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p.3:There is nothing.




「…、進路か。」



何の目標も無い私には辛い話だ。


1年の頃はクラスの殆どが漠然としか考えていなかった筈なのに。

この時期になると、もう学年の3分の1程度が志望大を決め始めている。



美術部なのもあってか、絵を描くのは好きだ。

だが、余程のカリスマ性が無いと絵だけでは生計を立てる事は出来ない。


読書は嫌いじゃない。

しかし、あくまで読むのが好きなだけであって書くのは苦手だ。



それ以外にはこれといった趣味も特技も興味も無い。

つくづく、私はつまらない人間だ。



いよいよ決めなければいけなくなった時には、恐らくそれなりに勉強してそれなりに名のある所の文学部にでも出願するのだろう。


―少なくとも、今のままで月日を過ごしたら。




「えー、全員に行き渡りましたか? …はい、では説明します。 今お配りしたプリントは、見ての通り進路希望調査です。 その用紙に書かれている内容に沿って記入をして下さい。 提出は今月末ですので、くれぐれも忘れないよう…。」



長々とした説明をする新米教師。

煩くはないものの、どこか落ち着かない雰囲気の教室。


この空気、何故だか好きになれない。



馴れ合いだけの、当たり障りの無い関係。

グループ同士だけの、狭い世界。

その様子を見ても尚『仲の良いクラス』と称する担任。


―結局、全員が全員、自分が一番可愛いんだ。

人間なんて、自分の利益さえあれば他は関係ない。



「じゃあホームルームはこれで終わります。 各自次の授業の用意をするように。」



次は英Ⅱ。

あまり欠時していない教科だ。


少し疲れた、ちょっと保健室で休みたい。

そう思って教室を出ようと席を立とうとした時だった。





紗季の後ろ姿が目に入った。

早速配られた調査用紙に書き込みをしている。



「紗季ちゃん、」



彩香の鈴を転がした様な声が耳に入る。



「んー、何?」


「紗季ちゃんって、進路決まってるんだっけ?」



私は知っている。

紗季が希望する進路を。

紗季が、高1の頃から目指しているものを。



「私?」


「そう、そういえば聞いたこと無かったなぁって思って。」




紗季の将来の夢は、


「ああ、そうだね。 今のところは第一志望なら法学部選んでるよ。」


―検察官。





「え、凄いねー! そっか、紗季ちゃん勉強出来るもんね。」


紗季には、夢がある。




「嫌だなあ、全然だよ。 ただ憧れてるだけ。」


それに向かって努力出来る意志の強さもある。




「いやいや、そんな、法学部とか私だったら絶対無理だもん! 覚えること一杯だよね、大変そう…。」


そして、彼女を支え傍に居ようとする想い人もいる。






「そういう彩香だって音大志望な癖に!」


彩香もまた、自分の音楽の才能に誇りを持ち、常にそれを高めようとしている。




「だって私が考えているところは、楽器が出来てある程度勉強してれば受かるもん。」


そんな音楽に直向きな彼女に惹かれた人間は何人居るのだろう?







「でも、その両立が難しくない?」


「そうだね。 課題曲が難しかったりすると、その練習で時間使っちゃうかも。」


「そっか、大抵音大って実技あるんだっけ。」


「そうなの、でもそんなので弱音吐いてられないんだけどね。」


「やっぱり大変だよね、芸術系って。 でも応援してる、彩香なら大丈夫だよ。」


「ありがとう。 紗季ちゃんも頑張ってね!」


「うん。 ありがとう、彩香。」




彼女達は自分を輝かせる方法を知っている。


勿論、「自分」をも。






それに引き替え、私は―。





















「うーん、…熱は無いみたいだけどねぇ。」


36度4分。

何でこういう時に限って熱が出ないんだろう。



「どうする? 早退するほどではなさそうだけど。」


今日は1限休めれば構わない。


4限の現代文はグループ学習が滅多に無い教科だし、5・6限は芸術選択の美術だ。

黙々と作業をしていれば問題ない。



「寝てみて、それから様子見でも良いですか?」


「…そう。 じゃあ奥のベッド空いてるから、そこを使いなさい。」


嫌そうな顔をする養護教諭。

恐らく、私がここに来た理由が頭痛じゃないことを分かっているのだろう。



















私には、教師に好かれるような一面も無い。


向上心も誇りに思える長所も無く、あるのは情けない劣等感だけ。



























「…また、此処。」


でも、昨日の青年の姿がない。



顔を上げて辺りを見渡す。

誰もいない。



「…此処、嫌い。」



無機物になった自分を見ているようだった。



何も受け入れようとしないで、

何も変わろうとしないで。


―何も、無くて。










こんな場所、見たくもない。


昨日と同じように、右手に頬を掴ませた。



















―折角、独りじゃなくなったと思ったのにな。





















「…結局、独りじゃん。」



放課後。


学校から少し離れた場所にある河川敷。

そこで独り腰を下ろす。





「…紗季……。」




そういえば、紗季の夢を聞いたのは此処だっただろうか。
























「紗季ー。」


高1の9月、三者面談が始まった頃。



「何?」


紗季との仲が深まったのも、丁度この頃だった。




「志望大とか決めた?」


あの頃は幸せで。




「ううん、まだだけど。」


何も考えていなかったけど、



「良かった! 決まってないの私だけかと思ったよー。」


考える暇も無いぐらい幸せだった。








「というより、結衣ってまだ決まってなかったんだ。 意外。」


「全然何も決めてないよ。 私、夢とか無いし……。」




あれば少しは違ったのだろうか。












「夢か。 …、夢ならあるよ。」


紗季からそんな話を聞いたのは初耳だった。

いつも紗季はそういった話題が上がっても、皆の話を聞くだけで。




「え!? なに何?」


だから、凄く興味があった。




「否、まだ本気でなりたいかどうかは分からないし、…」


紗季の夢を聞きたかった。





「聞きたい!」


それで、本気で応援したかった。






「え? 嫌だよ、恥ずかしいじゃん。」


いつも私は紗季に背中を押されてばっかりだから。






「えー、教えてよ!」


少しでも、紗季のためになることがしたくて。






「誰にも言わない?」


冗談めかしつつ、でも本気で聞く紗季。






「うん、言わない言わない。」


こちらも軽く、でも真剣に返した。















「…私ね、検察官になりたいなって。」


彼女の目は夕日色の空を真っ直ぐに見つめていた。




「凄い、検察官!? でも試験とか難しいんじゃない?」


私は尊敬と驚きの混じった声でその背中に問いかけた。







「うん。 だからちゃんと法律とか勉強したいなって。」


「へえ。 …でも、紗季が検察官なんてちょっと意外。」



私の想像の中で、厳格な雰囲気の法廷で堅苦しいスーツを息苦しそうに身に着けた紗季の姿が目に浮かび、少し吹き出す。





「ちょっと、何で笑うのよ!」


どうやらそれは紗季も一緒のようで。

そう言及する紗季の表情も柔らかかった。








「ごめん、ごめん。 ……でも、何で検察官になりたいの?」


紗季のことだ、何かちゃんとした理由があるのだろう。







紗季は暫く考えるように足元の花を見ると、こう切り出した。



「…最近、色々な事件が増えてるじゃん?」


「うん。」


挙げていったらきりがない程。




「それでさ、ニュースとか見てると色んな事件の裁判があるけど、被害者の人が納得いかない判決の裁判が増えている気がするなって思ってさ。」


「…そうだね。」



『納得いかない』、『再審を』、…そんな言葉が聞こえるのは日常的だ。







「それ見て思ったんだ。 『裁判って何でするんだろう』って。 …その時は分からなかったけど、最近気付いたんだよね。」


「気付いた?」



何だろう。

私が気付かなくて、紗季なら気が付くこと。










「うん、『人を救う為にするのが裁判なんじゃないか』って。」


紗季は正義感や使命感が強い。




「人を救う……?」


彼女のそんなところは、この職によく似合う。





「そう。 被害者側も、加害者側も助けが必要なんだよ。 その場所が、その人達を助けてあげられる場所が裁判所なんじゃないかなって。 だから。」


真実を追いながら、人を救う。

紗季なら出来るはずだ。






「…なんか、紗季格好良い。」


本気で、そう思わされた。






「ありがとう。 …それで、『あなたはこの位の刑で反省する必要があるんじゃないですか』って1つの提案をして、それについてどう思うか、考えてもらえたらなって。」


照れながらも自分の進みたい道について語る彼女の頬は、夕日のせいもあってか眩しく見えた。






「紗季凄いね、そこまで考えてるなんて。」


私も、そんな夢を見つけられるのだろうか。




「そんな事ないよ、唯の憧れだし。」


いつか、紗季のように目を輝かせてそれについて語れるのだろうか―。







「嘘! もうそんな時間?!」



突然、腕時計に確認をとる紗季。




「どうしたの?」


「今日、塾の振替あったの! すっかり忘れてた。」



紗季の通っている塾は学校の最寄駅から3駅離れている。





「え、大丈夫!?」


「なんとか、あと1時間あるから。 ちょっとダッシュで行くわ、ごめんね!」



紗季の足の速さは有名だ。

去年のマラソン大会でも上位に彼女の名前があった。





「ううん、大丈夫! 頑張ってね、紗季ならきっと間に合うよ!」



そんなところも、また憧れで。



「ありがとう、また明日!」



どうして、私は彼女の友人になれたのだろうか。



「うん、また明日!」




そんな声を背に、紗季は走って行った。









―、1年前のこの時間、この河川敷を。








「……私には、何もないんだ。」



夢も、希望も、友達も。




















9月14日。


進路希望調査の紙が配られた。



紗季はもう将来の夢に向かって進んでいる。




私は何も決まってないのに。












―私には、何もないのに。

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