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第4話 竜公様の極秘指令と、若返りの露天風呂

死の荒野でのスローライフ、三日目。

朝の光が、世界樹の葉の隙間からキラキラと降り注いでいる。


私は、世界樹の幹に作られた天然の寝室で目を覚ました。

小鳥のさえずりが聞こえる。

ここが数日前まで、瘴気が渦巻く地獄の荒野だったなんて、誰が信じるだろうか。


「んーん、よく寝た!」


大きく伸びをして、私はベッドから起き上がった。

苔のベッドはふかふかで、最高級の羽毛布団よりも寝心地がいい。

隣の部屋(といっても、木の幹で仕切られた空間だが)からは、すでにレンさんが活動している気配がする。


彼は本当に働き者だ。

「庭師見習い」として雇ったはずなのに、昨日は薪割りを完璧にこなし、壊れていた柵(イバラで作った簡易的なもの)を一瞬で直してくれた。

無口だけど、頼りになる。


ただ、一つだけ問題があった。


「……お風呂に入りたい」


私は自分の腕をクンクンと嗅いだ。

汗臭くはない。世界樹の浄化作用のおかげで、この空間にいるだけで体は清潔に保たれている。

でも、そういうことじゃないのだ。

日本人……じゃなかった、前世の記憶を持つ身としては、温かいお湯に肩まで浸かって「ふぅ~」と息を吐く、あのアクションが恋しい。


それに、レンさんもきっとお風呂に入りたいはずだ。

あんなに筋肉質で代謝が良さそうな男性が、三日も体を洗っていないなんて。

イケメンの清潔感を保つためにも、これは早急に対処すべき重要案件である。


「よし、今日は『お風呂作り』に決定ね!」


私は拳を握りしめ、リビングへと向かった。


        ◇


「風呂、か?」


朝食の席で提案すると、レンさんはスプーンを止めてきょとんとした。

今日の朝食は、パンの木から採取した焼きたてパンと、ミルクの木から採れたミルクだ。


「はい。やっぱり一日の疲れを癒やすにはお風呂だと思うんです。近くに綺麗な湧き水もありますし」


「……確かに、身体を清めたい気持ちはある。だが、湯を沸かす設備も、浴槽もないぞ。川で行水でもするか?」


「まさか! レンさんにそんな寒々しい思いはさせません。私に任せてください」


私は自信満々に胸を叩いた。

レンさんは不思議そうな顔をしているが、私の魔法を見慣れてきたせいか、「また何かやる気か」という諦めにも似た納得の表情を浮かべている。


朝食を終えると、私は家の裏手にある岩場へとレンさんを案内した。

ここは地下水脈が近く、地面が少し温かい場所だ。


「まずは浴槽ですね。ええと、この辺りの岩がいいかな」


私は手頃な岩盤のくぼみに手をかざした。

イメージするのは、高級旅館の岩風呂。

広く、ゆったりとしていて、自然と調和したデザイン。


「大地の根よ、岩を穿うがち、器を作りたまえ」


ズズズズ……。

私の魔力に反応して、世界樹の太い根が地面から現れた。

根はドリルのように岩を削り、またある部分は器用に編み込まれ、滑らかな浴槽の形を形成していく。

底には丸い小石を敷き詰め、背もたれになる部分には、肌触りの良い木材を配置した。


「次は、お湯」


私はポケットから、赤色の種を取り出した。

【湯沸かし瓢箪ひょうたん】の種だ。

これを浴槽の底に埋め込み、魔力を流す。


ボッ、と地中で熱が発生するのを感じた。

同時に、水脈から引いた水が浴槽に注がれ始める。

水は瓢箪の熱で適温に温められ、瞬く間に湯気を上げ始めた。


「仕上げはこれ!」


最後に、青い花を湯船に浮かべる。

【清浄の睡蓮】。

水を常に清潔に保ち、ほのかな石鹸の香りを放つ花だ。


「完成です! 名付けて『世界樹の湯・荒野店』!」


所要時間、約十分。

目の前には、湯気を立てる立派な露天風呂が出来上がっていた。

周囲を目隠しするための竹垣も、魔法で一瞬にして生やしてある。


「……」


レンさんは、完成した風呂と私を交互に見て、口元を引きつらせていた。


「どうですか? これなら足も伸ばせますよ」


「……驚いた。宮廷魔導師でも、これを作るには一ヶ月はかかるだろう」


「えっ、そうですか? ただ穴を掘ってお湯を入れただけですけど」


「その『ただ』の工程に、地脈操作と植物生成と熱源魔法が組み込まれているんだがな……」


レンさんは深いため息をついた後、ふっと表情を緩めた。


「だが、ありがたい。正直、汗を流したかったところだ」


「でしょう? じゃあ、レンさんからどうぞ。私はあっちで洗濯をしてますから」


「いいのか? レディファーストではないか?」


「いえいえ! 男性の方がお風呂は早いでしょうし、毒見……じゃなくて、湯加減を見てほしいんです」


「……わかった。では、お言葉に甘えよう」


レンさんはタオル(これも植物の繊維で作った)を受け取り、脱衣所へと向かった。

私は鼻歌交じりに、その場を離れた。


        ◇


ロレンツォは、フローリアが去ったのを確認すると、鋭い眼光を周囲に向けた。

気配探知。

半径一キロ以内に、彼女以外の生物はいない。

今がチャンスだ。


彼は懐から、小さな青い宝石を取り出した。

帝国軍の最高幹部だけが持つことを許された、超長距離通信用の魔道具【竜の瞳】だ。

魔力を込めると、宝石が微かに震え、空中に小さなホログラム映像が浮かび上がった。


映し出されたのは、銀髪の眼鏡をかけた青年。

ロレンツォの腹心であり、帝国騎士団の副団長、ジークフリートだ。


『――閣下!? ロレンツォ閣下ですかっ!?』


映像の中のジークフリートは、目の下に濃いクマを作り、鬼気迫る表情で叫んだ。


『生きておられたのですか! 反応が消失してから三日……我々は総力を挙げて捜索しておりました! 今すぐ座標を! どちらにいらっしゃいますか!? 地獄の底だろうと、全騎士団を率いて救出に参ります!』


「落ち着け、ジーク。俺は無事だ」


ロレンツォは冷静に告げた。

部下の過保護さは今に始まったことではない。


『無事……? ですが、閣下の転移先は「死の荒野」のはず。あの地獄で三日も生存など、常人には不可能です! それに、竜熱の発作は!?』


「それも治まった。……信じられないかもしれんが、今は非常に快適だ」


『はい?』


ジークフリートが間の抜けた声を出す。

ロレンツォは背後の竹垣と、そこから立ち上る湯気を見やった。


「俺は今、ある人物の世話になっている。そこは……なんと言うか、楽園だ」


『楽園……? 閣下、まさか死後の世界から通信を?』


「違う。現実だ。詳しいことはまだ話せんが、ここには俺の命を救い、竜熱を完全に抑え込む『何か』がある」


ロレンツォは、フローリアの笑顔を思い浮かべた。

あの規格外の少女。

彼女の存在を帝国に知らせれば、どうなるか。

間違いなく、彼女は「戦略兵器」として軍に囲い込まれるか、あるいは危険因子として排除の対象になる。

それだけは避けなければならない。


彼女の平穏を守ること。

それが、命を救われた俺の義理であり――そして、個人的な願いでもあった。


「ジーク、極秘任務だ。俺の生存はまだ公にするな」


『は? しかし……』


「俺はしばらくここに留まり、静養する。その間、必要な物資を運んでこい。場所は荒野の西、巨大な樹木が目印だ」


「巨大な樹木、ですか?」


「ああ。見ればわかる。それと、持ってくるものだが……」


ロレンツォは少し言い淀み、咳払いをした。


「……女性用の服だ。最高級の生地を使った、動きやすくて肌触りの良いものを数着。それと、靴、寝具、家具一式。あと、紅茶の茶葉と、菓子類もだ」


通信の向こうで、ジークフリートが口をパクパクさせている。


『じ、女性用……? 閣下、まさかそこに女性が? あの荒野に?』


「詮索は無用だ。とにかく、最優先で持ってこい。隠密行動でな。もし誰かに見られたら、俺の名において処分する」


『は、はいっ! 直ちに手配いたします! ……しかし閣下、本当にご無事で?』


「ああ。これほど体調が良いのは、生まれて初めてかもしれん。では、頼んだぞ」


通信を切ると、ロレンツォはふぅと息を吐いた。

これで、彼女にまともな服を着せてやれる。

あのボロボロのワンピース一枚で農作業をする姿は、見ていて心が痛かった。

元は貴族の令嬢だというのに。


(それにしても……)


ロレンツォは脱衣所で服を脱ぎ、露天風呂へと足を踏み入れた。

湯気の中に漂うのは、甘い花の香り。

お湯は透き通ったエメラルドグリーンをしている。


ざぶん。

肩までお湯に浸かる。


「……っ、うわ」


思わず声が出た。

熱い湯が肌に触れた瞬間、パチパチと炭酸のような刺激が走り、毛穴の一つ一つから体内の毒素が抜けていくような感覚に襲われた。

凝り固まっていた筋肉がほぐれ、魔力の残滓が綺麗に浄化されていく。


ただのお湯ではない。

これは、最高ランクの神殿でしか生成できない【聖水】そのものではないか。

しかも、肌がツルツルになる付加効果まであるようだ。

古傷の痕が、見る見るうちに薄くなっていく。


「……若返りの泉か、ここは」


ロレンツォは濡れた手で顔を覆い、天を仰いだ。

青い空。白い雲。

そして、心地よい風。


こんな安らぎを知ってしまったら、もう帝国の冷たい玉座には戻りたくなくなるかもしれない。

そんな危険な誘惑を感じながら、彼は目を閉じた。


「レンさーん! 湯加減どうですかー?」


垣根の向こうから、フローリアの明るい声が響いた。

ロレンツォは苦笑しながら答える。


「……最高だ。生き返った心地だよ」


「それはよかった! あ、背中流しましょうか?」


「ぶっ!!」


ロレンツォは危うくお湯を飲み込みそうになった。


「い、いや、結構だ! 一人で大丈夫だ!」


「そうですか? 遠慮しなくていいのに。庭師同士の裸の付き合いって言うじゃないですか」


「言わない! ……まったく、君という人は」


心臓に悪い。

この娘は、自分の容姿が男を狂わせるレベルであることを自覚していない。

今はまだ「庭師のレン」だからいいが、もし「竜公爵ロレンツォ」だとバレたら、不敬罪どころの話ではないぞ。


でも。

垣根越しに聞こえる彼女の鼻歌を聞きながら、ロレンツォはかつてないほどの幸福を感じていた。


この場所を守りたい。

そのためなら、公爵の地位も、竜の力も、すべて捧げてもいい。

湯船の中で、彼は静かにそう誓ったのだった。


        ◇


一方その頃。

フローリアを追放した祖国、サンタリア王国。


王城のテラスで、カイル王太子はイライラと貧乏揺すりをしていた。


「おい、どうなっているんだ。今日の紅茶は味が薄いぞ」


「も、申し訳ございません殿下……」


震える手で給仕をするメイドを、カイルは睨みつけた。

最近、何もかもがうまくいかない。


まず、食事が不味くなった。

野菜は瑞々しさを失い、果物は酸っぱく、肉は硬い。

料理長を叱責したが、「市場に出回る食材の質が急激に落ちている」と言い訳をするばかりだ。


そして、花だ。

王宮の自慢だった薔薇園が、一斉に枯れ始めたのだ。

マリアベルが必死に光魔法をかけているが、一向に回復しないどころか、ドス黒く変色して腐り落ちていく。


「マリアベルは何をしている? 聖女の力があれば、花などすぐに咲くだろう」


「そ、それが……マリアベル様は『最近、お肌の調子が悪くて魔力のノリが悪い』と部屋に閉じこもっておられまして……」


「ええい、役立たずどもめ!」


カイルはカップを床に叩きつけた。

ガシャン、という音と共に陶器が砕け散る。


胸の奥にある、得体の知れない不安。

フローリアを追放したあの日から、何かが狂い始めている。

彼女はただの「雑草女」だったはずだ。

何の役にも立たない、地味な女だったはずだ。


「……まさかな」


カイルは首を振った。

国の豊穣が、あんな女一人の力で支えられていたなど、あり得ない。

きっと、一時的な天候不順だろう。


「おい、誰か! もっと美味い茶を持ってこい! それと、フローリアの様子を探らせろ!」


カイルは叫んだ。

なぜか、彼女が泣いて詫びている姿を想像しないと、気が済まなかったのだ。

死の荒野で野垂れ死んでいるか、あるいは魔物に怯えて発狂しているか。

その報告を聞けば、この胸のモヤモヤも晴れるに違いない。


しかし、彼はまだ知らない。

彼が「野垂れ死んでいる」と信じている元婚約者が、今頃伝説の竜公爵を顎で使い、世界樹の露天風呂で「いいお湯ね~」とくつろいでいることを。


そして、彼が送り出した偵察部隊が、後に持ち帰る報告書が、王国の歴史を揺るがすことになることも。


        ◇


「ふぅ、さっぱりした!」


お風呂上がりの私は、レンさんが作ってくれた冷たいフルーツ水を飲み干した。

レンさんは、どこかスッキリした顔で、濡れた髪を拭いている。

その姿が妙に色っぽくて、私は思わずドキッとしてしまった。


「レンさん、肌ツヤ良くなりましたね」


「……君のおかげだ。あのお湯は、すごいな」


「えへへ、でしょう? 明日はハーブを変えてみますね」


「楽しみにしておく」


レンさんが優しく微笑む。

その笑顔を見ていると、胸の奥が温かくなる。

婚約破棄された時は、もう恋なんてしないと思っていたけれど。


(こんな穏やかな毎日が、ずっと続けばいいのにな)


私は世界樹の葉を見上げながら、ぼんやりと思った。

でも、そんな私の願いとは裏腹に、運命の歯車は動き出していた。


翌日。

私たちの「楽園」に、とんでもないものが空から降ってくることになるのであった。

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― 新着の感想 ―
読み飛ばしていたかもしれませんが、主人公が元貴族令嬢であることをロレンツォに話していましたっけ? 何故知ってるんでしょう。
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