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第5話 野菜対決!?伝説のトマトvs古代の果実

帝国暦三百五十年。

帝都グランド・ドラグニアの中央広場に設営された特設ステージは、かつてない熱気に包まれていた。


「世界万国博覧会」のメインイベントである『植物品評会』。

その決勝戦が、今まさに始まろうとしているのだ。


観客席を埋め尽くすのは、帝国の貴族、他国の外交官、そして噂を聞きつけた一般市民たち。

数万の視線が、ステージ上の二人に注がれている。


「――さあ、世紀の対決です! 帝国の誇る植物魔法の権威、ハイエルフのエルランド様か! それとも、彗星の如く現れた謎の令嬢、フローリア様か!」


司会者の実況が響き渡る。

ステージの右側には、深緑のローブを纏い、慇懃いんぎんな笑みを浮かべるエルランド。

彼の周囲には、取り巻きのエルフたちが美しい光の魔法陣を展開し、幻想的な雰囲気を演出している。


対する左側。

そこにいるのは、私――フローリア・グリーンだ。

今日の衣装は、昨日のドレスとは打って変わって、いつもの農作業スタイル(ただし素材は最高級シルク)に、清潔感のあるエプロン姿である。


「……フローリア。緊張していないか?」


私の隣で椅子に座っているレンさんが、心配そうに声をかけてきた。

彼は今日、「助手兼、私の護衛兼、私の彼氏」というポジションでステージに上がっている。

ちなみに、その膝の上にはタケシ(マンドラゴラ)が鎮座し、観客席に愛想を振りまいていた。


「大丈夫ですよ、レンさん。むしろワクワクしています! こんなにたくさんの人に、うちの子たちを見てもらえるんですから」


私は足元の木箱をポンと叩いた。

中には、今朝収穫したばかりの「最高傑作」が眠っている。


「それに、審査員が陛下ですしね」


ステージ中央の審査員席。

そこには、黄金の玉座にふんぞり返るカイザー皇帝陛下と、特別審査員として招かれたシルヴィオ様(植物オタク王子)の姿があった。


「うむ! では始めようか! テーマは『生命の輝き』! まずはエルランド、貴様からだ!」


皇帝陛下の号令で、銅鑼どらが高らかに鳴り響いた。


        ◇


「フッ……人間ごときと勝負とは、余興にもなりませんね」


エルランドは優雅に前に進み出ると、恭しく布を取り払った。


「ご覧ください。これが我が一族が数百年の時をかけて錬成した、至高の果実です」


オオォォォ……!

会場からどよめきが起きた。


銀の盆の上に載っていたのは、透き通るような青色の果実だった。

形は洋梨に似ているが、表面に幾何学模様のような魔力回路が浮き出ており、神秘的な冷気を放っている。


「名は【エーテルの雫】。大気中のマナを凝縮し、結晶化させた魔法果実です。これを食せば、魔力は回復し、老いさらばえた細胞さえも活性化させる……まさに『食べる宝石』」


エルランドが得意げに説明する。

確かに美しい。

植物というよりは、精巧なガラス細工のようだ。


「美しい……! さすがハイエルフの秘術だ!」

「あれ一つで城が買えるぞ!」


観客席の貴族たちが色めき立つ。

エルランドはナイフを取り出し、果実を薄くスライスして、皇帝陛下とシルヴィオ様の前に差し出した。


「どうぞ、陛下。穢れなき魔力の味をご堪能あれ」


皇帝陛下はフォークで一片を口に運んだ。


「……ほう」


陛下が目を閉じる。

すると、彼の体から青白いオーラが立ち上った。


「素晴らしい。口に入れた瞬間、清涼な魔力が脳を突き抜けるようだ。味は……そうだな、上質な氷砂糖のように甘く、そして儚い」


「ありがとうございます」


次に、シルヴィオ様が口にした。

彼は真剣な顔で咀嚼し、分析するように呟いた。


「なるほど……純度100%の魔力結晶ですね。植物としての繊維質は極限まで排除され、効率よくエネルギーを摂取できる。芸術品として、極めて完成度が高いです」


「ふふん、分かっていただけましたか」


エルランドは勝ち誇ったように私を見た。


「どうですか、人間の娘。これが『高貴なる植物』です。泥にまみれ、虫と戯れる貴女の農業とは、次元が違うのですよ」


会場中が「勝負あったな」「やはりエルフには敵わん」という空気に包まれる。

エーテルの雫は、確かに凄かった。

けれど。


(……なんか、冷たいな)


私はそう思った。

あれは綺麗な「魔力の塊」であって、生きている「植物」の温かさを感じない。

レンさんも同じことを思ったのか、つまらなそうに欠伸を噛み殺している。


「では次! エデン代表、フローリア!」


陛下の声で、私の番が回ってきた。


「はい!」


私は元気よく返事をして、木箱を持って中央へ進んだ。

レンさんが「重くないか?」と手を貸そうとしたが、「演出上、自分で持たないとダメなんです!」と断った。


私はテーブルの上に木箱を置き、蓋に手をかけた。


「私が持ってきたのは、これです!」


パカッ。


蓋を開けた瞬間。

会場の空気が、一変した。


「……ん?」

「なんだあれ」

「ただの……野菜?」


そこに並んでいたのは、真っ赤なトマトだった。

拳二つ分はある大きさで、パンパンに張った皮は鏡のように艶やかだ。

ヘタの部分はピンと立ち、朝露がついている。


しかし、見た目はどこまで行っても「トマト」だった。

先ほどのエルフの幻想的な果実に比べれば、あまりにも日常的で、野暮ったい。


「プッ……アハハハハ!」


エルランドが腹を抱えて笑い出した。


「トマト! トマトですって!? 傑作だ! 神聖な品評会に、平民の食卓に並ぶ野菜を持ってくるとは!」


会場の貴族たちからも失笑が漏れる。

「田舎娘らしいな」「所詮は農民か」という嘲笑。


レンさんのこめかみに青筋が浮かぶ。

彼が立ち上がりかけたのを、私は笑顔で制した。


「笑いたい方はどうぞ。でも、まずは食べてからにしてください」


私は包丁を取り出した。

トマトをまな板に置く。


トン。


包丁を入れた瞬間。

スパァッ! という小気味良い音と共に、トマトの中から真っ赤な果汁が噴水のように飛び散った。

その香りが、風に乗って会場全体へ爆発的に広がる。


「――ッ!?」


笑っていた貴族たちの顔が引きつった。

漂ってきたのは、ただのトマトの匂いではない。

強烈な太陽の匂い。

夏の日の情熱、大地の濃厚な土の香り、そして完熟した果実だけが持つ、ねっとりとした甘い芳香。


それは人間の本能を直接揺さぶり、「腹が減った」「食べたい」という欲求を強制的に引きずり出す暴力的な香りだった。


「な、なんだこの匂いは……!?」

「唾液が……止まらない……」


ざわめきが静まり返り、代わりにゴクリと喉を鳴らす音が響き渡る。


私は切り分けたトマトを、何もつけずに皿に盛った。


「どうぞ、陛下。シルヴィオ様。名は【太陽のルビートマト】。私の愛と、エデンの太陽を詰め込んだ自信作です」


皇帝陛下は、目の前の赤い塊を凝視した。

先ほどのエーテルの雫を食べた時とは違い、その目は猛獣のように血走っている。


「……いただくぞ」


陛下はフォークを突き刺し、大口を開けてトマトを放り込んだ。


グシャッ。


咀嚼した瞬間。

ダムが決壊したかのような音がした。


「むぐッ……!?」


陛下の動きが止まる。

口いっぱいに広がる、圧倒的な果汁の奔流。

酸味? いや、これは甘みだ。

砂糖菓子のような甘さではない。もっと野性的で、濃厚で、それでいて後味は青空のように爽やかな、究極の「旨味」。


そして、飲み込んだ瞬間。

ドクンッ!!


陛下の心臓が大きく高鳴った。

体内の血液が沸騰するような熱さが駆け巡る。


「おおおおおおっ!!」


陛下が突然、天を仰いで咆哮した。

すると、信じられないことが起きた。


バヂバヂバヂッ!

陛下の全身を覆っていた金色の覇気が、倍以上に膨れ上がったのだ。

さらに、彼の白髪交じりだった髪が、みるみるうちに艶やかな金髪へと戻っていく。

顔の小じわが消え、肌に若々しいハリが戻る。


「わ、若返ったーッ!?」


会場中が絶叫した。

トマト一口で、皇帝陛下が十年……いや、二十年は若返っている。


「うまい! うますぎるぞこれはァァァッ!」


陛下は叫びながら、残りのトマトを皿ごと平らげにかかった。


「力が……無限に湧いてくる! これだ、ワシが求めていたのは、この『生』の実感だ!」


次に、シルヴィオ様が口にした。

彼は一口食べた瞬間、涙を流して机に突っ伏した。


「……負けた」


震える声。


「僕の国でもトマトは作っている。でも、これは次元が違う。……皮の一枚一枚、種の一粒一粒まで、すべてが『美味しく食べられること』に全力を注いでいる。これは野菜じゃない……フローリア先生からの『ラブレター』だ!」


「ラブレター?」レンさんがピクリと反応する。


「ええ! 食べる人への『元気になってほしい』という愛が、魔力となって細胞に溶け込んでいるんです! 比較すること自体が失礼だ。エルランド殿の果実が『鑑賞品』なら、これは『命』そのものだ!」


シルヴィオ様の熱弁に、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こった。

最初は馬鹿にしていた貴族たちも、若返った皇帝陛下を見て、目の色を変えていた。


「すごい……なんだあのトマトは!」

「欲しい! いくら出せば買えるんだ!」

「フローリア様万歳!」


大歓声の中、私はエルランドの方を向いた。

彼は、信じられないものを見る目で、呆然と立ち尽くしていた。


「ば、馬鹿な……。あんな、泥臭い野菜が……私の魔法果実に勝つなど……」


「エルランド様」


私は彼に近づき、最後の一切れのトマトを差し出した。


「食べてみてください」


「くっ……私に、餌を恵むつもりか!」


「いいえ。植物のプロとして、感想を聞きたいだけです」


エルランドは屈辱に顔を歪めながらも、私の挑発に乗ってトマトをひったくった。

そして、乱暴に口に放り込む。


「んぐッ……!」


彼の目が、カッと見開かれた。

否定したい。

下品な味だと罵りたい。

なのに、舌が、脳が、この味を拒絶できない。


ハイエルフとして数百年生きてきた彼も、忘れていた感覚。

幼い頃、初めて森の木の実を食べた時の、あの純粋な感動。

「美味しい」という、原初の喜び。


彼の目から、ツーッと涙が流れた。


「……甘い……な」


エルランドはガックリと膝をついた。


「私の負けだ……。私の果実には、魔力はあっても……『体温』がなかった」


勝負あり。

会場はスタンディングオベーションに包まれた。

皇帝陛下は若返った肉体を誇示するようにマッスルポーズをとり、レンさんは「うちの妻が最高ですまないな」とドヤ顔で観客を威嚇している。


私はホッと息をついた。

よかった。伝わった。

植物は飾りじゃない。食べて、元気になってこそナンボなのだ。


「フローリア!」


レンさんが駆け寄ってきて、私を抱きしめた。


「最高だったぞ。君のトマトは世界一だ」


「えへへ、ありがとうございます。レンさんが毎日、畑を耕してくれたおかげですよ」


「……帰ったら、俺だけのために特製のトマト料理を作ってくれ。あんな風に親父(皇帝)が若返るのを見せられたら、俺も負けていられない」


「もう、レンさんは十分元気じゃないですか」


私たちは笑い合った。

タケシも「ウキャー!」と万歳をしている。


平和な大団円。

……に、なるはずだった。


ゴゴゴゴゴゴ……ッ。


突如、地面が不気味に揺れ始めた。

歓声が悲鳴に変わる。


「な、なんだ!?」

「地震か!?」


揺れの中心は、ステージ上のエルランド……の足元だった。

敗北した彼が落とした杖。

その先端に埋め込まれていた黒い宝石が、ドス黒い光を放ち始めていたのだ。


「……あ、あぁ……」


エルランドが虚ろな目で呟く。


「負けられない……ハイエルフの誇りが……こんな人間たちに……」


彼の負の感情に呼応するように、黒い宝石が砕け散った。

そして、地面が割れ、そこからおぞましい瘴気を纏った「黒い根」が噴き出した。


「うわぁぁぁぁ!?」


根は生き物のようにのたうち回り、周囲の装飾用の花々を一瞬で枯らし、腐らせていく。


「これは……『魔界樹』の種!?」


シルヴィオ様が叫んだ。


「エルランド殿! まさか禁忌とされた古代の種を持ち込んでいたのですか!?」


「ひひっ……見ろ、この力! これこそが植物の王……すべてを飲み込め!」


エルランドは正気を失っていた。

暴走した魔界樹は、見る見るうちに巨大化し、博覧会場の天井を突き破ろうとしていた。


「フローリア、下がれ!」


レンさんが私を背に庇い、剣を抜く。

しかし、魔界樹の枝が鞭のようにしなり、レンさんを襲った。


「チッ、数が多い!」


レンさんが剣で切り払うが、切った端から再生していく。

しかも、その瘴気は周りの人々を弱らせていく。


「キャアアア!」

「助けてくれぇぇ!」


逃げ惑う人々。

せっかくの楽しいお祭りが、地獄絵図に変わってしまう。


(許さない……)


私の胸の奥で、静かな怒りが燃え上がった。


植物は人を傷つけるためのものじゃない。

人を笑顔にするためのものだ。

それを、こんな風に利用するなんて。


「レンさん!」


私は叫んだ。


「あの木、お腹が空いてるだけなんです!」


「は?」


「悪い子じゃありません! ただ、愛に飢えて暴れているだけ……私が、お腹いっぱいにしてあげます!」


私はエプロンのポケットから、とっておきの「肥料」を取り出した。

それは、エデンの土と、私の魔力、そしてレンさんの愛(?)を凝縮した、特製『超・栄養剤』だ。


「タケシ、手伝って!」

「ウキャッ!」


私はタケシを肩に乗せ、魔界樹に向かって走り出した。

レンさんが「バカっ、無茶だ!」と叫んで追いかけてくる。


でも、私には分かる。

あの黒い木の中心で、小さな芽が「助けて」と泣いているのが。


「待っててね……今、美味しいご飯をあげるから!」

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