあげる!」「だが断る。ロン」
出鱈目に好き勝手を言い、そしてはしゃぐ人々。
ミック先生が父を救い上げ、私に返してくれました。
「ローラ国が誇る英雄。ファルコ・ミスリル。只今帰還!」
兵士さんが大きく叫ぶと皆が一斉に拍手し、声を張り上げて叫びます。
「お帰りファルちゃん!」「今日はどこに行ってたんだい?」「おいファルコ。ちゃんと話さないと後で折檻だぞっ」「ふぁるちゃーん! 結婚して!!」「あなたは下がってなさいよアキさんっ!」「エフィーちゃんのばーか!」「なに~?!」「歌え、踊れ、讃えよ『夢を追う者たち』を!」「ファルコ! ファルコ! ファルコ!」「勇者さま~~~~~! こんど私の店に来て~! サービスしちゃう!」「あら私が先よ」「私よ!」
これ、夢。夢ですか。
「勇者さま。お花」
お花を差し出してくれた幼女は確かにあの時。
でも無邪気にほほ笑む彼女は幻覚ではなく。
「ありがとう」
父はその路傍の花を受け取り、頭にさしました。
それは女の子のすることです。違います。胸にさすのです。
「ゆうしゃさまが花うけとってくれた~! まま~!」
あの幼子を抱くお母さんはあの火の海の中で。
いえ、あの幸せな笑顔は。
「讃えよ! 我らが街の英雄を!」
私の名前はフィリアス・ミスリルと申します。
お父さんの名前はこの街の英雄、ファルコ・ミスリルと申します。
私たちは。私たちは。帰ってきました。




