第5話 空から降ってきたのは「愛」でした
死の荒野での生活も四日目を迎えた。
私たちの朝は、黄金色の収穫から始まる。
「よいしょ、よいしょ……」
私は畑の畝の間を歩きながら、ずっしりと重い作物を籠に入れていた。
今日、収穫を迎えたのはトウモロコシだ。
ただのトウモロコシではない。私の魔力をたっぷりと吸って育った、【黄金蜜コーン】である。
皮を剥くと、現れるのは名前の通り黄金に輝く粒たち。
一粒一粒が宝石のように大きく、パンパンに張っていて、今にもはち切れそうだ。
朝露に濡れてキラキラと光るその姿は、農作物というより芸術品に近い。
「レンさーん! 朝ご飯の材料、採れましたよー!」
「ああ、今行く」
薪割りをしていたレンさんが、斧を置いてやってくる。
彼は私の持っている籠を見ると、ひょいと軽々と取り上げてくれた。
「……相変わらず、とんでもない魔力濃度だな。このトウモロコシ一本で、下級ポーション十本分の回復量がありそうだ」
「またまたぁ。ただの甘いトウモロコシですよ。今日はこれをスープにしますね!」
私はレンさんと並んでキッチン(世界樹の根元に作った調理スペース)へ戻った。
今日のメニューは、『黄金蜜コーンの冷製ポタージュ』と、『雲小麦の焼き立てパン』だ。
まずはスープ作り。
生のトウモロコシの実を包丁で削ぎ落とす。
ザクッ、ザクッという音と共に、切り口から乳白色の果汁が溢れ出し、甘い香りがふわりと立ち昇る。
この品種は、生でかじってもフルーツのように甘いのが特徴だ。
鍋に少量のバター(ミルクの木から採れたミルクを攪拌して作った自家製)を溶かし、刻んだトウモロコシを炒める。
ジュウウウッ……という音と共に、香ばしいバターとコーンの匂いが混ざり合い、それだけでお腹が鳴りそうな破壊力を持つ香りが広がる。
「いい匂いだ……」
レンさんが横でゴクリと喉を鳴らした。
「ここからが本番ですよ」
炒めたコーンを裏ごしし、ミルクを加えて弱火で煮込む。
余計な調味料はいらない。塩をほんのひとつまみ入れるだけで、素材の甘みが爆発的に引き立つからだ。
とろりとした黄金色のスープを、氷魔法で冷やした器に注ぐ。
仕上げに、乾燥パセリとクルトンを散らして完成だ。
パンの方は、世界樹の熱を利用した石窯で焼き上がったばかり。
外はパリッと香ばしく、中は空気を含んでふわふわの『雲小麦』を使ったパンだ。
「さあ、召し上がれ!」
木漏れ日の下のテーブルに並べると、そこは最高級ホテルのテラス席に早変わりだ。
レンさんは席に着くと、待ちきれない様子でスプーンを手に取った。
「いただきます」
彼はスープをひと匙すくい、口へと運ぶ。
その瞬間、レンさんの動きが止まった。
「――っ」
彼の瞳孔が開き、目が見開かれる。
濃厚なトウモロコシの甘みが、舌の上でトロリと解けていく。
砂糖なんて一切使っていないのに、まるで極上のスイーツのような深みのある甘さ。
冷たいスープが喉を通ると、バターのコクとコーンの旨味が鼻腔へと抜け、後味は驚くほど爽やかだ。
「……甘い。いや、ただ甘いだけじゃない。大地の恵みが凝縮されている」
レンさんは夢中でスプーンを動かした。
次に、焼きたてのパンをちぎる。
パリッ、という軽快な音。
中から現れたのは、真っ白で湯気を立てるモチモチの生地だ。
彼はパンをスープに浸して、口に放り込む。
「んんっ……!」
思わず漏れたような声。
スープを吸ってジュワッとなったパンと、サクサクの皮のコントラスト。
噛めば噛むほど小麦の香ばしさが広がり、スープの甘みと混ざり合って、口の中が幸せで満たされていく。
「美味い……。本当に、美味い」
レンさんは、普段のクールな表情を完全に崩し、少年のように頬張っている。
その姿を見ているだけで、私はお腹がいっぱいになりそうだ。
作り手として、これ以上の喜びはない。
「レンさんの体格なら、もっと食べないと持ちませんよね。おかわりもあるので遠慮なくどうぞ!」
「ああ、すまない。……君の料理を食べると、体の奥底から力が湧いてくるのを感じるんだ」
「ふふ、愛情入りですから!」
私が冗談めかして言うと、レンさんはピタリと手を止め、少し顔を赤らめて私を見た。
「……愛情、か」
「えっ? あ、いや、植物への愛情ですよ? 変な意味じゃなくて!」
「わかっている。……わかっているが、嬉しいものだな」
彼は優しく微笑み、再びスープに向き合った。
その笑顔の破壊力たるや、私の心臓が「キュンッ」と変な音を立てるほどだった。
危ない、危ない。
この人はただのイケメン庭師。勘違いしちゃダメ。
そう自分に言い聞かせながら、私もパンをかじった時だった。
バサササササッ!!
突然、頭上から強烈な風圧が降り注いだ。
テーブルの上のナプキンが吹き飛びそうになり、私は慌てて押さえる。
スープの表面が波打つ。
「きゃっ!? な、なに!?」
「……!」
レンさんの表情が一瞬で戦士のものに変わった。
彼は素早く立ち上がり、私を背に庇う。
空を見上げると、巨大な影が旋回していた。
鳥? いや、あれは――
「グリフォン……?」
ライオンの胴体に鷲の翼を持つ、伝説の魔獣グリフォンだ。
本来なら高山の頂にしか生息しないはずの怪物が、なぜこんな荒野に?
「まさか、襲ってくるの!?」
私が身構えたその時。
グリフォンの足元から、何か巨大な木箱のようなものが切り離された。
ヒュオオオオオ……
木箱は真っ直ぐに、私たちの庭の広場(何もない芝生エリア)へと落下してくる。
激突する寸前、箱に取り付けられた魔道具が発光し、フワリと減速した。
ズシン。
音と共に、巨大な木箱が着地する。
グリフォンは「任務完了」と言わんばかりに一声鳴くと、そのまま空の彼方へと飛び去っていった。
辺りに静寂が戻る。
「……えっと」
私はレンさんの背中から顔を出した。
「今の鳥さん、何か落としていきましたね」
「……そうだな」
レンさんの声が、なぜか少し焦っているように聞こえた。
「卵かしら? それともフン? にしては四角いわよね」
私は恐る恐る、着地した木箱へと近づいていった。
木箱は立派な造りで、表面には何も書かれていないが、漂ってくる気配は明らかに「高級品」だ。
「レンさん、開けてみてもいいでしょうか。もしかしたら、遭難船宛ての救援物資かもしれません」
「あー……フローリア、待て」
レンさんが私の肩を掴んで引き止めた。
彼は咳払いを一つすると、視線を泳がせながら言った。
「それは……俺の荷物だ」
「はい?」
「俺の、その……以前の雇い主に頼んでおいた、『退職金代わりの現物支給』だ。住所不定だったから、グリフォン便で送ってもらったんだ」
「グリフォン便!?」
私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
グリフォン便といえば、大陸最速にして超高額な配送サービスだ。
封筒一通送るだけで金貨一枚(平民の年収分)かかると言われている。
それを、こんな巨大なコンテナで?
「レンさん……あなた、もしかして凄腕の庭師さんだったんですか? 王宮の庭園長とか?」
「ま、まあ、そんなところだ。中身は生活用品だと聞いている」
レンさんは額の汗を拭いながら、強引に話をまとめた。
怪しい。すごく怪しいけれど、彼がそう言うならそうなのだろう。
もしかしたら、私の知らない「ガーデニング界の巨匠」なのかもしれない。
「じゃあ、開けてみましょう!」
レンさんが剣の柄で軽く叩くと、木箱の蓋がパカリと開いた。
中を見た私は、息を呑んだ。
「これ……生活用品?」
そこに入っていたのは、夢のように美しいドレスの数々だった。
シルク、レース、ベルベット。
若草色、淡いピンク、上品なアイボリー。
どれも、王都の高級ブティックのショーウィンドウに飾られているような、一級品ばかりだ。
他にも、ふかふかの羽毛布団、高級茶葉の缶、可愛らしい靴、そして宝石箱のようなお菓子セットまで入っている。
「ど、どういうことですかレンさん! これ、女性物ばかりじゃないですか!」
私は詰め寄った。
まさか、レンさんの趣味?
女装が趣味の凄腕庭師?
レンさんは顔を背け、少し耳を赤くしながら言った。
「……前の主人が、気を利かせすぎたらしい。『新しい職場で女性と一緒なら、これを渡せ』と」
「ええっ!? そ、そんな高価なもの受け取れません!」
「俺には不要なものだ。君が着てくれないと、捨てることになる」
「す、捨てるなんて!」
「なら、着てくれ。……あのボロボロの服で農作業をされると、その、見ている方が辛い」
レンさんは私の継ぎ接ぎだらけのワンピースを見た。
確かに、これは国を追放された時に着ていたもので、もう泥だらけでヨレヨレだ。
レディとしての嗜み以前に、機能性としても限界が来ていた。
「……わかりました。お借りします。あくまで『作業着』として!」
「ああ、好きにしてくれ」
レンさんは安堵の息を吐いた。
◇
数十分後。
私は世界樹の幹の中に作った自室で、着替えを済ませていた。
選んだのは、動きやすそうな淡いグリーンのワンピースだ。
生地は驚くほど滑らかで、肌に吸い付くように馴染む。
サイズはなぜか、私の体に驚くほどぴったりだった。
(レンさんの元ご主人様、なんで私のサイズを知ってるの? 適当に選んだにしては完璧すぎる……)
鏡(水鏡の魔法)を見ると、そこには見違えるような自分がいた。
髪を結っていた紐も、箱に入っていたリボンに変えてみた。
「……よし」
私は深呼吸をして、リビングへと戻った。
レンさんは窓際で、紅茶の缶を開けて香りを確かめていた。
「お待たせしました。どう……でしょうか?」
私が声をかけると、レンさんは振り返った。
そして、そのまま石像のように固まった。
持っていた紅茶の缶が、手から滑り落ちそうになるのを、彼の間一髪の反射神経でキャッチする。
「……似合う」
一言、ポツリと漏らした声。
それは今まで聞いたどの言葉よりも、熱を帯びているように聞こえた。
「本当に? 変じゃないですか?」
「ああ。……美しい」
真っ直ぐな瞳で見つめられ、私の顔が一気に熱くなる。
「美しい」なんて言葉、人生で初めて言われた。
王太子殿下には「地味」だの「雑草」だのと言われ続けてきたから、免疫がないのだ。
「あ、ありがとう……ございます。レンさんも、そのシャツ、似合ってますよ」
レンさんも箱に入っていた白いリネンシャツに着替えていた。
清潔感のある白が、彼の黒髪と日焼けした肌によく映えている。
ボロボロの服でもイケメンだったが、こうしてちゃんとした服を着ると、どこかの貴公子――いや、王子様に見間違えるほどだ。
「これでお互い、心機一転だな」
「はい! あ、箱の中にお菓子もありましたよね。せっかくだからティータイムにしませんか?」
「賛成だ」
こうして、空から降ってきた謎の荷物は、私たちの生活をより豊かに、そして少しだけ甘い雰囲気にしてくれたのだった。
◇
一方その頃。
世界樹から数百メートル離れた茂みの中で。
「……信じられん」
双眼鏡を覗きながら、帝国騎士団副団長ジークフリートは震えていた。
彼は先ほどグリフォンから荷物を投下し、様子を見るために隠密行動で降下していたのだ。
そして目撃した光景は、彼の常識を根底から覆すものだった。
あの「冷徹」「鉄血」「歩く破壊兵器」と恐れられる竜公爵ロレンツォ閣下が。
女性と二人で、のほほんとティータイムを楽しんでいるではないか。
しかも、あのデレデレした顔。
部下の前では一度も見せたことのない、蕩けるような笑顔だ。
「美しい」だと? 閣下の口からそんな言葉が出るとは、天変地異の前触れか?
「いや、それより問題は……あそこだ」
ジークフリートは視線をずらした。
二人がいる場所は、まさに「楽園」だった。
瘴気渦巻く死の荒野の中心に、突如として現れた聖域。
巨大すぎる世界樹。
咲き乱れる花々。
そして、畑を守るようにうろついている不気味な植物モンスターたち。
先ほど、ジークフリートはうっかり畑に近づこうとして、トマトの蔓に絞め殺されかけた。
あのトマト、明らかに意思を持っていた。
「部外者ハ排除シマス」という殺意を感じた。
「あの女性……何者だ? 閣下を手玉に取り、この魔境を作り上げた魔女か?」
だが、ジークフリートの目から見ても、フローリアという少女に悪意は感じられなかった。
むしろ、彼女の周りだけ空気が浄化されているような、神聖な気配すらある。
「……報告にあった『聖女』などというレベルではない。あれは、『女神』の類だぞ」
ジークフリートは冷や汗を拭った。
ロレンツォ閣下が「誰にも教えるな」と言った意味がわかった。
もし帝国が、あるいは他国が彼女の存在を知れば、間違いなく奪い合いになる。
戦争の火種になりかねない。
「閣下は、彼女を守るためにここに留まっているのか……」
忠実な部下は、主の意図を(半分くらい正しく)理解し、深く頷いた。
「よし。ならば私は影から閣下の愛の巣……もとい、隠れ家を死守せねば」
ジークフリートが撤収しようとした、その時だった。
ザワッ。
風向きが変わった。
東の方角――サンタリア王国側から、微かな、しかし確かな殺気と土煙が近づいてくるのを感知した。
「……チッ、嗅ぎ回っているネズミどもか」
ジークフリートの眼鏡がキラリと光る。
双眼鏡を向けると、そこには王国の紋章を掲げた小規模な騎馬隊の姿があった。
先頭にいるのは、煌びやかな鎧を着た男――カイル王太子の近衛騎士たちだ。
「おいおい、せっかく閣下がイチャイチャ……いや、静養されているのにお邪魔虫とはな」
ジークフリートは腰の剣に手をかけたが、すぐに思い直した。
自分が手を出せば、帝国の介入がバレる。
ここは閣下に知らせるべきか?
いや、その必要はなさそうだ。
なぜなら、騎馬隊の進路には、フローリアが「害虫駆除用」に植えた【食人食虫花】の群生地が広がっていたからだ。
「……合掌」
ジークフリートは王国の騎士たちに短い祈りを捧げ、その惨劇を見届けるために姿勢を低くした。
◇
「ん? 何か音がしたような?」
お茶を飲んでいた私は、ふと東の方角を見た。
遠くで「ギャアアアア!」という悲鳴のようなものが聞こえた気がしたのだ。
「風の音だろう」
レンさんはカップを置き、涼しい顔で言った。
その目は笑っているようで、奥底だけが冷たく光っていたけれど、私は気づかなかった。
「そうですか? ならいいんですけど」
「それよりフローリア。このクッキー、非常に美味いな。君が作ったのか?」
「はい! 木の実を粉にして焼いてみたんです」
「……君を宮廷料理長に推薦したいくらいだ」
「もう、レンさんったら大げさなんだから」
私たちは笑い合った。
平和な午後。
甘いお菓子と、素敵なドレスと、頼れる相棒。
けれど私はまだ知らない。
東の空から迫る不穏な影と、レンさんが隠している「本当の力」が、この楽園を守るために動き出そうとしていることを。




