第1話 楽園の日常と、空からの招待状
第2章スタートです!!
「こらーっ! そこ、根っこが浅いわよ! もっと深く、大地の母に抱かれるような気持ちで踏ん張りなさい!」
雲ひとつない青空の下、私の庭――もとい、「帝国直轄特別領・エデン」に、よく通る女性の怒号が響き渡った。
声の主は、ジャージ姿(植物のツルで私が編んだもの)に身を包み、鍬を片手に仁王立ちしているマリアベルだ。
かつて「聖女」と呼ばれ、厚化粧とドレスで着飾っていた彼女の面影は、もうどこにもない。
今の彼女は、健康的な小麦色の肌と、引き締まった二の腕、そして何より生き生きとした瞳を持つ、頼れる「エデン農場長」である。
「マリアベルさん、精が出ますね」
私が冷たいハーブティーを持って声をかけると、彼女は汗を拭いながら振り返った。
「あら、フローリア。おはよう。……見てよこれ、新入りのゴブリンたちが全然なってないのよ」
彼女が指差した先では、数匹のゴブリンたちが涙目でスクワットをしていた。
彼らは先日、森の豊かさに惹かれて住み着いた魔物たちだ。
最初は畑を荒らそうとしたのだが、マリアベルの「聖女流・スパルタ農法指導」と、レンさんの殺気にあてられて、今ではすっかり従順な下働きとなっていた。
「まあまあ、彼らも頑張ってますよ。ほら、差し入れです」
「気が利くわね。……んっ、美味しい! これ、新作のミント?」
「はい。【氷結ミント(アイス・ミント)】です。飲むと体感温度が五度下がります」
「最高じゃない。……はぁ、それにしても平和ねぇ」
マリアベルはコップを片手に、広大な農園を見渡した。
かつて「死の荒野」と呼ばれた場所は、今や見渡す限りの緑と、色とりどりの果実が実る楽園となっていた。
巨大な世界樹が優しく枝を揺らし、その木漏れ日の中で、珍妙な植物たちが歌っている。
平和だ。
本当に、平和そのものだった。
――そう、あの「手紙」が届くまでは。
◇
「……博覧会、ですか?」
その日の朝食の席で、私はレンさんから一枚の封筒を見せられた。
封筒には、帝国の紋章である「双頭の竜」が金箔で押されている。
差出人はもちろん、レンさんのお父様――カイザー皇帝陛下だ。
「ああ。来月、帝都で『世界万国博覧会』が開催されるらしい。世界中の技術や芸術、特産品を集めた祭りだ」
レンさんは焼きたてのパン(世界樹の酵母使用)に、たっぷりとベリージャムを塗りながら、憂鬱そうに溜息をついた。
「で、親父からの勅命だ。『我が帝国の誇るエデンの特産品を出品せよ。ついでに孫の顔も見せに来い』とな」
「へぇ、楽しそうですね! 博覧会って、野菜の品評会みたいなものでしょうか?」
私の脳内には、前世の田舎で見た「ジャンボかぼちゃコンテスト」のような光景が浮かんでいた。
自慢の野菜を持ち寄って、みんなで「大きいねぇ」「甘いねぇ」と愛でる平和なイベント。
「……まあ、当たらずとも遠からずだが、規模が違う。各国の王族や貴族が集まり、国威発揚の場でもあるからな」
レンさんは眉間の皺を揉んだ。
「断りたいところだが、エデンが『帝国直轄領』になった以上、顔を立てないわけにはいかない。それに、ここ最近のエデンの噂を聞きつけて、変な輩が嗅ぎ回っている。一度公の場に出て、俺が後ろ盾であることを知らしめた方が、後々静かに暮らせるだろう」
「なるほど。レンさんがそう仰るなら」
私は呑気に頷いた。
帝都かぁ。どんな植物が生えているんだろう。
都会のガーデニング事情も気になるところだ。
「わかりました! じゃあ、何を出品するか考えないとですね。タケシ(マンドラゴラ)も連れて行けるなら、旅行気分で行きましょう!」
「……君のその前向きさには救われるよ」
レンさんはふっと表情を緩め、私の頬についたパン屑を指先で取ってくれた。
そして、その指を自然な動作で自分の口へ運ぶ。
「――ッ!?」
私はカァッと顔が熱くなった。
「レ、レンさん! 行儀が悪いです!」
「そうか? 君が作ったパンだからな。欠片一つ無駄にはできない」
レンさんは悪戯っぽく微笑む。
最近、この人の溺愛ぶりが加速している気がする。
最初は「不愛想な庭師さん」だったのに、正体がバレて、さらに皇帝公認の仲になってからは、タガが外れたように甘やかしてくるのだ。
「……もう。朝から刺激が強すぎます」
「慣れてくれ。俺はこれでも抑えているつもりだ」
甘い。
朝食のジャムより甘い。
こんな幸せな時間がずっと続けばいいのに。
そう思っていた時だった。
コンコンコン。
世界樹の幹(玄関)がノックされた。
こんな朝早くに誰だろう? マリアベルなら勝手に入ってくるし、ゴブリンたちは礼儀正しく裏口を使う。
「……俺が出る」
レンさんの表情が瞬時に「公爵モード」に切り替わった。
彼は腰の剣に手をかけずとも、全身から威圧感を放ちながら扉を開けた。
そこに立っていたのは、一人の青年だった。
「やあ、おはようございます! 朝の光が植物たちを照らす、素晴らしい時間帯ですね!」
爽やかすぎる声。
そして、無駄にキラキラとしたオーラ。
蜂蜜色の髪をサラリと流し、宝石のような碧眼を輝かせる美少年。
仕立ての良い白の旅装束を着ており、背後には豪奢な白い馬車が停まっている。
「……誰だ、貴様は」
レンさんが地を這うような低い声で問う。
普通の人間なら、この声だけで腰を抜かすはずだ。
しかし、青年はニコニコとした笑顔を崩さなかった。
「失礼しました。私はシルヴィオ。隣国フルール王国から参りました。この地に『世界で最も美しい野菜』があると聞いて、居ても立ってもいられず飛んできたのです!」
「フルール王国……?」
私が後ろから顔を出すと、青年――シルヴィオ様は私を見て、パァッと顔を輝かせた。
「貴女が! 貴女が噂の『緑の指』を持つ主、フローリア嬢ですね!?」
彼はレンさんの脇をすり抜け(レンさんが一瞬反応に遅れるほどの素早さだった)、私の目の前まで来ると、ガシッと私の両手を握った。
「会いたかったです! ずっと、ずっとお会いしたかった!」
「えっ、あ、はい?」
突然のことに私が固まっていると、背後から氷点下の殺気が膨れ上がるのを感じた。
「……おい。その手を離せ」
レンさんの声が怖い。
部屋の温度が急激に下がっている。
しかし、シルヴィオ様は気づかない。というか、私しか見ていない。
「フローリアさん! 見せてください! 貴女が育てたという『七色に光る大根』を! 文献にはあるものの、実在しないと言われてきた幻の根菜! 貴女なら、貴女なら再現できたはずだ!」
彼の目は、恋する乙女のように潤んでいた。
ただし、求めているのは私ではなく「大根」だ。
「……あ、はい。ありますよ、七色大根」
「本当ですか!?」
「ええ。ちょうど昨日、いい色に光り始めたところなんです。今は畑の奥の『実験区画』に植えてあるんですけど……」
「素晴らしい! ぜひ! 今すぐに! 案内してください!」
「わかりました。植物好きの方に悪い人はいませんからね!」
私は植物トークができる相手が来たことに嬉しくなり、ついレンさんの殺気をスルーしてしまった。
「さあ、こちらですシルヴィオ様!」
「はい、師匠!」
「……待て」
レンさんの制止も虚しく、私たちは畑へと駆け出した。
◇
「す、すごい……! なんて神々しいんだ……!」
畑の奥。
特殊な遮光カーテンで覆われた一角に入った瞬間、シルヴィオ様は膝から崩れ落ちた。
彼の目の前には、地面から突き出た大根の葉があった。
そして、土から少しだけ顔を出している白い肌――その表面が、虹色に脈動し、ぼんやりと発光している。
【虹色大根】。
魔力を光に変換して蓄える性質を持ち、食べると一週間くらい体が発光する(夜道でも安心)という、便利なんだか迷惑なんだか分からない野菜だ。
「見てください、この葉脈の力強さ! そして土から漏れ出す光の粒子の細かさ! これはただの野菜じゃない、芸術作品だ!」
シルヴィオ様は涙を流しながら、大根の周りの土を指で愛おしそうに撫でた。
「ああ、土も素晴らしい。ふかふかで、温かくて……この土になりたい……」
「わかります! 土作りにはこだわったんです。腐葉土と、砕いた魔石を絶妙なバランスで配合して……」
「魔石を肥料に!? 天才だ! 常識外れだ! 普通なら根腐れするところを、魔力循環させることで養分に変えているんですね!?」
「そうです! よく気づきましたね! 普通の人は『光ってる、キモい』しか言わないのに!」
私は興奮して、シルヴィオ様の手を握り返した。
初めてだ。
私のマニアックな植物談義に、ここまで食いついてくる人は。
レンさんは聞いてはくれるけれど、「すごいな(俺には分からんが)」というスタンスだ。
でも、シルヴィオ様は違う。
彼は「同志」だ。
「フローリアさん……いや、フローリア先生! 僕と、僕と結婚して……いや、共同研究してください! 我が国の研究所には、世界中の種子があります! 貴女となら、伝説の『空飛ぶカボチャ』だって作れる気がする!」
「空飛ぶカボチャ! 夢がありますね!」
私たちが手を取り合って盛り上がっていると。
ズンッ。
背後で、地面が陥没する音がした。
「……楽しそうだな」
恐る恐る振り返ると、そこには般若のような形相をしたレンさんが立っていた。
手には、どこから持ってきたのか、ミスリル製のスコップが握られている。
そのスコップの柄が、ミシミシと悲鳴を上げて曲がっていく。
「レ、レンさん?」
「シルヴィオと言ったか。……隣国の第二王子だな?」
レンさんは私とシルヴィオ様の間に割って入り、私を背に庇うように立った。
「えっ、王子様だったんですか!?」
私が驚くと、シルヴィオ様は「あ、忘れてました」と頭をかいた。
「はい、一応『フルール王国』の第二王子です。でも、王位継承権なんてどうでもいいんです。僕はただ、植物と添い遂げたいだけで」
「植物と添い遂げるなら、自分の国の森へ帰れ」
レンさんがドスの効いた声で威嚇する。
「俺の婚約者に、気安く触るな」
「婚約者? ああ、貴方が噂の『竜公爵』ロレンツォ殿下ですか」
シルヴィオ様は、レンさんの殺気を受けても、柳のように受け流した。
この人、天然なのか、それとも植物以外には興味がないから恐怖を感じないのか。
「噂では冷酷無比な武人だと聞いていましたが……まさか、こんな素晴らしい菜園の管理人だったとは。貴方も植物を愛する心をお持ちなのですね?」
「……俺が愛しているのは、植物ではなくフローリアだ」
レンさんは堂々と言い放った。
私はまた顔が熱くなる。
恥ずかしいから、敵の前でそういうこと言うのやめてほしい。
「なるほど。それは結構。ですが、植物への愛なら僕も負けませんよ」
シルヴィオ様は、なぜか対抗心を燃やし始めた。
「僕は3歳の頃から図鑑を読み漁り、5歳で自ら品種改良を成功させました。王族の公務をサボって温室に引きこもり、父上から勘当されかけたこともあります!」
「自慢になっていないぞ」
「フローリア先生の才能を一番理解できるのは僕です。公爵殿下、貴方に『光合成の神秘』について三時間語れますか?」
「……語れん」
「ならば、彼女のパートナー(研究仲間)にふさわしいのは僕だ!」
「ほう……?」
レンさんのこめかみに青筋が浮かんだ。
周囲の大気がバチバチと音を立てる。
タケシ(マンドラゴラ)が危険を察知して、土の中に潜っていくのが見えた。
「そこまでです!」
私は二人の間に飛び込んだ。
このままでは、私の大事な虹色大根が、二人の戦いの余波でサラダになってしまう。
「レンさん、落ち着いて! シルヴィオ様も、煽らないでください!」
「フローリア……。こいつ、君を連れて行く気だぞ」
レンさんが、捨てられた子犬のような(でも殺気は凄い)目で私を見る。
「行きませんよ! 私はここの庭が好きなんです。レンさんと一緒に作った、このエデンが!」
私の言葉に、レンさんの表情がふっと緩んだ。
「……そうか」
「はい。でも、シルヴィオ様の知識は素晴らしいです。せっかくですから、情報交換くらいはしてもいいじゃないですか」
私はレンさんの袖を引っ張った。
レンさんはしばらくシルヴィオ様を睨みつけていたが、やがて大きく溜息をついた。
「……わかった。君がそう言うなら、滞在は許可する」
「ありがとうございます!」
「ただし!」
レンさんはシルヴィオ様の胸倉を掴み(物理)、顔を近づけた。
「フローリアから半径1メートル以内に近づくな。触るな。口説くな。もし約束を破ったら……その綺麗な顔を、肥溜めに沈めるぞ」
「ひぇっ……は、はい。善処します」
さすがに命の危険を感じたのか、シルヴィオ様は青ざめて頷いた。
こうして、私たちの奇妙な共同生活が始まることになった。
植物オタクの王子様と、嫉妬深い竜公爵様。
そして、来月に迫った帝国博覧会。
平穏だった私のスローライフは、またしても騒がしくなりそうだ。
「あ、そうだシルヴィオ様。博覧会にはいらっしゃるんですか?」
「もちろんです! というより、僕はその視察団の代表なんですよ。……まあ、半分以上は『帝国にある珍しい植物を見たい』という私利私欲ですが」
「やっぱり。じゃあ、一緒に行けますね!」
「ええ! 道中、カボチャの受粉方法について語り合いましょう!」
「おい、フローリアと喋るな」
レンさんが再びスコップを構える。
やれやれ。
帝都への道のりは、とても賑やかなものになりそうだ。
私は虹色に光る大根を撫でながら、これからの波乱に満ちた日々を予感して、苦笑するのだった。




