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第3話「王都結界、拍で再起動」

――鐘の音は、都市の心拍だ。


 午後一番、俺は王城の北塔にいた。結界中枢は塔の先端、風と日差しの溜まり場みたいな場所だ。床に埋め込まれた魔法陣は、楽譜にも似ている。円周上に均等ではない刻み、間に青い宝玉。欠けや滲みがある。長い歳月の擦り切れだ。


「王都結界は四層拍子ですの」

 殿下が指で輪をなぞる。

「東門が一拍目、南が二拍、北が三拍、西が四拍。拍は均等ではありません。市場の喧噪、下水の流速、鐘楼の時刻、すべてが拍をわずかに引っ張る。生き物ですから」


 生き物、か。俺は靴裏でそっと床を押した。魔法陣の線が微かに震え、靴底に“古いメトロノーム”の揺れが伝わる。一定に見えて、ほんの少し歪んでいる。


「今日の目的は“調停”ですわ。あなたの重ねを、都市の拍に合わせる。——ただ一つだけ、厄介な報せが」


 殿下が視線で合図すると、宮廷魔術師のエレーネが巻物を広げた。銀の髪、眠たげな瞼。学者のくせに寝不足の匂いがしない。天才の系統だ。


「今朝から北東区の魔力飽和が上がっている。自然上昇じゃない。誰かが“外から押している”可能性がある」


 誰かが、結界を内側から破ろうとしている。胃のあたりが温まる。怒りというより、予備運動だ。


「犯人探しは衛兵がやります。わたくしたちは都市を守る。ルグ殿、まずは東門から」


「承知」



 東門の結界柱は市場に面している。露店の呼び声、果物の甘い匂い、油煙。ここで拍を支えるのは、パン屋の焼き上がり時刻と、給水塔の吐水間隔だ。殿下が腕を組み、呼吸を整える。親衛隊の二人が周囲の人混みを軽く押しとどめる。


 俺は柱に手を置いた。冷たい。芯に古い音が眠っている。

 〈視界安定〉〈感覚同期〉〈遅延:微〉

 支援は人に掛けるものだが、結界の“周縁”には乗る。柱の表面に薄い膜ができ、揺れが“見える化”する。波の山が合わない。パン窯の蒸気が拍を早め、給水塔が追いつけず、柱が余計に揺れている。


「速度は上げない。遅延を四分の一拍だけ重ねてくださいな」

 殿下の指示は短い。

 〈遅延:微〉×2。×3。

 市場の喧噪が半歩遅れて耳に入ってくる。気持ち悪い感覚だが、柱の揺れは整いはじめた。


「もう一息。回復効率を“都市”に掛けるイメージで」

 無茶な注文を、平然と音楽用語で言う王女である。

 〈回復効率:小〉

 結界の線に淡く色が戻る。掠れていた符が、インクを吸い直すみたいに濃くなった。市場の時計が一個、別の時計と同じ時刻を指した。拍が揃う。

 鐘楼がちょうど一打。東門、整。


 周囲の商人たちがざわめいた。「風が軽い」「暑さが引いた気が」と口々に言う。空気の乱れは、売上と喧嘩をする。彼らにとっても、これは“景気”だ。



 南門は工房街だ。鉄を打つ音が拍を牽引する。ここは息が荒い。柱の揺れも太い。

 〈防御:薄膜〉〈筋力共有:微〉

 金床のリズムをひとつ借り、柱へ返す。重ねる。二巡、三巡。鉄の音は整い、粉塵がすっと引く。鍛冶屋の親方が不思議そうに鼻を鳴らす。

「煙が上へ行く……?」

 換気の流れが変わる。炎は真上に上がり、熱の滞りが薄まる。南門、整。



 問題は北だ。

 北は貧民街と旧運河がある。水が止まり、音が淀む。エレーネが眉を寄せた。

「ここ、脈が合ってない。外から押してるのは多分、ここ」

 柱に触れると、ビリっと手が痺れた。別の拍が混ざっている。粗悪な打楽器を無理やり合奏に混ぜたみたいだ。

「干渉を切る。——ルグ殿、三巡半まで許す。過制御の一歩手前で止めること」

 殿下の声音が硬くなる。

 〈視界安定〉〈速度〉〈防御〉〈回復効率〉——一巡。

 脈が一段落ち着く。

 〈視界安定〉〈速度〉〈防御〉〈回復効率〉——二巡。

 柱の奥で、誰かが“押し返して”きた。

 〈命中補正〉

 支援の線を細く鋭くする。

 三巡目の半分で、柱の中の異物が、ほんの一瞬“形”を持った。細い針。方角は北東。

「見えた」

 殿下が短く命じる。「エレーネ、印を取って」

「取った。衛兵に投げる」

 魔術師は空に符を描き、光の手紙を飛ばした。

「ルグ殿、半で止めて」

 〈更新停止〉

 重ねの手を止める。支援は走り続けるが、加速はしない。柱の揺れが、ゆっくりと“都市の拍”に戻っていく。北門、仮整。


 それでも、嫌なざらつきが残った。遠くで誰かが“もう一回”押してくる。追いかけっこは嫌いじゃない。だが、都市の心拍で遊ばないでもらいたい。



 西門は風の門。丘陵から吹き下ろす風が通り道を作る。ここは楽だ。風車が回り、粉屋が歌い、結界はむしろ“歌の後押し”を欲しがっている。

 〈速度〉〈視界安定〉〈連携予測〉

 風車の羽根がわずかに揃う。粉屋の歌が半音上がる。西門、整。



 四門を一巡し、北門へ戻る。衛兵から光の返電が届いていた。

『北東区、倉庫街の外れ。地下に不審な魔術装置。押収中。操作者は逃走』

 殿下が短く息を吐く。

「間に合った。——ルグ殿、仕上げを」

「了解」


 北門柱の前に立つ。観衆が遠巻きに見ている。いつの間にか《赤獅子》もいた。ヴァルドは腕組みのまま。ジェイの目だけがギラついている。負けを取り返す場所を探している目だ。


「見て学べよ、ジェイ」

 声に棘は入れない。無駄に刺さない。

 〈速度〉〈防御〉〈回復効率〉〈視界安定〉

 一巡。

 〈連携予測〉〈命中補正〉

 二巡目の構成を少し変える。都市は個の集合だ。個の“誤差”をならすのではなく、誤差に合わせて重ねる。

 三巡目は半まで。

 〈更新停止〉

 柱の線が、すっと一本の“五線譜”に戻る。北門、整。——都市がひとつの心音に溶けた瞬間、塔の上から鐘が鳴った。ゆっくり、しかし迷いのない一打。


 拍手が起きる。市場の女将が「風が優しい」と言い、工房の親方が「火が言うこときく」と笑った。貧民街から来た少年が、柱にそっと手を触れ、「ぬるい」と呟いた。冷たすぎない、という意味だ。



 城へ戻る前、殿下は人の輪を割って一人の老女に近づいた。質素な服。手は節くれだっている。

「おばあさま、いつも水路の掃除をありがとうございます」

「へ、へえ……王女様に礼を言われる筋合いじゃ」

「あります。あなたが一人で担ってきた拍が、都市の基礎です。あなたの三歩が、わたくしたちの一打を支える」

 殿下のこういうところが好きだ、と俺は思う。派手な刃より、こういう言葉が都市を守る。


 ふと視線を感じて振り向くと、《赤獅子》がこちらを見ていた。ヴァルドは何か言いかけ、唇を閉じた。ジェイは俺と目が合い、舌打ちを飲み込んだ。飲み込めるだけ、昨日より大人だ。


「ルグ」

 殿下が呼ぶ。

「王女親衛隊としての最初の給与は、今日の夕刻に。——それとは別に、個人的なお願いをしても?」

「内容次第です」

「王城の食堂で、今夜、皆で夕食を。あなたの“食事バフ”の重ねを拝見したくて」

「食卓にも、重ねは効くんですか」

「人は、食べて強くなる生き物ですもの」


 笑って頷く。飯は大事だ。飯テロを甘く見ると、読者も兵も離れる。



 夕刻までの短い休憩。塔の影で風に当たりながら、俺は自分の手のひらを見た。支援の残り火が、まだ薄く灯っている。重ねすぎない。止める勇気。更新の負債。今日の三つの教科書が、皮膚に書き込まれている。


 そのとき、エレーネが隣に来た。目元に薄い笑み。

「あなた、学習曲線が速い。王女の悪い癖にも慣れた?」

「悪い癖?」

「お願いの前置きが短いこと」

 確かに。彼女はいつも結論を先に置く。俺は嫌いじゃない。

「地下の装置、解析は?」

「半分。拍を“ずらす”ものだった。安上がりの嫌がらせ。だが遅延の方向が、妙に“うち”の拍と噛み合ってた。……内部の情報が漏れてるかもね」

 内部。不快な単語だ。

「あなたの“重ね”は目立つ。今日の公開試験も、結界も。敵は覚える。次は“あなたの拍”を狙ってくる」

「狙えるものなら、狙ってみてほしい。俺には殿下の合図がある」

 エレーネは肩をすくめ、やれやれと笑った。

「そう。そういう自信は、王都にとって良い薬」



 日が沈む。王城の食堂は長い卓が二列、壁には古い地図。親衛隊が席につき、殿下が軽く杯を掲げる。

「今日の拍に」

「今日の拍に」

 応える声は、音の厚みが違った。支援を重ねなくとも、心が重なる日がある。そんな日は、勝利の前夜だ。


 料理人が運ぶ皿は、見た目からして強い。パン、スープ、焼き物、根菜のグリル。俺は匙を握り、支援を小さく重ねる。

 〈消化効率:小〉〈疲労分散〉〈睡眠導入〉

 兵にとって、食事は戦の続きだ。明日も拍を刻むための準備。殿下が一口スープを飲み、驚いた顔をする。

「優しい。——強い優しさ」

「薄いスープでも、鍋が大きければ祝宴になりますから」

 殿下は笑って、杯を置いた。

「明日は、王都の外に。結界の外縁で、風の拍を合わせる」

「了解」

 外も、内も。都市は二重の心臓で回る。


 食後、殿下が小声で付け加える。

「それと、明日から“侍女騎士”と“宮廷魔女”があなたの担当に。わたくしだけで独占していると、各所がうるさいの」

「奪い合い、というやつですね」

「ええ。“強い支援”は喉が渇きますもの」

 王女様は涼しい顔で、とんでもない宣言をさらりと置いた。王都の女神たちの喉が鳴る音が、遠くで重なった気がした。


 鐘が夜を告げる。都市の心拍は、今日も正しく鳴っている。

 明日は外縁。風の道を整え、拍をさらに滑らかに。敵はどこかで歯噛みし、こちらは一拍ずつ強くなる。

 俺は掌を握り、ほどき、また握る。重ねすぎず、止めどきを見極める。——それが、俺の物語の一番長い褒め言葉になるはずだ。

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