第27話「名の継所、橋脚を見守る見習い」
――継ぐとは、置きっぱなしにしないこと。
渡された名の橋脚に片膝をつき、零→一→二→三→四の通りを曇らせない。
それをする場所が「継所」、それをする人が「継手」。
朝。寺院跡の片側に新しく小屋掛けができた。壁は薄く、屋根は厚い。渡鈴は低・高で一対、内側には格納帳(亡)の小棚、外側には生帳の長机。入口には五の席。ここが今日からの「継所」だ。名の行き来と返礼の一部を、ここで見守り、受け直し、手当する。
「本日の講師」
殿下が指を二本。
「返輪師——元・鎖名師。環名師——輪を“礼順”に直す職。
見習いの継手は八名、補助四名。零、厚めから」
返輪師は黒環ではなく、細い仮綴じ紐を肩に。環名師は薄輪をいくつも指にかけ、どれも三で検印が落ちる設計になっている。
シアンは白手袋を締め、半拍遅れて俺を見る。危ない合図は甘い合図に似ている。けれど、今日は甘やかさない。継手は街の骨を預かる。
◇
午前の講義「継手・標準手順」。蔵守が板に短く書く。
〈零で息/一で名乗り(受け手⇄渡し手)/二で笑い(形でも可)/三で置く(席へ、あるいは帳へ)/四で返す(半拍遅れの真正印)〉
「見本を」
返輪師がうなずき、紐を三にあわせて綴じ、「四の直前で抜ける」を見せる。戻しではなく返すための“仮”。
環名師は検印輪を掲げ、「一に触れない。三にだけ薄く押す」と解説。輪は従でしかないことを、輪自身が説明しているのが可笑しい。
見習いの手は、最初は震える。
門番上がりの青年は一が強すぎ、二が固い。
「二は声じゃない。胸のひらき」
シアンが静かに胸に形を作って見せ、青年の肩甲骨が一枚落ちる。三は軽く、四は深い。
耳に白糸のアダは逆に一が小さすぎる。
「零を厚く、一を形で置く」
蔵守が〈間合い指定〉を靴裏の幅で床に置き、アダはそこに一を“置く”コツを掴む。彼女は三で置くが絶品だ。継手向きだ。
◇
教場に、乾いた紙の匂い。名目録師の中堅が実地演習の帳面を抱えて入る。
「照合を現場でやってよいか?」
「よい。ただし順序」
殿下が淡々。「名→行き先→置く→返印。番号は欄外。返済番号は脚注の脚注」
中堅は渋面のまま「承知」。けれど、棚の影で別の影が動いた。
規格師。初めて見る肩章。律祖庁の出先が使う“均一化”の職、らしい。紙束の見出しは〈統一運用:三拍省略モデル〉。
「二と三を合同とし、“置く前の返済”を仮成立として扱う」
嫌な文章。昨日やっと条文で無効にした手口を、言いまわしで裏から戻す気だ。
「三は条文の心臓」
俺は前に出て、板に丸を一つ。
「置く前の返却は無効。仮も不可。——欄外に下げる効率ほど、骨を折る」
規格師は眉一つ動かさず、「中央の要請」とだけ言って紙を置く。
殿下は木さじを水平に、零を厚く落としてから一で名乗った。
「旅人、エリス。——中央を敵にしない。けれど、礼を従にもしない。三を削る案は継所では扱わない」
規格師は紙束を整え、「確認した」と去った。去り際の癖に遅延が混じる。背後に律祖庁の気配。覚えておく。
◇
午前の後半は「鎖ほどき・継手版」。
返輪師が見習いに仮綴を配り、鎖が残っていた帳や札から**“戻し癖”を抜く作業。
「重みには会釈**、食い込みには泡楔、迷いには輪郭」
環名師が三語の呪文みたいに言い、ジェイが泡立て器を一回転。瞬間の縁が走る。
見習いの手が、だんだん速度を揃え始める。四拍は、音楽じゃなく実務だ。
◇
昼前、鼓手長が入口に現れた。仮面、太鼓なし、粉なし。今日は約束の日——「二の遅延は投げない、丸は壊さない」。
「見学」
仮面越しの声は遅れず、ただ乾いている。
「注目の継所も作るのか?」
「作らない」
殿下は即答。「注目は見せ札で流す。真正は席に残す。継ぐのは名と礼」
鼓手長は仮面の穴を細くし、何かを帳に書いて腰へしまった。止まれる。戻れる——たぶん。
◇
午後。実地巡回。継所から四隅の道標へ、見習いを二人一組で送る。
俺とシアンは北塔通り。日差しに石の目地が白く出て、影矢印がわかりやすい。
角の投函箱で、見習いの二人が標準手順を通す。一で名乗り/二で笑い/三で投函(置く)/四で返す。半拍遅れ。
そこへ、名上書師の若い衆がチラシを差し出す。〈“継所”→“即応窓口”〉
字面は悪くない。だが返せない。席に降りない言葉だ。
見習いの一人が一歩出て、名留膠を三で置き、四で返すで掲示の見出しへ「継所」の輪郭を太くする。チラシは脚注に落ちる。
もう一人は由来札を添える。〈継所=名の橋脚を見守る場所/“即応”は従〉。
若い衆は肩をすくめて去った。止まれなかった。止まれない人は、また来る。継手は構えを崩さない。
◇
南西では、漂白師の研修組が見習いに**「色を抜かず、灯だけ落とす」の手順を渡していた。
亡帳の長由来札は色**。灯印は灯。どちらも三で置き、四で返す。
漂白は席の外まで。席の中は由来が息をする。
喪名師も来ていた。粉袋は閉じ、零を厚く置くのが上手くなっている。止まれる手は、戻りを覚える。
◇
午後の後半、規格師が二度目に現れた。今度は倉庫の口で、目録師に向けて紙を掲げる。
〈“番号先頭置き”へ暫定回帰。現場の混乱回避〉
中堅が顔をしかめ、見習いが固まる。
「回帰しない」
殿下は歩み寄り、零を一段濃く通してから紙の脚注に細字で但し書きを書く。
〈現場優先:名呼び第一、番号従。“回帰”の語は脚注化**〉
名塗り師のリザが刷毛で**“暫定回帰”の四字を脚注に落とし、見出しに「帳の輪郭」を据え直す。
規格師は口を開きかけ、止まった。「確認した」だけ置いて、去る。
律祖庁の名は出ない。けれど、中央の規格は何度でも戻しに来る。
三を条文の心臓に据えたのは正解だ。心臓は戻し**では止まらない。
◇
夕刻、「継手の試験」。
課題一:“二遅延”への耐性。鼓手長の合意範囲で、梁へ微の遅延を流してもらい、笑待泡と形の笑いで受ける。
課題二:“三抜き”の誘導撥ね。規格師の紙片を模した**“仮成立”の言い換えを、輪郭と丸で却下。
課題三:“上書き脚注化”の実地**。名上書の布片を脚注へ落とし、由来札で本名を見出しに維持。
どれも拍で解ける。四拍は、殴るためではなく受けるためにある。
最後の課題は「遠橋・混線時の切替」。
返輪師が紐で二本の片道遠橋を短く張り、見習い二名が一→二→三→四を同時進行。意図的に番号の紙片が先頭へ滑り込むよう仕掛け、矢印輪郭で欄外へ誘導する。
真正印は後打ちでそろい、広場の温度が一度上がる。見習いの額に汗。汗は温度の証拠だ。
◇
締めの前、寺院の高い梁でぺたという上書の合図。名上書師の親玉ではない、小柄な若者が幕を落とす。
〈“継所”改め“更新所”〉
横文字を混ぜる癖。脚注へ落ちない設計。
パズが紐旗で零の合図、俺は名留膠を三で置き、四で返すで「継所」の輪郭を太くする。
環名師が検印輪で三に薄印、返輪師が仮綴で幕の角を四の直前に抜く。
ジェイの泡立て器が瞬間の縁を走らせ、幕は脚注へ。
若者は立ち止まり、深く息を吸って零を置いた。「……見て、帰る」
止まれた。戻れる、かもしれない。
◇
夜。継所の長机で読み合わせと指標。パズが声を整えて読む。
継所 開設 1/1(生帳・亡帳・五の席 併設)
継手 見習い:本日 8/補助 4/標準手順 合格 8
鎖ほどき・継手版:介入 6 → 会釈・泡楔・輪郭で解消 6
番号先頭誘導:介入 13 → 欄外化 13
上書き介入:布 5 → 脚注化 5
“二遅延”試験:施行 3 → 笑待泡+形で無効化 3
遠橋・混線切替:試験 2/後打ち真正印 100%
参加(講+見学) 297/形だけ名乗れた 245(82.5%)/零習得 196(66.0%)
「温度、見守れる」
殿下がパンを二で笑いながら割り、三で置き、四で返す。
「明日は**“巡帳”——帳と道の見回り**。規格師の紙がまた来る。律祖庁の“中央運用”に礼を合わせさせる交渉。丸は譲らない。三は削らない」
「来たら、どう受ける?」
エレーネが眠たげに訊く。
「零を厚く、一を小さく。二は形で、三は席で、四で返す。但し書きは脚注に落とす」
俺は胸の裏に〈偽拍〉を一枚。重ねない。梁の上で、風が遠い拍を運んだ。律祖の匂いは、紙の匂いに似ている。
シアンが白手袋の糸を半寸切り、目で笑う。
「今日のあなた、橋脚で殴るので、やっぱりずるい」
「業務に支障」
「支障は出さない。強くなる寄り方だけ、覚えました」
渡鈴は鳴らずに鳴り、継所の屋根に温度が溜まる。
名は火でも水でもない。帰る温度で、橋脚だ。
零で息、一で名乗り、二で笑い、三で置き、四で返す。五で忘れた者に席を置く。
数字は欄外、由来は脚注、輪郭は骨。
盗む拍は、やはりどこにもない。