第7話 純白の変容と虹色のバージンロード
戦場を宴会場に変えると宣言したレンさんの、あの不敵な笑顔が頭から離れない。
あれからわずか数時間。
エデンの中心にある世界樹のうろを利用した着替え室に、私はいた。
出口は右側にあり、目の前には大きな水鏡が置かれている。
背後、二歩ほど離れた場所には、真剣な顔をしたマリアベルさんが立っていた。
「さあ、フローリア。最高の花嫁になってもらうわよ」
マリアベルさんの声に、私の心臓が跳ねる。
その響きに、婚約破棄を告げられたあの夜の冷たさを一瞬だけ思い出した。
けれど今の彼女の声には、確かな友情と熱意がこもっている。
私は深呼吸をして、机の上に並べた種や花弁を整理した。
種を並べ替える指先に、庭師としての誇りと、これから妻になる決意が重なる。
ただのドレスじゃない。
私の魔法と、エデンの恵みを全て詰め込んだ衣装にするのだ。
「お願いします、マリアベルさん。……いきます!」
私は掌を合わせ、魔力を練り上げた。
足元に置いたバスケットから、白銀の蔦がするすると伸びてくる。
それは私の体を優しく包み込み、肌の上で繊細なレースへと形を変えていった。
マリアベルさんが、その蔦に色とりどりの花の精霊を編み込んでいく。
彼女が手を動かすたび、純白の生地に虹色の刺繍が浮かび上がった。
それは生きているドレスだ。
私が息をするたびに、小さな蕾が開き、甘い香りを振りまく。
仕上げに、私は髪に手を伸ばした。
指先が触れたのは、レンさんから貰った虹色真珠の髪飾り。
ひんやりとした感触が、高ぶる胸を静めてくれる。
鏡の中に映る自分は、もう「雑草令嬢」と呼ばれていた頃の私ではなかった。
健康的な肌の艶。
力強い瞳。
世界樹と共鳴し、光を放つその姿は、一国の姫君よりも気高く見えた。
「……できたわ。完璧よ」
マリアベルさんの言葉を合図に、私は部屋を出た。
着替え室から続く廊下を抜け、外の光の中へと踏み出す。
一歩、歩くたびに、世界樹の枝が組み合わさり、空に向かって続く階段が作られていった。
地上の広場には、すでに数万の軍勢が整列していた。
けれど、武器を持っている者は一人もいない。
彼らは皆、手作りの花吹雪や、即席の楽器を手にしていた。
「おぉ……!」
誰かが声を上げた。
それが波紋のように広がり、地鳴りのような歓声に変わる。
皇帝陛下が斧を掲げて笑い、マリーナさんが口笛を鳴らす。
ゼファーさんが機械の翼を羽ばたかせ、ハーデス様が日傘を回して拍手を送ってくれた。
「ママ! ママ、きれい!」
階段の途中で待っていたユユが、私に向かって駆けてきた。
彼女の背中には、真っ白なシルクのリボンが結ばれている。
ユユが私の手を取ると、足元から虹色の花が咲き乱れ、空への道を作った。
「ユユ、エスコートしてくれる?」
「うん! パパ、うえで待ってるよ!」
娘の小さな手に引かれ、私は世界樹の階段を登っていく。
高度が上がるにつれ、エデンの全景が眼下に広がった。
緑の海。豊かな土。
私たちが作り上げた、愛しい居場所。
階段の終着点。
世界樹の頂上、あの『千年果実』が輝く特設ステージに、彼はいた。
漆黒の礼服に身を包んだレンさん。
その琥珀色の瞳が、私を捉えて離さない。
彼は一歩前に出ると、震える手で私の手を取った。
「……フローリア。言葉にならないほど、美しい」
レンさんの熱い視線が、私の頬を焼く。
いつもは冷徹な彼が、今は一人の男として、愛おしそうに私を見つめている。
かつて森で行き倒れていた彼を拾ったあの日のことを、昨日のことのように思い出す。
あの時、彼を助ける選択をして本当に良かった。
「レンさんも……すごく、かっこいいです」
私の即座の反応に、レンさんが少しだけ目尻を下げた。
その隙に、ユユが私たちの間に割って入り、二人の手を重ねさせた。
「パパとママ、ずっといっしょ!」
「ああ。約束するよ、ユユ」
レンさんが力強く頷き、私の指にそっと口づけを落とした。
その瞬間、頭上で千年果実がまばゆい光を放った。
『――よろしい。誓いは立てられました』
空から、聞き覚えのある慈愛に満ちた声が降ってくる。
見上げれば、雲の隙間から女神様が優しく微笑んでいた。
彼女が指を弾くと、世界樹の枝がしなり、私たちの目の前に巨大なナイフを差し出した。
「さあ、フローリア。ケーキ入刀だ」
レンさんがナイフの柄を握り、私の手を上から重ねる。
世界中の視線が、この一点に集まっているのを感じる。
緊張で指先が震えたけれど、レンさんの手の温もりが、それを優しく包み込んでくれた。
私たちは呼吸を合わせ、虹色に輝く果実へと刃を入れた。
パキィィィィン!!
クリスタルのような果皮が割れる、清らかな音が響き渡る。
果実が二つに割れた瞬間。
中から溢れ出したのは、黄金の蜜だけではなかった。
「……わぁっ!」
無数の光の粒。
それは小さな、羽の生えた種子たちだった。
それらは意思を持っているかのように、空へと舞い上がり、エデンの外へと広がっていく。
種は荒野へ、海へ、天空へ、そして地底へ。
世界中に散らばった光が地面に触れるたび、枯れていた大地に芽吹きが訪れるのが見えた。
「見て、フローリア。果実の力が、世界を癒やしている」
レンさんの言葉に、涙が溢れた。
独り占めするのではなく、分け合う力。
それが、世界樹が私たちにくれた本当の答えだったのだ。
光の雨が降り注ぐ中、私たちは完熟した果実の最初の一片を、共に口にした。
とろけるような甘さと、全身を満たす温かな魔力。
それは、人生で一番美味しい、幸せの味がした。
けれど、祭りはまだ始まったばかり。
世界中から集まったこの賑やかな「家族」たちと、これからどんな夜を過ごそうか。
私は隣で微笑む夫の横顔を見つめ、新しい日常への期待に胸を膨らませた。




