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第9話 聖女様の強制労働と、泥だらけの改心

「カイル様ぁぁぁ! お待ちになって! 私を置いていかないでぇぇ!」


死の荒野に、悲痛な叫び声が木霊した。

しかし、その声が届くはずもない。

カイル王太子が乗った馬車は、すでに砂煙の彼方へと消えていたからだ。

あろうことか、彼は自らの恋人であり、国の象徴であるはずの「聖女」を、敵陣のど真ん中に置き去りにして逃げたのである。


「うぅ……ひどい……なんてひどい……」


マリアベルは地面に崩れ落ち、泥だらけの手で顔を覆って泣きじゃくった。

厚塗りのファンデーションが涙と泥で混ざり合い、顔面はドロドロのマーブル模様になっている。

かつて社交界で「妖精のようだ」と崇められた姿は見る影もない。


そんな彼女を見下ろす、二つの影があった。


「……さて。どうする?」


レンさんが、まるで生ゴミを見るような冷ややかな目でマリアベルを見下ろしている。

その手にはシャベルが握られており、いつでも「埋める」準備は万端といった雰囲気だ。


「ま、待ってくださいレンさん! 埋めないで!」


私は慌ててレンさんの腕を掴んだ。

放っておいたら、本当に「産業廃棄物」として処理してしまいそうだ。


「だがフローリア、こいつは君を虐げていた張本人だろう。それに、先ほどまで君を『魔女』呼ばわりしていたぞ」


「それはそうですけど……でも、見捨てられたところを見ると、なんだか可哀想になっちゃって」


私はしゃがみ込み、マリアベルに視線の高さを合わせた。


「ごきげんよう、マリアベル様。随分とワイルドな格好になられましたね」


「ヒッ……!?」


マリアベルは顔を上げ、私を見ると震え上がった。

今の私――艶やかな肌に、上質なドレスを身に纏い、余裕の笑みを浮かべる姿――は、彼女の目にはさぞかし恐ろしい「魔女」に映っていることだろう。


「こ、来ないで! 私を食べないで!」


彼女はジリジリと後ずさりする。


「食べませんよ。美味しくなさそうですし」


「失礼ね!? 私は王太子の婚約者よ! 私に指一本でも触れたら、国が黙っていないわよ!」


「その国に見捨てられたのが、今の貴女の状況ですが?」


私が事実を突きつけると、マリアベルは「うっ」と言葉を詰まらせた。

図星を突かれて何も言い返せないらしい。

彼女の視線が泳ぎ、そして私の背後にいるレンさん(超怖い顔)と、周囲を取り囲む不気味な植物たち(超強そう)を見て、絶望を悟ったようだ。


「……殺すの?」


彼女は震える声で聞いた。


「まさか。私、平和主義者ですから」


私はニッコリと微笑んだ。

そして、彼女の手を取り、強引に立たせた。


「ようこそ、私の楽園へ。これからたっぷり『更生』していただきますから、覚悟してくださいね?」


        ◇


世界樹の中にあるゲストルーム(元は物置だった空洞)。

そこにマリアベルを連行した私は、まず彼女を椅子に座らせた。


「まずは、その汚い化粧を落としましょうか」


「や、やめて! 素顔を見られたくないの!」


抵抗するマリアベルを、レンさんが無言で押さえつける。

私は蒸しタオル(熱湯の実で作った)で彼女の顔を拭き取った。


ゴシゴシ。


「きゃあああ! 私の『聖女の輝き(厚塗り)』がぁぁ!」


化粧が落ちると、そこ現れたのは――。


「……うわぁ」


私は思わず声を漏らしてしまった。

目の下には濃いクマ。肌はガサガサに荒れ、あちこちに吹き出物がある。

唇はカサつき、全体的に顔色が土気色だ。


「こ、これは……最近ちょっと忙しくて寝不足なだけよ!」


マリアベルは必死に顔を隠そうとする。

私は植物学者の目線で、彼女を診断した。


「マリアベル様。貴女、完全に『根腐れ』してますよ」


「は? 根腐れ?」


「はい。不規則な生活、偏った食事、過度なストレス、そして厚化粧による皮膚呼吸不全。植物で言えば、水をやりすぎて根っこが腐りかけている状態です」


さらに、彼女が着ているドレスの背中の紐を緩めると、お腹周りのお肉が「ボンッ」と解放された。

コルセットで無理やり締め上げていたらしい。


「それに、内臓も悲鳴を上げています。このままだと、魔力が枯渇するどころか、若くして病気になりますよ」


「そ、そんな……」


マリアベルは青ざめた。

美貌と若さを売りにしていた彼女にとって、それは死刑宣告にも等しい言葉だったろう。


「でも、安心してください。私が治してあげます」


私はポンと彼女の肩を叩いた。


「ここには最高級の食材と、新鮮な空気、そして適度な運動(労働)があります。私に従えば、一ヶ月でその肌をツルツルに、体型をスッキリさせてみせましょう」


「ほ、本当?」


マリアベルの目に、縋るような光が宿る。


「はい。ただし――」


私は人差し指を立てた。


「タダではありません。ここでは『働かざる者食うべからず』がルールです。私の農作業を手伝ってもらいます。お給料は『美貌』と『健康』。どうですか?」


マリアベルは葛藤した。

元男爵令嬢とはいえ、王宮での贅沢に慣れきった彼女にとって、肉体労働などあり得ない。

しかし、お腹は正直だ。

グゥゥゥゥ……と、情けない音が部屋に響いた。


カイルに見捨てられ、帰る場所もなく、所持金もない。

彼女に残された道は一つしかなかった。


「……わかったわよ」


マリアベルは涙目で頷いた。


「やればいいんでしょ、やれば! 私が本気を出せば、農作業なんてちょちょいのちょいよ!」


「契約成立ですね! レンさん、監視をお願いします」


「承知した。サボったら埋める」


「ひぃっ!」


こうして、自称聖女の強制労働ダイエット生活が始まったのである。


        ◇


翌朝。

マリアベルは、私が貸したジャージ(植物繊維で編んだ動きやすい服)に着替えさせられ、畑に立っていた。


「……なんで私がこんなことを」


彼女の手には、小さな鎌が握られている。

目の前には、雑草が生い茂る広大なエリア。


「さあ、マリアベルさん! 今日のノルマはそこからあそこの岩まで、草むしりをお願いします!」


私が指示を出すと、マリアベルは「ふん!」と鼻を鳴らした。


「見てなさい! 私の光魔法で一瞬で終わらせてやるわ!」


彼女は杖を構えた。


「《聖なる光よ、不浄なる草を焼き払え(ホーリー・ライト)》!」


キラキラキラ……。

杖の先から、淡い光の粒が出て、雑草に降り注いだ。

まるでイルミネーションのように美しい。


しかし。

雑草は枯れるどころか、光合成をしてさらに青々と元気になってしまった。


「えっ? なんで?」


「あー、やっぱり」

私はため息をついた。


「マリアベルさんの光魔法って、熱量も質量もない『演出用』の光ですよね? 植物にとってそれはただの『ご馳走』です。むしろ成長促進させちゃいましたね」


「嘘でしょぉぉぉ!?」


マリアベルは愕然とした。

今まで「聖なる力」だと持て囃されてきた魔法が、農業においては逆効果だなんて。


「魔法禁止です。手で抜いてください。腰を入れて、根っこから!」


「うぅ……こんなの虐待よぉ……」


マリアベルは泣きながら、手作業で草を抜き始めた。

最初のうちは「爪が汚れる」「虫がいる」と文句ばかり言っていたが、後ろでレンさんが無言でシャベルを磨いている音が聞こえるたびに、必死になって手を動かした。


一時間後。

マリアベルは汗だくになって地面にへたり込んだ。


「も、もう無理……指が動かない……」


「お疲れ様です。初めてにしては頑張りましたね」


私は冷たい水が入った木筒を渡した。

中身は、レモンとハーブを入れた特製デトックスウォーターだ。


「水……!」


マリアベルはひったくるように受け取り、一気に飲み干した。


「ぷはぁっ! ……な、なにこれ? すごく美味しい……」


乾き切った体に、酸味と香りが染み渡っていく。

ただの水なのに、甘露のように感じる。


「労働の後の水分補給は格別でしょう? さあ、お昼ご飯にしましょうか」


        ◇


今日のランチは、マリアベル歓迎(兼、更生プログラム)メニューだ。


テーブルに並べられたのは、色鮮やかな野菜料理の数々。

『七色野菜の宝石サラダ』

『根菜たっぷりミネストローネ』

『大豆ミートのハンバーグ』


肉はない。油も控えめ。

しかし、ボリュームは満点だ。


「……肉は? ステーキとかないの?」


マリアベルは不満そうに皿を見た。


「今の貴女の胃腸に脂っこいお肉を入れたら、消化不良で倒れます。まずは野菜で体内を浄化しないと」


「ちぇっ。……まあいいわ、いただくわ」


マリアベルは渋々、フォークでハンバーグを刺し、口に運んだ。

大豆で作った代替肉だとは気づいていないだろう。


モグモグ……。


「んっ!?」


マリアベルの目が丸くなった。


「これ、本当にお肉じゃないの? すごくジューシーで、噛むと旨味が溢れてくるわ!」


「大豆を魔法で熟成させて、お肉の食感に近づけたんです。ソースも特製のタマネギソースですよ」


「美味しい……! 悔しいけど、王宮の料理より美味しいかも……!」


マリアベルのフォークが止まらない。

次にサラダを食べる。

シャキシャキとしたレタス、甘いトマト、ほろ苦いルッコラ。

野菜本来の味が濃いので、ドレッシングがなくても十分に美味しい。


「このスープも……体がポカポカするわ」


ミネストローネには、生姜や薬膳効果のあるハーブがたっぷりと溶け込んでいる。

飲むそばから、マリアベルの土気色だった顔に赤みが差していくのが分かった。

滞っていた血流が巡り始めた証拠だ。


「ふぅ……美味しかった……」


完食したマリアベルは、満足げにお腹をさすった。

そして、ハッと気づいたように自分の頬に触れた。


「あれ? なんだか肌がしっとりしてる……?」


「効果が出始めたようですね。この野菜たちには、魔力による美容効果が付与されていますから」


私が手鏡を渡すと、マリアベルは覗き込んだ。

クマが薄くなり、肌にツヤが出ている。

たった一食で劇的な変化だ。


「すご……何よこれ、どんな高級クリームより効くじゃない」


マリアベルは鏡の中の自分に見惚れ、それからポツリと言った。


「……私、ずっと無理してたのかな」


「え?」


「王宮で、聖女らしく振る舞わなきゃって。カイル様に愛されなきゃって。だから厚化粧して、コルセットで締め上げて、嫌いな甘いお菓子も『美味しい』って笑って食べて……」


彼女の声が震え始めた。

虚勢を張っていた鎧が、美味しいご飯と労働で剥がれ落ちたようだ。


「でも、結局捨てられちゃった。……私、何だったんだろう」


大粒の涙が、テーブルに落ちた。

根っからの悪人というよりは、彼女もまた、王宮という歪な環境の被害者だったのかもしれない。

カイル王太子の見栄のために利用され、消費されたという意味では、私と同じだ。


私はそっと、ハーブティーを彼女の前に置いた。


「マリアベル様。カイル殿下のために綺麗になるなんて、もったいないですよ」


「え……?」


「貴女は、自分のために綺麗になるべきです。ここでの生活で本物の美しさを手に入れて、いつかカイル殿下を見返してやりましょう。『あーあ、こんないい女を捨てるなんて、あんたバカね』って、笑い飛ばせるくらいに」


私の言葉に、マリアベルはきょとんとし、それからフフッと小さく笑った。


「……そうね。あんな男、こっちから願い下げよ」


彼女は涙を拭い、顔を上げた。

その表情は、昨日までのヒステリックなものではなく、憑き物が落ちたようにスッキリとしていた。


「わかったわ、フローリア。私、ここで働く。働いて、世界一の美女になってやるわ!」


「その意気です。では、午後は畑の耕作をお願いしますね」


「えぇーっ!? まだやるの!?」


「食べた分は消費しないと。ダイエットですよ?」


「鬼! 悪魔! ……植物オタク!」


文句を言いながらも、マリアベルはジャージの袖をまくり上げ、再び畑へと向かっていった。

その背中は、以前よりも少しだけ逞しく見えた。


        ◇


「……意外と馴染んでいるな」


食後のコーヒーを飲みながら、レンさんが呟いた。

私たちはテラス席から、マリアベルが悪戦苦闘しながらクワを振るう姿を眺めていた。


「根は真面目な子なのかもしれません。それに、彼女の光魔法、使いようによっては便利なんですよ」


「便利? 雑草を育てる以外にか?」


「はい。さっき気づいたんですけど、彼女の光魔法って『紫外線』を含んでるんです。だから、適度に当てれば殺菌効果があるし、キノコ栽培の原木に照射すれば、最高級の椎茸ができるかも」


「……君は、聖女をキノコ栽培係にする気か?」


「適材適所です!」


レンさんは肩を震わせて笑った。


「君には敵わないな。敵だった人間さえも、自分の庭の一部にしてしまう」


「そうですか? 私はただ、みんなが元気でいてくれたら嬉しいだけです」


私が笑うと、レンさんは真剣な眼差しで私を見つめた。


「フローリア。……俺も、君の庭の一部になれているだろうか」


「えっ?」


突然の問いかけに、ドキリとする。


「俺は、君の役に立っているか? 君の隣にいても、いいのだろうか」


レンさんの目には、珍しく不安の色が浮かんでいた。

最強の公爵様が、こんな顔をするなんて。

私は迷わず、彼の手を両手で包み込んだ。


「何言ってるんですか。レンさんがいなかったら、私、とっくに魔物に食べられてますよ。それに……」


私は少し顔を赤らめて、本音を伝えた。


「レンさんがいてくれるから、ご飯が美味しいんです。綺麗な景色が、もっと綺麗に見えるんです。……だから、レンさんは私の庭に絶対に必要な人です!」


言い切ってから、恥ずかしさで爆発しそうになった。

ほぼ告白じゃないか、これ。


レンさんは目を見開き、それから愛おしそうに目を細めた。

彼は私の手を引き寄せ、その指先にキスをした。


「……ありがとう。俺も、ここが俺の帰る場所だと思っている」


甘い空気が流れる。

二人の距離が近づく。

あ、これ、キスする流れかも――


「ぎゃああああ! ミミズぅぅぅ! デカいミミズが出たぁぁぁ!」


畑の方から、マリアベルの絶叫が聞こえてきた。


「……」

「……」


私たちは顔を見合わせ、同時に吹き出した。


「ふふっ、ムードぶち壊しですね」

「まったくだ。……まあ、退屈はしないな」


レンさんは立ち上がり、シャベルを手に取った。


「行ってくる。あの聖女様が気絶する前に」


「お願いします、庭師さん!」


私は彼の背中を見送りながら、幸せを噛み締めた。

騒がしくて、忙しくて、でも温かい。

これが、私の求めていた「スローライフ」なのかもしれない。


しかし。

平穏な日々は長くは続かないのが、物語の常である。


数日後。

帝国のジークさんから、緊急の通信が入った。


『閣下! 大変です! 皇帝陛下が……貴方の父上が、「孫の顔が見たい」と仰って、自ら「死の荒野」へ向かわれました!』


「……は?」


レンさんの顔が、今まで見たことないくらい引きつった。


「孫……? 誰のことだ?」


『もちろん、フローリア様との間にできた(と勘違いされている)お子様のことですよ! 「隠し子がいるなら連れて帰る」とノリノリです!』


「……」


最強の竜公爵、最大のピンチ到来。

そして私、皇帝陛下をおもてなしすることに!?

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