未来のために
この章は 雅弘 目線です。
俺にとって朱莉が特別な存在になったのはいつからだろう。もちろん塔子もかわいいし、智樹だって手はかかるがかわいい弟だ。
でも朱莉に対しては特別な感情があった。きっと初めから、家の庭で智樹と塔子の4人ではしゃいでいた頃からずっと朱莉を好きだった。年月を重ねる毎に俺の朱莉への気持ちも折り重なる。
ツヤのある漆黒の長い髪。
細い身体から伸びた長い手足。
勝ち気な性格をよく表した強い目。
。 一見クールだが、常に周りを気にかける優しさ。
俺は朱莉をつくるすべての要素を心から愛していた。
3人より1年早く高校を卒業した俺は、大学の入学準備を進めていた。日頃から勉強好きだったから特に受験勉強には力を入れなかった。遠くの大学に行く気は無いし、そんな時間があるなら4人で暮らすための資金を稼いだり、朱莉と一緒にいたかった。
誰かが階段駆け上がってくる音が聞こえて、部屋の扉がノック無しに開かれた。
「兄貴、朱莉が来てるぜ」
智樹だった。
「朱莉?じゃあ部屋に呼んで」
俺は椅子に座ったまま首だけ振り返った。
「俺もそう言ったけど、外で話したいらしいよ」
俺はテキストを閉じて立ち上がり、近くにあったシャツを1枚はおった。
「兄貴」
「なんだよ?」
智樹はわざわざ横まで寄って来て、ニヤニヤしながら肩を組み小声で呟いた。
「避妊には気をつけろよ!」
「…………アホ」
智樹の手をため息混じりに払い除け、階段を駆け降り玄関に向かった。
「いきなりごめんね!時間大丈夫だった?」
俺が笑顔で大丈夫と答えると、朱莉も笑顔を返した。課題はまた後でやろう、そう思いながら家を出た。
並んで歩くと朱莉はすぐに手をつなぐ。朱莉の手はいつも俺より冷たい。
「ドコ行く?」
しばらく世間話をした後そう聞いた。
「雅弘、海……海に行きたいな」
「海……朱莉何かあったのか?」
朱莉が俺を海に誘う時は大切な話がある時だ。朱莉は着いたら話すね、と言って話題を世間話に戻した。
10分程歩くと広い海が見えてくる。空は水色からオレンジに染まり始めていた。
「寒くない?」
「このくらいなら平気。」
俺達は手をつないだまま砂浜のコンクリートに座った。
「……で、どうした?」
体操座りの朱莉は一つ息をついた。
「私ね、少しココを離れようと思ってるの」
朱莉の手を握る力が少し強くなった。
朱莉が最近悩んでいるのに気付いていた。朱莉は意思が強い。だから相談なり報告なりされるまで俺は敢えて何も聞かなかった。
朱莉の父親は世界の民族研究をしていて、朱莉と母親を残してよく単身で世界を飛び回っていた。朱莉も中学の頃くらいから研究に興味を持ち始め、その方面に進もうと考えていた。
そんな時に父親が来週からまた他国に行く事が決まり、今回は朱莉と母親も付いていくことにしたのだ。
「高校はどうするの?」
「辞める。帰って来たらお父さんの研究室に入れてもらって研究を続けようと思ってる」
まだ冷たい春の潮風が朱莉の髪をなびかせていた。
「朱莉が自分で決めたんだろ?」
「うん」
「じゃあ精一杯がんばれ。じゃなきゃ後悔するだろ」
「うん」
俺は1年間朱莉と離れる覚悟をした。きっと1年なんてきっとあっという間だ、自分に言い聞かせた。
「それでね……塔子になんて言ったらいいかな…?」
しばらく続いた沈黙を朱莉が破った。
「4人でずっと一緒にいるって言ったのに……。離れること怒ったりしないかな?」
多分、朱莉の心配は最初から俺じゃなくて塔子だったんだろう。さっきまでいつもの強い目だったのに、塔子の話になるとすぐ目を赤くなった。
「思ってることをありのままに話せ。お前が泣いたら塔子も泣くぞ」
俺は朱莉に優しく笑いかけた。
「塔子…智樹がいるから私がいなくても大丈夫かな。もう私のこと必要だと思ってくれてないよね……」
小さく震える朱莉の手に雅弘は力を加えた。
「朱莉は俺さえいれば塔子も智樹も要らない?」
朱莉は首を横に振った。
「じゃあ塔子も同じだよ。俺も智樹も同じだ。朱莉は朱莉の為に勉強しに行くんだから少し離れる事を塔子が怒る訳ない。みんなお前を応援するよ」
朱莉は小さく頷いた。
「これから2人に話に行く。…雅弘も来てくれる?」
「当たり前だろ。お前が泣いたら話出来るヤツがいなくなるからな」
「泣かないよ!」
朱莉は口を尖らせていつもの口調に戻った。
俺は朱莉にキスをした。自分に頼ってくれたのが嬉しかったし、いつもはカッコイイ朱莉が今日はとてもかわいく感じられた。
唇を離し笑うと、朱莉は照れ隠しをしながら立ち上がった。
「雅弘ありがと。今ので勇気もらった!」
すっかり暗くなった浜辺でサーチライトは、いつも通りキレイでカッコイイ朱莉を照らしていた。
その夜、施設をこっそり抜け出した塔子と空手の帰りの智樹を呼び出した。
「……そういう事で私、来週から1年間行ってこようと思ってるの」
「来週って、そんな急に……」
「ごめんね塔子。いきなり決まったから」
朱莉も塔子も目に涙が溜まり始めていた。
「あっちにずっと住んだりしないよね?」
「それは無い。絶対戻ってくるから」
塔子は何度も何度も帰って来ることを確認した。朱莉と離れるのがどれだけ嫌なのかが伝わった。
しばらくして黙って話を聞いていた智樹が口を開いた。
「朱莉、塔子のことは俺と兄貴にまかせて、お前はちゃんと勉強しに行ってこい」
「智樹……」
「そのかわり絶対1年で戻れよ!お前が帰って来る頃には塔子が18歳になって4人で一緒に住めるようになるんだ。約束は守もれよ!」
朱莉は穏やかに笑って頷いた。
「それは絶対守る。1年間がんばって、来年の今頃には私が塔子を迎えに行くよ」
「朱莉〜」
塔子は朱莉に抱きついて泣いてしまった。
「塔子〜、抱きつくなら俺にしろよ〜!」
手を広げて本気で情けない声を出す智樹を俺と朱莉は笑った。