第3話 竜公爵の不機嫌な一日
「見てくださいフローリア先生! この葉脈の広がり方、まるで天使の羽のようではありませんか!?」
「本当ですね! これ、葉の裏にある気孔の密度も通常の植物とは段違いです。おそらく、砂漠地帯での水分蒸発を防ぐために進化したんでしょうね」
「正解です! さすが先生、一目でそこまで見抜くとは!」
カボチャの馬車・マークⅡの車内。
ふかふかのソファ席で、私とシルヴィオ様は一冊の植物図鑑を広げて盛り上がっていた。
帝都へ向かう道中、話題は尽きることなく、私たちはかれこれ三時間も植物トークに花を咲かせている。
シルヴィオ様の知識量は本当にすごい。
私が前世の知識(科学的なアプローチ)で語ると、彼は魔法植物学の観点から補足してくれる。
まるでパズルのピースがハマるような感覚。
楽しくないわけがない。
「なるほど、窒素固定菌を魔力で活性化させれば、荒地でも育つと……メモしておかなければ!」
シルヴィオ様が熱心に羽ペンを走らせる。
私はその横顔を見ながら、いいお友達ができたなぁとほっこりしていた。
――しかし。
この空間には、一人だけ(正確には一人と一株)、全く楽しんでいない存在がいた。
「…………」
向かいの席に座っているレンさんだ。
彼は腕を組み、足を組み、石像のように固まって窓の外を睨んでいる。
その背中には、ベビーキャリーに入ったタケシ(マンドラゴラ)がおんぶされているのだが、タケシもレンさんの殺気に当てられて、葉っぱをショボショボとさせていた。
車内の温度が、さっきから肌寒い。
空調のせいではない。
明らかに、目の前の「竜公爵様」から冷気が漏れ出しているのだ。
(あ、また不機嫌メーターが上がってる……)
私はチラリとレンさんを見た。
目が合った。
琥珀色の瞳が、スッと細められる。
「……楽しそうだな」
低音ボイス。
鼓膜が震えるようなイケボだが、今は地獄からの呼び声に聞こえる。
「い、いえ! ただの情報交換ですよ! ほら、博覧会に向けて予習もしないとですし!」
「ほう。予習か。俺の存在を空気同然に扱ってまでする予習とは、さぞかし重要なのだろうな」
「ひぃっ、ごめんなさい!」
完全に拗ねている。
天下の竜公爵が、植物図鑑に嫉妬して拗ねているのだ。
可愛いけれど、このままだとカボチャの馬車が内側から破壊されかねない。
私は話題を変えることにした。
「そ、そろそろおやつにしませんか? マリアベルさんが持たせてくれたバスケットがあるんです!」
「おやつ! いいですね!」
空気を読まないシルヴィオ様が即答する。
私は慌ててバスケットを開いた。
中に入っていたのは、彩り豊かなサンドイッチと、カットされたフルーツ。
そして、マリアベル特製の『野菜クッキー』だ。
「わあ、美味しそう! レンさん、ほら、レンさんの好きなトマトサンドですよ!」
私は一番大きなサンドイッチを手に取り、レンさんに差し出した。
レンさんはチラリとそれを見たが、腕を組んだまま動かない。
「……手が塞がっている」
「え? 組んでるだけですよね?」
「塞がっていると言ったら塞がっているんだ。心の壁で」
「心の壁って!」
面倒くさい!
今日のレンさんは通常の三倍くらい面倒くさいぞ。
「……フローリア。俺は今、非常に気分が悪い。どのくらい悪いかと言うと、このカボチャを暴走させて、あいつ(シルヴィオ様)を荒野に振り落としたいくらいだ」
「やめてください! 王子様ですよ!」
「知ったことか。……機嫌を直してほしければ、わかるな?」
レンさんは口を少しだけ開けた。
「あーん」をしろということらしい。
しかも、シルヴィオ様が見ている前で。
(うぅ……恥ずかしいけど、馬車の平和のためだわ!)
私は覚悟を決めた。
「はい、どうぞ。レンさん」
私がサンドイッチを口元に運ぶと、レンさんはパクリと一口食べた。
そして、咀嚼しながらシルヴィオ様をジロリと見据える。
「……悪くない」
「よかったです」
「だが、足りない」
「え?」
レンさんは飲み込むと、私の手首を掴んでグイッと引き寄せた。
バランスを崩した私は、レンさんの隣の席――彼の太もものすぐ横にドサリと座らされた。
「え、ちょっ、レンさん!?」
「向かいの席は遠すぎる。ここなら、俺の声がよく届くだろう?」
レンさんはそのまま私の腰に手を回し、ガッチリとホールドした。
逃げられない。
彼の体温と、男らしい香りが至近距離で漂ってくる。
「公爵殿下? さすがにそれは、教育上よろしくないのでは……?」
シルヴィオ様が遠慮がちに指摘するが、レンさんは鼻で笑った。
「教育? 我が国の教育方針は『欲しいものは実力で奪い、離さない』だ。文句があるならかかってこい」
「ひぇ……いえ、結構です」
シルヴィオ様は図鑑の影に隠れてしまった。
レンさんは満足げに私を見下ろした。
「さて、フローリア。こいつ(シルヴィオ)と話すのは許可したが、俺を無視していいとは言っていない」
「む、無視なんてしてませんよぅ」
「していた。少なくとも三十分間、俺と一度も目を合わせなかった」
「時間を計ってたんですか!?」
細かい。
そして重い。
でも、その重さが嫌じゃない自分がいるのが悔しい。
「罰として、帝都に着くまでこのままだ」
レンさんは私の肩に頭を乗せ、まるで大きな猫のように擦り寄ってきた。
彼の髪が首筋に当たってくすぐったい。
背中のタケシも「ウキャッ」と真似をして、私の髪を引っ張る。
「……レンさん、重いです」
「我慢しろ。俺の愛の重さに比べれば、羽毛のようなものだ」
「うまいこと言わなくていいですから!」
私は真っ赤になって抗議した。
向かいの席で、シルヴィオ様が「ああ、尊い生態系だ……」と何かをメモしているのが見えた。
絶対に変なことを書いているに違いない。
◇
そんなドタバタな移動時間を経て、夕暮れ時。
カボチャの馬車は、ついに帝国の首都『グランド・ドラグニア』を見下ろす丘の上に到着した。
「うわぁ……!」
窓の外を見た私は、思わず声を上げた。
そこには、圧倒的な文明の光景が広がっていた。
黒い石で造られた堅牢な城壁。
その内側に林立する、天を突くような尖塔群。
街の至る所から蒸気が上がり、魔導列車が血管のように走り回っている。
エデンのような「緑の楽園」とは対極にある、鉄と石と魔導の都市。
それが、世界最強の軍事国家・帝国の姿だった。
「すごい……これが、レンさんの故郷……」
「ああ。無骨で、煤煙臭い街だろう?」
レンさんは自嘲気味に言ったが、その目には故郷への誇りと、少しの憂いが混じっていた。
「ここには自然が少ない。力こそが正義とされる場所だ。……君の肌に合うか心配だな」
「大丈夫ですよ。土がないなら作ればいいですし、緑がないなら植えればいいんです」
私はレンさんの手を握り返した。
「それに、ここにはレンさんが育った『根っこ』があるんですから。私にとっては興味深い場所ですよ」
「……君は本当に、いつでも前向きだな」
レンさんが優しく微笑んだ、その時だった。
『――止まれ! 何者だ!』
外部スピーカー(ラッパ草)を通して、鋭い警告音が聞こえてきた。
前方を見ると、城門の前で完全武装した帝国騎士団が道を塞いでいる。
巨大なカボチャの馬車を見て、魔物の襲来だと勘違いしたらしい。
「あー……そういえば、連絡入れてなかったな」
レンさんが頭をかいた。
「ええっ!? 皇帝陛下に招待されたんじゃないんですか!?」
「親父には伝えたが、現場の騎士にまで話が通っているとは限らん。……面倒だ、強行突破するか」
「ダメです! 平和的に行きましょうよ!」
私は慌てて窓を開け、身を乗り出した。
「騎士様ー! 怪しいものではありません! エデンからの使節団です! あと、竜公爵様も乗ってますよー!」
私が叫ぶと、騎士たちがざわめいた。
『エデンだと? あの噂の……? それに閣下が?』
『馬鹿な、閣下があんなふざけたカボチャに乗るわけがない!』
『騙されるな! あれは新手の攻城兵器だ! 撃てぇ!』
「えええええ!?」
問答無用で弓矢が飛んできた。
しかも、箭头が赤く光っている。爆裂魔法が付与された矢だ。
「ちッ……話の通じない連中だ」
レンさんが舌打ちをし、剣を抜こうとした。
だが、それより早く、カボチャの馬車が反応した。
馬車の屋根に設置されていた『迎撃用ヒマワリ』が、カッと開いたのだ。
私が「種マシンガン機能」を搭載しておいた防衛システムである。
ババババババッ!!
ヒマワリから、硬質化した種が高速連射された。
それは飛来する矢を空中で撃ち落とし、さらに余波で騎士たちの足元に着弾して砂煙を巻き上げる。
『うわぁぁっ! 反撃してきたぞ!』
『植物のくせに弾幕が濃い!』
『退避! 退避ーッ!』
「あぁぁ……また騒ぎに……」
私は頭を抱えた。
平和的に入国したかったのに、これでは完全に「カボチャの怪物による襲撃」だ。
その混乱の中、一台の豪華な馬車が城門から飛び出してきた。
「待て待て待てぇぇぇい!!」
拡声魔法で叫びながら現れたのは、銀髪の眼鏡の男性――ジークさんだった。
「攻撃中止! 全員、武器を収めろ! そのカボチャは皇帝陛下の賓客だぞ! 傷一つつけたら全員クビだ!」
ジークさんの怒号に、騎士たちがピタリと止まる。
カボチャの馬車も、私の操作で種の発射を停止した。
ジークさんは馬車を降りると、肩で息をしながらこちらへ駆け寄ってきた。
そして、窓から顔を出しているレンさん(不機嫌顔)と私(申し訳なさそうな顔)を見て、深々と溜息をついた。
「……閣下。フローリア様。お待ちしておりました」
彼は眼鏡の位置を直しながら、疲れた声で言った。
「ですが、まさか『戦車』でいらっしゃるとは……。私の胃薬が、到着前に尽きそうです」
「すまない、ジーク。乗り心地は悪くないぞ」
「そういう問題ではありません! ……はぁ、とにかく中へ。陛下がお待ちです」
ジークさんの先導で、カボチャの馬車は堂々と城門をくぐった。
沿道には、噂を聞きつけた帝都の民衆が溢れかえっている。
「なんだあれ……デカいカボチャ?」
「中に人が乗ってるぞ!」
「あれが噂の『竜公爵の愛の巣』か?」
好奇の視線が突き刺さる。
私は恥ずかしくて顔を隠したが、シルヴィオ様だけは「見てください! 帝国の民が我がカボチャに注目しています!」と手を振っていた。
メンタルが強すぎる。
◇
帝城『竜鱗宮』。
その謁見の間にて。
私たちは、皇帝カイザー陛下の前に整列していた。
私、レンさん、シルヴィオ様(なぜか一緒にいる)、そしてタケシ(レンさんの頭の上)。
「うむ! よく来たな、我が息子と嫁よ!」
玉座のカイザー陛下は、相変わらずの上機嫌だった。
隣には、見目麗しいがどこか冷ややかな表情の女性――皇妃殿下も座っている。
そして、その周囲には、高貴な身なりをした大臣や貴族たちがズラリと並び、値踏みするような視線を私に向けていた。
「ふん、あれが噂の『雑草令嬢』か?」
「公爵様をたぶらかした田舎娘と聞いたが……」
「見た目はそこそこだが、魔力も感じられぬ貧相な娘だな」
ヒソヒソという陰口が、あえて聞こえるように囁かれる。
どうやら、帝国の貴族たちは、私がレンさんの婚約者であることを快く思っていないらしい。
(まあ、そうよね。どこの馬の骨とも知れない小娘だもの)
私が身を縮めていると、レンさんが一歩前に出た。
ドンッ!
彼が床を踏み鳴らすと、謁見の間全体が揺れた。
覇気が爆発する。
「……俺の女に文句がある奴は、前に出ろ。今ここで灰にしてやる」
琥珀色の瞳が、獰猛な竜のように輝く。
陰口を叩いていた貴族たちが、一瞬で顔面蒼白になり、震え上がって口を閉ざした。
「ま、まあまあレン。そう殺気立つな」
カイザー陛下が苦笑しながら止める。
「今日はめでたい再会の日だ。それに、フローリアよ。そなたに紹介したい人物がおる」
陛下が視線を向けた先。
貴族の列の中から、一人の人物が優雅に進み出た。
長い金髪に、尖った耳。
深緑色のローブを纏い、手には古木のような杖を持っている。
その男は、見るからに傲慢そうな瞳で私を見下ろした。
「お初にお目にかかります、人間のお嬢さん」
声は美しいが、冷たい響きを含んでいた。
「私はハイエルフの長、エルランド。帝国の植物管理を一任されている者です」
ハイエルフ。
魔法に長け、植物と対話できるとされる伝説の種族。
エルランドは、私の足元――レンさんの影に隠れていたタケシを見て、フンと鼻を鳴らした。
「……醜い。魔力を無理やり詰め込まれた、汚らわしい根菜だ」
「なっ……!?」
私はカチンときた。
私を馬鹿にするのはいい。
でも、うちの子(野菜)を馬鹿にするのは許せない。
「訂正してください。タケシは元気で可愛い子です」
私が言い返すと、エルランドは嘲笑を浮かべた。
「ほう? 人間ごときが、植物の美を語るとは。……陛下、やはりこの娘のエデン出品など認めるべきではありません。帝国の品位に関わります」
彼は陛下に向かって恭しく一礼した。
「植物とは、高貴なるエルフのみが扱える聖なる命。泥にまみれた人間の農業など、植物への冒涜です」
「……言わせておけば」
レンさんが剣に手をかけようとしたが、私はそれを手で制した。
怒りで震える手を抑え、一歩前に出る。
「エルランド様。貴方は、農業を……土を、馬鹿にされましたか?」
「事実を述べたまでだ」
「わかりました」
私はニッコリと、しかし目は笑わずに微笑んだ。
「ならば、証明しましょう。私の『泥まみれの農業』と、貴方の『高貴な魔法』……どちらが本当に植物を愛し、愛されているかを」
「……ほう? 私に勝負を挑むと?」
「ええ。博覧会のステージで、勝負です!」
謁見の間がどよめいた。
人間が、ハイエルフに植物勝負を挑むなど、前代未聞だ。
「面白い!」
カイザー陛下が玉座の肘掛けを叩いた。
「許可する! エデンの特産品と、エルフの秘宝……どちらが優れているか、このワシが判定してやろう!」
こうして、売り言葉に買い言葉で、世紀の「植物対決」が決まってしまった。
私は拳を握りしめた。
絶対に負けない。
私の可愛い野菜たちを馬鹿にしたこと、後悔させてやるんだから!
隣でシルヴィオ様が「ああ……歴史的瞬間だ……」と感動し、レンさんが「……やれやれ、また派手なことになったな」と苦笑する中。
私の帝都での戦いが、幕を開けたのだった。




