背中の翼は失くしたけれど
お尻と股間に広がる生暖かい感触と不愉快感。
この間まで泣いていた私は喜んで走る。ちょっと漏れて太ももを濡らす。
幼い私は深いことを考えることはない。ただ走る。
「さーたに!」「きゃ?!」
ニコニコ笑いながら私は自慢げにいう。
「おもらし」「漏らす前に言ってよ!?」
先ほどまで本を読んでいた不思議な服を着た少女は慌てて本を仕舞うと鼻をつまんで襤褸布を掴む。
「ちょ。ちょっと。うんちまでしたなんて聞いていないからッ」「さーたに」
「こら~。この状態で抱き着くな~!」「さーたに。さ~たに」
ああ。もう。
不機嫌さを必死で抑えて彼女は告げる。
ごしごしと痛いくらいに頭を撫でて褒めてくれる。
「よくやったフィリアス。次は漏らす前に言いなさい」「うん」
褒められたのがうれしくて跳ねようとする私を彼女は抑える。
「さーたにさーたに」「『浄水』と『乾燥』かけるから大人しくしていてね」
あ。これって昔の記憶かな。
少女の顔は潰れたように解らないけど、優しくほほ笑んでいるのは解る。
「ファルちゃん……。ちょっとここに来なさい」
仁王立ちする『サワタリ』におびえたようにちょこちょこと近づく父。
「どこに行っていたのか、説明」「冒険」
すうと息を吸う彼女。大声で叫ぶ。
「無断外出禁止?! 娘ほッぽいて何をしているのッ?!」
つられて大声で泣く私と涙目の父。
「え。だめなの?」「あなたたちの種族はさておき、人間の女の子は親がいないと泣くのよ!!!!」
人間じゃない。
ロー・アースさんは『サワタリ』をなだめながら告げます。
「すまん。人間を吸収して能力を奪う黄色い粘液みたいな魔物が出てな」「へえ」
「倒すに倒せず封印したのだが、急を要するのでフィリアスとファルコには泣いてもらったんだ。俺のせいだ。すまん」「そうなの。私は留守番と子守だったのね」
アレは強い奴がいればいるほど難敵になるから仕方がない話を告げるミック先生に食って掛かる『サワタリ』。
「あなたたちは六人で行って何を言っているのよ」「そのようなことを申しましても」
「いい? 冒険者やめるか、子育て辞めるかどっちかになさい! 私は今後子守なんてしないからね! ホントだよ!? だって」
ぎゅっと『サワタリ』が私の身体を抱きしめます。
私の髪を暖かいしずくが濡らす感触。嗚咽の音と喉が震える声。
「待っているって、寂しいんだよ。苦しいんだよ。
帰ってこないかもって思ったら、時間が流れるのが遅いんだよ。
私だってそうなんだよ。娘だったら……娘だったら。耐えられないよ」
冷たい感触に身を震わせて私は目覚めました。
どうやら野宿中に居眠りしていたようです。マントを羽織りなおすと隣に父と伯父がいました。
暖かいと思ったらいつの間に潜り込んでいたのやら。
私はあきれると彼らをもう一度マントの中に入れます。
「起きたのか。まだ寝ていていい」「いいえ。大丈夫です。チーアさん」
私は空を見上げます。
冬の空なのに今日は驚くほど晴れていて、星が綺麗です。
「ねぇ。チーアさん。お話しませんか」「寝ていろ」
「『サワタリ』が私と仲良くしていた夢を見ました」「そっか」
私たちは辛く懐かしい思い出を語り合います。
今夜の聴衆はたぶん、星と月、森の木々しかいません。
あ。父と伯父が翌朝寝不足気味だったのはたぶん気のせいでございます。




