第8話 王太子軍来襲!迎え撃つは庭師と、恐怖の野菜たち
正午。
じりじりと肌を焼くような太陽の下、大地を揺るがす地響きが荒野に響き渡っていた。
サンタリア王国軍、総勢五百五十名。
カイル王太子が率いる「魔女討伐隊」は、圧倒的な威容を誇っていた。
煌びやかな鎧に身を包んだ近衛騎士たち、杖を掲げた宮廷魔導師団、そして中央には王太子の乗る豪奢な馬車。
砂煙の向こうに、緑の壁――世界樹の森が見えてくると、カイルは馬車の窓から身を乗り出し、勝利を確信した笑みを浮かべた。
「見ろ、マリアベル! あれが罪深き魔女の城だ!」
隣に座るマリアベルが、扇子で口元を隠しながら媚びた声を出す。
「まあ、なんて忌々しい……。あんな森、カイル様の聖なる炎で焼き払ってしまいましょう」
「ああ、もちろんだ。フローリアの首を刎ね、あの土地を我が国の新たな穀倉地帯とする。これで国民の支持も盤石だ」
カイルの頭の中には、すでに勝利の凱旋パレードの光景が浮かんでいた。
たかが女一人が作った庭だ。
どんなに強力な魔物がいたとしても、国の精鋭部隊の前には無力。
彼はそう信じて疑わなかった。
「全軍、停止!」
森から三百メートル手前で、カイルは号令をかけた。
砂煙が晴れていく。
すると。
森の入り口、一本道の真ん中に、人影があるのが見えた。
たった一人。
白いシャツに、土で汚れたズボン。
手には武器ではなく、なぜか『シャベル』を持った男が立っていた。
「……なんだ、あれは?」
カイルは眉をひそめた。
騎士団長のバードが馬を寄せてくる。
「殿下、報告にあった『魔王のような男』かと思われます! ですが……どう見ても庭師ですな」
騎士たちの間に、クスクスという失笑が広がった。
大軍を前にして、農具を持った男が一人。
あまりにも滑稽な光景だ。
カイルは拡声魔法を使い、大声で呼びかけた。
「おい、そこの下賤な男! 我々はサンタリア王国軍だ! 魔女フローリアを出せ! 抵抗するなら容赦はしないぞ!」
男――レンは、ピクリとも動かなかった。
ただ、静かにシャベルを地面に突き刺し、よく通る低い声で答えた。
「ここは私有地だ。立ち入りも、勧誘もお断りしている。帰れ」
「は……?」
カイルは耳を疑った。
五百の軍勢を前にして、「帰れ」だと?
「き、貴様、状況が分かっているのか!? これだけの戦力を前にして……」
「数など関係ない。害虫が五百匹いようが、駆除される運命は変わらん」
レンは冷ややかな目で軍勢を見渡した。
その目は、人間を見る目ではなかった。
庭を荒らすバッタやナメクジを見るような、無慈悲で絶対的な捕食者の目。
カイルの背筋に、冷たいものが走った。
だが、プライドが恐怖を塗りつぶす。
「おのれ、不敬極まりない! 魔導師団、構え! あの男ごと森を焼き払え!」
カイルの命令で、五十人の宮廷魔導師が一斉に杖を掲げた。
詠唱が始まり、空気が震える。
「《炎よ、集いて槍となれ(ファイア・ジャベリン)》!」
「《爆炎の嵐》!」
無数の炎の魔法が、レンめがけて放たれた。
空を埋め尽くす紅蓮の雨。
直撃すれば、岩さえも溶かす火力だ。
「死ねぇぇっ!」
カイルが叫んだ、その時だった。
レンが、面倒くさそうに片手を振った。
まるで、顔の前のハエを追い払うかのように。
ヒュンッ。
ただの「風圧」が生まれた。
いや、それは風圧などという生易しいものではなかった。
大気が圧縮され、見えない刃となって炎の雨に衝突した。
ボォォォォォンッ!!
魔法がかき消された。
炎はレンに届くことすらなく、空中で霧散し、ただの熱風となって消滅したのだ。
「な……ッ!?」
カイルは口をあんぐりと開けた。
魔導師たちも、何が起きたか分からず呆然としている。
「魔法を……素手で弾いた……?」
「馬鹿な、あんな芸当、人間技ではない!」
ざわめく軍勢をよそに、レンは再びシャベルを構えた。
「警告はした。……次は手加減しない」
そして、彼は森の奥へ向かって小さく合図を送った。
「フローリア。準備はいいか」
◇
森の中、世界樹の展望台(高い枝の上)にて。
「はいっ! いつでもオーケーです!」
私は双眼鏡(魔道具)を覗きながら、元気よく答えた。
隣では、ジークさんが顔面蒼白で震えている。
「フ、フローリア様……本当にやるのですか? 相手は一国の正規軍ですよ?」
「だからこそです! 私の可愛い子供たち(植物)の実力テストにはもってこいじゃないですか!」
私は足元のレバー(蔦で作った操作盤)を握った。
眼下の森には、私が徹夜で配置した『おもてなし用植物』たちが、今か今かと出番を待っている。
「第一陣、放水開始!」
私がレバーを倒すと、森の最前列に並んでいた巨大な緑の球体が震え出した。
それは、【放水スイカ(ウォーター・メロン・キャノン)】。
中身の果汁を高圧で発射する、私の自信作だ。
ズドドドドドドッ!!
スイカの先端から、真っ赤な果汁ビームが発射された。
その威力は、消防車の放水ホースの十倍以上。
「うわああああっ!?」
「な、なんだこの赤い水は!?」
「べたべたする! 前が見えない!」
最前列の騎士たちが、甘いスイカジュースの濁流に飲み込まれていく。
鎧の隙間に果汁が入り込み、甘い匂いに包まれて動きが鈍る。
「ひるむな! ただのジュースだ!」
指揮官が叫ぶが、そこへ私が用意した「第二の矢」が飛ぶ。
「いけっ、【蜂寄せの蜜柑】爆弾!」
ポン、ポン、ポンッ!
投石器のような植物から、オレンジ色の果実が撃ち出された。
騎士たちの頭上で果実が弾け、濃厚な柑橘系の香りが広がる。
この香りは、荒野に住む『殺人蜂』が大好きなフェロモンを含んでいるのだ。
ブゥゥゥゥン……。
遠くから、羽音が聞こえてきた。
黒い雲のような蜂の大群が、甘い匂いにつられて急行してくる。
「は、蜂だーっ!!」
「逃げろ! 刺されたら死ぬぞ!」
「ジュースを洗い流せ! 早く!」
騎士団は大パニックに陥った。
重い鎧を着たまま、甘い汁にまみれ、蜂に追いかけ回されるエリート騎士たち。
地獄絵図だ。
「よしよし、いい感じに混乱してますね」
「……フローリア様。貴女、意外と容赦がないですね」
ジークさんが引きつった顔で呟く。
私は首をかしげた。
「え? でも殺してませんよ? ちょっとベタベタして痒くなるだけです」
「それが一番精神的に来るんですよ……」
「さあ、ここからが本番です。レンさんの負担を減らすために、魔導師団を無力化します!」
私は次のレバーを引いた。
◇
戦場はカオスと化していた。
「ええい、落ち着け! 氷魔法で蜂を落とせ!」
カイル王太子は馬車の中で叫んでいた。
プライドの高い彼にとって、自分の軍が「果汁」と「虫」に翻弄されている現実は屈辱以外の何物でもない。
魔導師団が杖を構え直す。
だが、その足元で、異変が起きた。
地面の土がポコポコと盛り上がり、可愛らしい双葉が顔を出したのだ。
それは瞬く間に成長し、巨大な「豆の木」となった。
「なんだ、これ……ぐあっ!?」
一人の魔導師が吹き飛んだ。
豆の木の鞘が開き、中から『ボクシンググローブの形をした豆』が飛び出して、魔導師のアゴを強打したのだ。
【拳闘枝豆】。
動くものに反応して、高速のジャブを繰り出す武闘派野菜である。
バシッ! ドカッ! ボゴッ!
「あだっ!?」
「鼻が! 私の高い鼻が!」
「詠唱ができな……ぶべラっ!」
あちこちで魔導師たちが豆に殴られ、杖を取り落としていく。
物理攻撃に弱い魔導師たちにとって、接近戦最強の枝豆は天敵だった。
「おのれ……おのれぇぇぇ!」
カイルは顔を真っ赤にして、馬車から飛び出した。
腰の聖剣を抜き放つ。
「こうなったら、私が直接あの男を斬る! 雑魚どもは下がっていろ!」
カイルは王家の血筋だけあって、剣の腕はそれなりに立つ。
彼はレンに向かって一直線に走った。
「見つけたぞ、庭師風情が! 貴様さえ倒せば、このふざけた植物どもも止まるはずだ!」
レンは、近づいてくるカイルを冷めた目で見つめていた。
シャベルを地面に突き刺したまま、動こうともしない。
「なめるなァァァッ!」
カイルが跳躍し、聖剣を振り下ろす。
必殺の一撃。
しかし。
レンはため息を一つつき、右手の人差し指と親指だけで、その剣身をつまんだ。
パシッ。
「……は?」
カイルの動きが止まった。
全力で振り下ろした剣が、指先だけで止められている。
押しても引いても、岩山に刺さったように動かない。
「剣の握りが甘い」
レンは低い声で言った。
「それに、踏み込みも浅い。腰が入っていない。そんなへっぴり腰で、何を守れる?」
「き、貴様……何者だ……!?」
カイルは戦慄した。
至近距離で対峙して初めて分かった。
この男から溢れ出る、底なしの魔力。
王族である自分さえも押し潰しそうな、圧倒的な「格」の違い。
「俺か?」
レンはニヤリと笑った。
その瞬間、彼の背後に幻影が見えた。
天を覆う翼を持ち、すべてを焼き尽くす、巨大な黒竜の幻影が。
「ただの庭師だと言ったはずだが?」
レンが指を弾く(デコピンの要領で)。
カキンッ!
聖剣が、飴細工のように砕け散った。
「あ……あ……」
カイルは腰を抜かし、地面に尻餅をついた。
砕けた剣の破片がキラキラと舞う中、レンが一歩踏み出す。
たった一歩。
それだけで、カイルの心臓は恐怖で破裂しそうになった。
「ひ、ひぃぃぃッ! くるな、くるなぁぁ!」
カイルは涙と鼻水を流しながら、後ろへ這って逃げた。
王太子の威厳など、欠片もない。
「殿下をお守りしろ!」
「化け物だ! 逃げろぉぉ!」
騎士たちも完全に戦意を喪失していた。
スイカまみれになり、豆に殴られ、そして最強の男に睨まれた彼らに、戦う気力など残っているはずがない。
「撤退だ! 全軍、撤退ーッ!」
誰かの叫び声を合図に、サンタリア王国軍は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
我先にと馬に乗り、あるいは自分の足で、来た道を必死に戻っていく。
砂煙を上げて逃げ去る背中を見送りながら、レンはゆっくりとシャベルを抜いた。
「……やれやれ。騒がしい連中だ」
◇
「勝ちましたーっ!!」
私は世界樹の上からジークさんと共に降りてきて、レンさんに抱きついた。
勢い余ってタックル気味になったけれど、レンさんはしっかりと受け止めてくれた。
「レンさん、すごいです! あの王太子殿下の剣を指で止めるなんて!」
「……ああ。君の植物たちの援護のおかげだ」
レンさんは私の頭を撫でてくれた。
その手は大きくて温かい。
「しかし、あの豆は驚いたな。いい右フックが入っていた」
「ふふっ、あれは【拳闘枝豆】のチャンピオン株です! 後で褒めてあげないと」
「……あの、閣下。いえ、レン」
後ろから、疲れ切った顔のジークさんが声をかけてきた。
「お二人とも、勝利の余韻に浸っているところ申し訳ありませんが……これ、どう収拾をつけるおつもりで?」
ジークさんが指差したのは、逃げていった王国軍が残していった大量の物資だ。
食料、テント、武器、そしてなぜか置き去りにされた高級馬車が一台。
「あら、戦利品ですね! 肥料に使えそうなものがいっぱい!」
「いえ、そういう問題ではなく……。これでサンタリア王国とは完全に敵対関係になりました。向こうは『魔王軍に襲われた』と世界中に吹聴するでしょう」
ジークさんは頭を抱えた。
確かに、スイカと枝豆と庭師に負けたなんて恥ずかしくて言えないだろうから、話を盛りに盛って「伝説の魔物」のせいにすることは目に見えている。
「構わん」
レンさんは平然と言い放った。
「むしろ好都合だ。ここが『魔境』として恐れられれば、誰も近づかなくなる。我々のスローライフは守られるというわけだ」
「……閣下がそう仰るなら」
ジークさんは諦めたように眼鏡を拭いた。
「それに、今回の件で帝国本国も動かざるを得ません。私が戻って、皇帝陛下に報告します」
「えっ、ジークさん、帰っちゃうんですか?」
私が残念そうに言うと、ジークさんは優しく微笑んだ。
「はい。ここにいると、胃がいくつあっても足りませんので。……それに、閣下の『正体』を知る者が、王国側にも出てくるかもしれません。先手を打っておく必要があります」
正体?
レンさんの正体って、やっぱりすごい庭師さんなのかな。
「フローリア様。貴女のワインとチーズ、最高でした。……どうか、あの不器用な友人をよろしく頼みます」
ジークさんは私に深々と頭を下げ、それからレンさんと無言で拳を合わせると、風のように去っていった。
さすがレンさんのお友達。去り際もクールだ。
「行っちゃいましたね」
「ああ。……だが、これで俺たち二人きりだ」
レンさんがぽつりと言った。
その言葉に、また胸がトクンとなる。
「ふ、二人きりって言っても、植物たちがいっぱいいますけどね!」
「そうだな。……賑やかでいい」
レンさんは嬉しそうに森を見渡した。
そこには、戦いを終えて満足げに葉を揺らす植物たちの姿があった。
スイカも、枝豆も、スミレも、みんな私たちの家族だ。
「さあ、レンさん。お掃除しましょう! 騎士さんたちが落としていった鎧とか、鉄分補給にちょうどいいですから、土に埋めないと!」
「……君の発想は、時々魔王より怖いな」
私たちは笑い合いながら、戦場の後片付けを始めた。
こうして、第一次「魔女の森」防衛戦は、私たちの圧勝で幕を閉じた。
しかし、これで終わりではなかった。
逃げ帰ったカイル王太子が広めた噂は、やがて大陸中を巻き込む大騒動へと発展し、ついには帝国の皇帝陛下までが「息子の嫁の顔が見たい」と視察に来る事態を引き起こすのだが……。
それはまた、別のお話。
とりあえず今夜は、戦勝祝いの『枝豆パーティー』だ。
ビール(麦から醸造中)に合うんだよね、これ。
私は鼻歌を歌いながら、今日一番の大きな枝豆を収穫した。
平和な日常が、戻ってきた……はずだった。
「……ん?」
片付けをしていたレンさんが、落ちていた王家の紋章旗を拾い上げ、何かを見つめていた。
「どうしました?」
「いや……奴ら、一つだけ厄介なものを置いていったようだ」
レンさんが示した先。
置き去りにされた馬車の中から、小さな影が這い出してくるのが見えた。
「うぅ……ひどい目に遭いましたわ……」
泥だらけのドレス。崩れた厚化粧。
そこにいたのは、逃げ遅れた(というよりカイルに見捨てられた)自称聖女、マリアベルだった。
「げっ」
私は思わず声を上げてしまった。
一番面倒なのが残っちゃったかも。




