第10話 揺れるブランコと世界中に芽吹いた奇跡
みんなを見送った後の、少しだけ広すぎるように感じる庭で、私は土の感触を確かめていた。
静かだ。
昨日の喧騒が嘘のように、風の音と葉擦れの音だけが響いている。
けれど、寂しくはない。
手の中にあるスコップの重みと、背後から聞こえる大工仕事の音が、確かな日常を教えてくれるからだ。
「よし、土台はこんなものか」
レンさんの声がして、私は振り返った。
世界樹の太い枝の下。
そこには、頑丈そうなロープで吊るされた、立派な木製ブランコが揺れていた。
「……レンさん。これ、遊具ですよね?」
私は手袋を外しながら近づいた。
座面に使われているのは、艶やかな光沢を放つ銘木。
ロープはどう見ても、鋼鉄よりも強靭な植物繊維で編まれているし、留め具にはミスリルが使われている気がする。
「ああ。ユユが使うものだ。安全性には万全を期した」
レンさんは額の汗を拭い、満足げにブランコを叩いた。
ドスッ、と重い音がする。
「ドラゴンの突進でも壊れんぞ」
「ユユはドラゴンじゃありませんよ。……まあ、半分そうですけど」
過保護なパパの最高傑作だ。
私は苦笑しながら、その頑丈すぎる座面を撫でた。
ひんやりとしていて、滑らかな手触り。
きっと、彼が丁寧にヤスリをかけてくれたのだろう。
「パパー! できたー?」
昼寝から目覚めたユユが、タケシと一緒に走ってきた。
彼女はブランコを見るなり、目をキラキラと輝かせた。
「わぁ! ブランコだ!」
「ああ。乗ってみろ、ユユ」
レンさんが抱き上げて座らせると、ユユは嬉しそうにロープを握りしめた。
小さな足がぶらぶらと揺れる。
「押してあげるわ。せーのっ」
私が背中をそっと押すと、ブランコは滑らかに弧を描いた。
風を切る音。
ユユの銀鈴のような笑い声が、エデンの空に溶けていく。
「たかーい! おそらまでとどきそう!」
揺れる娘を見守るレンさんの瞳が、日差しよりも温かく細められているのを見て、私は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
こんな時間が、ずっと続けばいい。
そう願わずにはいられない、穏やかな昼下がりだった。
その時。
「フローリア先生! 公爵殿下! 大変です!」
研究小屋の方から、シルヴィオ様が転がり出るように走ってきた。
手には大量の羊皮紙と、通信用の水晶玉を抱えている。
眼鏡がずり落ちかけているのも構わず、彼は私たちの前で息を切らせた。
「どうしました、シルヴィオ様? そんなに慌てて」
私はブランコを止めて、彼に水を差し出した。
シルヴィオ様は一気に飲み干すと、興奮で紅潮した顔を上げた。
「報告が入ったんです! 世界中の観測所から!」
「報告?」
「はい! 昨日の……世界樹の果実から飛び出した『種』のことです!」
彼は震える手で、一枚の地図を広げた。
そこには、大陸全土の地図が描かれている。
そして、そのあちこちに、無数の緑色の印がつけられていた。
「見てください。帝国の不毛な砂漠地帯、王国の荒れた岩山、果ては汚染された湿地帯まで……。種が落ちた全ての場所で、一斉に『芽吹き』が確認されました!」
「えっ……」
私は地図を覗き込んだ。
緑の印は、国境も地形も関係なく、大陸中に散らばっている。
「ただの芽吹きじゃありません。それぞれの土地の環境に合わせて、最適な植物が急速に成長しているんです! 砂漠には水を蓄える木が、岩山には根を張って土を作る草が!」
シルヴィオ様の声が裏返る。
「これは奇跡です……! エデンの生命力が、世界中の死んだ土地を再生させているんです!」
私は言葉を失った。
あの時。
レンさんと一緒にナイフを入れた、虹色の果実。
中から飛び出した光の粒たちが、こんな結果をもたらすなんて。
「……世界中が、エデンになるのか」
レンさんが地図を見て、静かに呟いた。
「ああ。君の撒いた種は、俺たちの想像を遥かに超えていたようだな」
彼の言葉に、私は自分の手のひらを見つめた。
土で汚れた、庭師の手。
この手で育てたものが、海を越え、空を越えて、誰かの土地を豊かにしている。
そう思うと、震えるほどの感動が押し寄せてきた。
「よかった……。本当に、よかったです」
「ママ、どうしたの?」
ユユが不思議そうに首を傾げた。
私は屈んで、娘の目を見つめた。
「ユユ。あなたが呼んだお友達の種さんがね、遠くの国で、綺麗なお花を咲かせたんだって」
「ほんと?」
ユユは嬉しそうに笑うと、再びブランコを漕ぎ始めた。
今度は、もっと高く。
「とどけー! みんな、げんきになーれ!」
彼女が歌うように叫ぶと、頭上の双葉が淡く光った。
その光は風に乗って、エデンの外へと広がっていく。
きっとこの歌声も、遠い地で芽吹いた植物たちへのエールになるのだろう。
「……素晴らしい光景ですね」
シルヴィオ様が涙ぐみながらメモを取っている。
「この現象は『フローリア効果』……いや、『ユユ共鳴』と名付けましょう。植物学の歴史が変わりますよ!」
「大げさですよ」
私は笑って、レンさんの隣に戻った。
彼は満足そうに、揺れるブランコと、その向こうに広がる世界を見つめていた。
「レンさん。私、やりたいことができました」
「なんだ?」
「いつか、世界中を旅してみたいです。あの種たちがどんな風に育ったのか、この目で見て回りたい。……もちろん、家族みんなで」
私の提案に、レンさんは少し驚いた顔をして、それから優しく微笑んだ。
「いいな。カボチャの馬車があれば、どこへでも行ける」
「はい! 美味しい特産品も増えてるかもしれませんし!」
「結局、そこか」
レンさんが肩をすくめる。
でも、その顔は楽しそうだ。
エデンという拠点を守りながら、時には外の世界へ飛び出して、新しい「美味しい」を見つける。
そんな未来が、はっきりと見えた気がした。
「さあ、夕飯の支度をしましょうか。今日はシルヴィオ様も一緒にどうですか?」
「えっ、いいんですか!? 喜んで!」
「献立は何にする?」
「そうですねぇ……。お祝いですから、野菜たっぷりのグラタンにしましょうか!」
日常が戻ってくる。
けれど、それは昨日までの日常とは少し違う。
世界と繋がり、未来へと続く、新しい日常だ。
私はユユの背中を押した。
ブランコが高く上がり、夕焼け空に吸い込まれていく。
その向こう側には、きっと無数の緑が芽吹いている。
私の蒔いた種は、ちゃんと根付いたのだ。




