第4話 帝都デビュー! ドレスは植物製です
「……嫌だ。絶対に着せない」
帝城『竜鱗宮』の豪華なゲストルームにて。
レンさんは、ベッドの上に並べられた煌びやかなドレスたちを睨みつけ、低い声で拒絶した。
今日は、博覧会の前夜祭となる大舞踏会の日だ。
皇帝陛下が気を利かせて、私に帝国の最新流行のドレスを数着、手配してくださったのだが……。
「どうしてですか、レンさん? この赤いドレスとか、すごく素敵ですよ? 背中が大きく開いていて大人っぽいですし」
私が真紅のドレスを手に取ると、レンさんは瞬時にそれを奪い取り、部屋の隅(ゴミ箱の方向)へ投げ捨てた。
「論外だ。そんな布面積の少ないもの、ドレスとは呼ばない。ただの布切れだ」
「えぇ……じゃあ、こっちの青いのは? 胸元がレースで……」
「却下だ。透けすぎている。こんなものを着て他の男の前に出たら、俺が会場の男全員の目を潰して回ることになる」
「過激派!」
レンさんは眉間に深い皺を寄せ、腕組みをした。
どうやら、彼の「独占欲フィルター」を通すと、帝国の社交界ドレスはすべて「破廉恥な衣装」に見えてしまうらしい。
困った。これでは着ていく服がない。
「それに……」
レンさんは少し言い淀み、私をじっと見つめた。
「帝国の貴族どもは、君を『田舎娘』だと侮っている。既存のドレスを着たところで、奴らは『猿が衣装を着ている』と陰口を叩くだけだろう」
悔しいけれど、その通りだ。
昨日の謁見でも、彼らの視線は冷たかった。
私がどれだけ高価な宝石を身につけても、彼らにとっては「成り上がりの雑草女」にしか見えないのだ。
「だったら、レンさん。私に考えがあります」
私はニヤリと笑った。
「既製品がダメなら、作ればいいんです。……私たちらしい、誰も真似できない『最高の一着』を!」
◇
「ええっ!? 今から作るんですか!?」
部屋に呼び出されたシルヴィオ様(暇だったので廊下をうろついていたらしい)が、素っ頓狂な声を上げた。
パーティー開始まで、あと三時間しかない。
「はい。シルヴィオ様、手伝ってください。魔力供給のサポートをお願いします」
「もちろんです! フローリア先生のクラフトワークが見られるなんて光栄です!」
私は部屋のバルコニーに出た。
そこには、私がエデンから持ってきた植木鉢が並んでいる。
「今回使うのは、この子です」
私が指差したのは、純白の蕾をつけた植物。
【月光花】。
夜にしか咲かず、自ら淡い光を放つ幻想的な花だ。
ただし、これは私が品種改良した『繊維強化型』である。
「レンさん、ちょっと下がっていてくださいね。……いきます!」
私は深呼吸をし、両手を植木鉢にかざした。
イメージするのは、優雅で、繊細で、それでいて生命力に溢れたドレス。
「咲き誇れ、月下の乙女よ。その花弁を衣に変え、私を包み込みなさい」
ドクンッ。
魔力を流し込むと、蕾が一気に膨らんだ。
ポンッ、という音と共に大輪の花が咲く。
そこから、無数の白銀の繊維がシルクのように溢れ出した。
「うわぁぁ! 繊維が……生きている!?」
シルヴィオ様が驚愕する中、私は繊維を操る。
空中で複雑に編み込まれ、私の体に直接フィットするように形作られていく。
針も糸もいらない。
植物そのものが、私の意思に従って「ドレス」へと変貌していくのだ。
「袖はレース状の葉脈で透け感を出しつつ、露出は控えめに。スカート部分は花弁を何層にも重ねて、歩くたびにふわりと広がるように……」
私が指揮者のように指を振るうと、植物たちは嬉しそうに葉を揺らし、私の体を包み込んでいく。
最後に、背中の留め具として、小さな蕾を一輪添える。
「……完成です!」
光が収まった時。
そこには、この世の素材とは思えないドレスを纏った私が立っていた。
色は透き通るようなパールホワイト。
生地自体が呼吸するように微かに発光している。
裾には本物の花々が刺繍のように咲き乱れ、動くたびに甘く爽やかな香りを漂わせる。
「……どうでしょうか?」
私は恐る恐る振り返った。
シルヴィオ様は口を開けたまま硬直し、手にしたメモ帳を落としていた。
そして、レンさんは。
「…………」
無言だった。
ただ、その琥珀色の瞳が、揺らめくように熱く私を捉えて離さない。
「あ、あの、変ですか? やっぱり植物を着るなんておかしい……」
「……いや」
レンさんがゆっくりと近づいてくる。
その足取りは、猛獣が獲物に忍び寄るような、危険な色気を帯びていた。
彼は私の目の前で立ち止まり、そっと私の頬に触れた。
「……美しすぎる」
吐息混じりの声。
「変どころか……これは、毒だ。見た者すべてを狂わせる、極上の毒花だ」
「ど、毒って」
「ああ。俺だけが見ていたい。……今すぐこのまま、君をどこかへ閉じ込めてしまいたい」
レンさんの瞳の奥に、暗い独占欲の炎が見える。
ゾクゾクするような、でも愛されていると分かる視線。
「でも、今日はダメですよ? エルフを見返してやるんですから」
「わかっている。……だが、覚悟しておけ」
レンさんは私の腰を強く引き寄せ、耳元で囁いた。
「他の男が君に見惚れたら、俺がどうなるか……保証はしないぞ」
◇
夜。
帝城の大広間は、煌びやかなシャンデリアの光と、着飾った貴族たちの熱気で満たされていた。
「おい、聞いたか? 今日のエルフとの勝負の話」
「ああ。あの田舎娘、身の程知らずにもエルランド様に喧嘩を売ったそうじゃないか」
「今夜のパーティーにも来るらしいぞ。どんな芋臭い格好で現れるのやら」
嘲笑を含んだ囁き声があちこちから聞こえる。
会場の一角には、ハイエルフのエルランドが取り巻きのエルフたちと談笑していた。
彼は深緑の正装に身を包み、余裕の表情でグラスを傾けている。
その時だった。
『――竜公爵ロレンツォ・ドラグニル閣下、並びに、婚約者フローリア・グリーン嬢、御入場!』
重厚な扉が開かれた。
一瞬、会場が静まり返った。
嘲笑しようと待ち構えていた貴族たちの口が、ぽかんと開いたまま凍りついた。
そこに現れたのは、夜の女神そのものだったからだ。
「な……なんだ、あれは……?」
フローリアが歩を進めるたび、彼女のドレスから淡い燐光がこぼれ落ちる。
それは魔法の演出ではない。ドレスそのものが、生命の光を放っているのだ。
純白の生地は、シャンデリアの光を吸い込んで真珠のように輝き、裾に咲く花々は生きているかのように瑞々しい。
そして、その隣を歩く竜公爵。
漆黒の礼服に身を包んだ彼は、冷徹な美貌で周囲を威圧しながらも、隣の少女を愛おしそうにエスコートしている。
その姿は、お伽話の王子と姫などという生易しいものではなく、神話の神々の降臨のようだった。
「ごきげんよう、皆様」
フローリアが優雅に微笑むと、会場中に甘い花の香りが広がった。
香水ではない。
月光花の持つ、心を鎮め、人々を虜にする天然のアロマだ。
「あ、あり得ない……あのドレス、素材は何だ?」
「シルク? いや、あんな光沢のある布は見たことがない!」
「美しい……なんて美しいんだ……」
先ほどまでの悪口は消え失せ、感嘆の溜息が波紋のように広がっていく。
フローリアたちは、人混みを割って進み、エルランドの前で立ち止まった。
「ごきげんよう、エルランド様」
「……ッ」
エルランドは、持っていたグラスを握り潰しそうになっていた。
ハイエルフである彼には分かるのだ。
あのドレスが、ただの服ではなく、高位の植物魔法によって織り上げられた「生きている芸術」であることが。
「……ふん。派手な格好だな、人間」
エルランドは震える声で虚勢を張った。
「植物を切り刻んで身に纏うとは。やはり野蛮な種族だ」
「切り刻んでなどいませんよ?」
フローリアはフフッと笑い、ドレスの袖口にある小さな葉を撫でた。
すると、葉が嬉しそうにピクリと動いた。
「この子たちは生きています。私の魔力を糧にして、一緒にパーティーを楽しんでいるんです。ね?」
ドレス全体が、肯定するようにふわりと明滅した。
それを見た周囲の貴族たちが、「おおっ!」とどよめく。
「な、なんだと……?」
エルランドの顔色が青ざめる。
植物を生かしたまま衣服にする。
それは、ハイエルフの秘儀の中でも、長老クラスにしか扱えない高等技術だ。
それを、こんな小娘が、しかも涼しい顔でやってのけたというのか。
「さあ、明日の勝負が楽しみですね。今日は前夜祭ですから、仲良くしましょう?」
フローリアは無邪気に手を差し出した。
しかし、その笑顔は、完全にエルランドを「格下」として扱っている余裕に満ちていた。
「くっ……! 調子に乗るなよ!」
エルランドは彼女の手を無視し、踵を返して去っていった。
完全に、フローリアの先制パンチが決まった瞬間だった。
◇
その後、会場はフローリアの独壇場となった。
「フローリア様! そのドレスはどこの工房のものですの!?」
「ぜひ我が家のお茶会に!」
「公爵閣下との馴れ初めをお聞かせください!」
掌を返した貴族の令嬢たちが、わっと群がってくる。
フローリアは持ち前の明るさ(と天然)で、次々と対応していく。
「このドレスですか? 庭に咲いていたお花にお願いして、ちょっと巻き付いてもらっただけですよ~」
「お肌の秘訣? 毎朝の土いじりと、採れたてトマトの丸かじりですね!」
その飾らない言葉が、逆に「余裕ある高貴な振る舞い」として受け取られ、彼女の評価はうなぎ登りだった。
一方、レンさんは。
「……チッ」
群がる人々(特に男たち)を、物理的な殺気で遠ざける「防波堤」となっていた。
「おい、そこの男。フローリアの背中を見るな。目が腐りたいのか?」
「ダンスの申し込み? 俺の婚約者に触れる権利があるのは、俺だけだ。失せろ」
彼は不機嫌オーラ全開で、近づく男たちを次々と撃退していく。
その様子を見ていたシルヴィオ様(壁の花になってサラダを食べていた)が、苦笑しながら呟いた。
「やれやれ。公爵殿下の嫉妬深さは、帝国一の名物になりそうですね」
◇
パーティーの終盤。
レンさんは強引にフローリアの手を取り、バルコニーへと連れ出した。
「レンさん? まだ挨拶が残ってますけど……」
「もう十分だ。これ以上、他の奴らに君を見せたくない」
夜風が心地よいバルコニー。
帝都の夜景が眼下に広がり、空には満月が輝いている。
月光花のドレスが、月の光と共鳴して一層強く輝き出した。
レンさんは私を壁際に追い込むと、逃げ場を塞ぐように両手を壁についた。
いわゆる「壁ドン」だ。
「……今日はよくやった。あのエルフの悔しそうな顔、傑作だったぞ」
「ふふ、ありがとうございます。レンさんが隣にいてくれたから、怖くなかったですよ」
「……嘘をつけ。君は最初から楽しんでいただろう」
レンさんは呆れたように笑い、それから真剣な表情になった。
「だが、約束通り……お仕置きだ」
「えっ? 私、何かしましたっけ?」
「俺以外の男に、あんなに愛想を振りまいただろう。俺は嫉妬で気が狂いそうだったんだぞ」
「そ、それは社交辞令というか……んっ!?」
言葉は、レンさんの唇によって塞がれた。
熱くて、少し乱暴で、でもとろけるように甘いキス。
ドレスの花々が、私の高鳴る鼓動に反応して、一斉に甘い香りを噴き出した。
バルコニー全体が、濃厚な花の香りに包まれる。
「……はぁ、ん……レンさん……」
息継ぎのために唇が離れると、レンさんは満足げに目を細めた。
「君のドレスも、俺に同意しているようだな。香りが強くなった」
「これは……植物の生理現象で……!」
「言い訳は聞かん。……今夜は帰さないぞ、俺の可愛い庭師さん」
レンさんは私を横抱きに抱き上げた。
月明かりの下、最強の公爵様と、光るドレスの令嬢。
それはまるで絵画のように美しい光景だったが、私の心臓は爆発寸前だった。
明日は決戦の日。
なのに、こんなに甘やかされて、私の身は持つのだろうか。
幸せな悲鳴を上げながら、帝都の夜は更けていくのだった。




