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第25話「名の帳、丸で閉じる日」

――記録は骨。骨が歪むと、温度が逃げる。

丸で閉じ、欄外に追いやり、脚注で呼吸させる。それが“帳の作り直し”。


 朝。会所の長卓に薄い光。昨日の縫合の余韻で街は静かに温い。

 今日は名のちょうをやり直す。会所と倉庫の記法を礼に合わせ、句点は丸で閉じる/番号は欄外/由来は脚注を徹底する。

 殿下は木さじを帯、蔵守くらもりは雁皮紙の束、鐘守は鍵束を胸の内へ。書記頭しょきがしら目録師なもくろくしの中堅、名塗り師のリザ、環名師の女も同席。珍しく敵がいない。……はずだった。


「零で息、会議開始」

 殿下が場の空気を落としてから、一で名乗る。「旅人、エリス。——本日の議は“帳の輪郭”」


 蔵守が見本帳を広げる。

 見出しは名(丸で閉じる)。小見出しは行き先。本文の三で置かれた事実。末尾の四で返印。由来は脚注に一行。番号は欄外。

 書記頭が頁をめくり、乾いた声。「簡素だな」

「簡素は倒れない」

 俺が返す。

 目録師の中堅が手を挙げる。「照合作業が遅延する」

「遅延は二で笑う」

 殿下がさらり。「零を厚く、笑いは形で通す。照合は四の直前でいい」


 そこへ、戸の外からひゅうと風が入った。木製の笑い声みたいな、乾いた音。

 扉が開き、鼓手長が仮面のままで立つ。太鼓も粉も持たず、指先だけで拍をひねる。

「今日は**“二で笑い”に遅延を仕込んでみる」

 仮面の穴が細くなる。「笑いが遅れて来たら、帳の丸**は歪む?」


「零で受ける」

 殿下は即答。木さじを水平に、零を濃く。

 俺は〈間合い指定〉を卓の上に段々で敷き、二に薄い待合所を増設する。笑いの形が遅れても、落ちない。

 ジェイが泡立て器にまた無意味なラベルを貼る。「笑待えまち泡」——うるさいが役に立つ。泡が示す“二の位置”に皆の胸が自然にひらく。


「では、起票式を通す」

 書記頭が声を整える。

 一で名乗り(起票者→帳)、二で笑い(遅れて可/形でも可)、三で置く(事実を布の席に)、四で返す(真正印——半拍遅れ)。丸で閉じる。


 最初の起票は市場の耳に白糸の女・アダ。

 「アダ。」——見出しの丸が、紙面で息をする。

 二は遅れたが、形で通った。三でパンの配達記録、四で返印。脚注に〈皿洗いの仮名“サビ”返済済〉。欄外に小さく**#配-014**。

 丸で閉じた瞬間、卓の木目が一枚落ち着く。丸は返礼の口だ。開けっ放しでは、温度が逃げる。


 目録師の中堅が試しに番号から書こうとしたが、名塗り師のリザが刷毛で欄外にすっと追いやった。「欄外」の一文字で、番号は従に落ちる。



 午前の後半は複写帳の話へ。倉庫の伝票は二枚複写で回っている。一が抜かれて番号先頭で動きがち。

「複写の一枚目は“見せ札”。二枚目が真正。——半拍遅れの二重領収」

 蔵守が指でリズムを刻む。「一枚目にしか噛みつけない金具(没収)は、そこで飽和する」

 環名師が頷く。「検印は三に落とす。一に触れない輪なら仕事になる」


 鼓手長は仮面の向こうで笑い、小さな帳を掲げた。「注目も複写にする?」

「する」

 殿下は迷わない。「見せ札の熱は流れて良い。真正の温度は席に残す」

 仮面穴がわずかに細くなった。彼は熱の扱いに興味がある。興味は礼の友達だ。



 昼、広場で帳面デモ。

 掲示:〈見出し=名。丸で閉じる。本文=置いた事実。返印=四で真正。由来=脚注。番号は欄外。〉

 人々は、丸を点だと思っていた。丸は温度の栓。抜かないで、時々開ける。

 そこで漂白師が現れ、丸の上に薄霧を吹きかけた。句点を消し目にする手口。

丸補まるおぎ

 エレーネが香を低く折り、丸の周りにわずかな香輪をつける。丸が息を取り戻す。

 ジェイが泡で丸の縁に瞬間の縁。泡はすぐ消えるが、消えるまで二が迷わない。

 漂白師は瓶を下げ、今日は止まった。戻れるだろう。たぶん。



 午後は倉庫へ。目録師の現場だ。

 高い棚、低い光。箱は番号で整っているが、名が隅へ追いやられている。

 中堅が苦り顔で案内する。「ここでは番号が主でないと崩れる」

「主従は場所で変えない」

 殿下が淡々。「一=名。欄外=番号。棚の並びは矢印輪郭で補助する」


 作業は地味だが効く。

 棚札の見出しを名にし、丸で閉じ、左下の欄外に番号を小さく。脚注に由来。

 搬出入の三で置くを席ではっきり通す。四で返すの真正印を出す。

 最初の一列が整ったとき、倉庫の温度が一度上がった。

「……見える」

 中堅がぽつり。数字が並んでいても、帰る道が見える。効率は礼の従で生きる。


 そこへ、文匠が現場口で筆を振る。「備考に“概ね”を——」

「禁句」

 書記頭が先に言った。珍しく速い。「句点で閉じる。“……”も禁」

 文匠は口を噤み、筆を袖に仕舞った。止まれた。戻れる。たぶん。



 会所へ戻る道すがら、名上書師の小隊が新しい看板語を配っていた。

 〈“帳の再設計”→“事務の簡略化”〉

 字面は魅力的だ。だが、返せない。礼に戻れない語。

 俺は名留なとどめ膠を刷り、〈帳の輪郭〉の四文字を濃い輪郭で掲示に置く。

 リザが刷毛で「簡略化」を脚注に落とした。「簡略は従。輪郭が主」

 小隊は舌打ちして去る。止まれない者は、明日も来る。



 夕刻、最終の帳合わせ。寺院跡に長机を並べ、起票→複写→返印の流れを四拍で回す。

 パズが紐旗で零を合図し、俺が一で名乗りの見本、エレーネが二の形の補助、蔵守が三で置くの検収、鐘守が四で返すの真正印。

 人々の手が同じ速度になっていく。四拍で記録する街。拍が合うと、盗みは滑る。


 そのとき、鼓手長が再び近づき、二に小さな遅延を投げ入れた。会所の梁をひと撫でで、笑いが半拍ずれる。

 ——遅れた笑い。丸に空気がたまる。破れそうになる瞬間。

 殿下が零をもう一段、厚く通す。俺は二の待合所をさらに広げる。

「形で笑う」

 シアンが静かに言い、白手袋で胸を一つひらく。

 人々が声なしの笑いをそろえ、三へ滑る。

 丸は破れない。四で返印。半拍遅れでもう一度。

 仮面の穴がわずかに緩む。「……退屈じゃない」

 鼓手長はひと礼に似た動きをして、影に消えた。



 夜。読み合わせと指標。パズが声を張る。


帳面改式(会所・倉庫):導入 27冊/起票 183/真正印 183/183(100%)


丸で閉じる徹底:遵守 100%/消し目介入 4 → 香輪で回復 4


番号先頭置き 是正:倉庫棚 11列/投函箱 7口(欄外化 100%)


由来脚注 追加:新規 52/上書き介入 5 → 脚注化 5


“二で笑い”遅延:介入 3 → 待合所運用で無効化 3


参加 321/形だけ名乗れた 266(82.9%)/零習得 201(62.6%)


「温度、帳で立つ」

 殿下がパンを二で笑いながら割り、三で置き、四で返す。

「明日は**“名の格納しまい”。——死者の名と生きている名を同じ帳に置かない術。屋根返しの追悼版**、由来札の長文化も試す」


「死者の名は、帰る?」

 エレーネが眠たげに訊く。

「帰らせない。——置く。席で温度を保つ」

 俺は胸の裏に〈偽拍〉を一枚。重ねない。

「丸で閉じ、脚注で呼吸し、欄外で整える。街の骨は帳にある」


 シアンが白手袋の糸を半寸切り、目で笑う。

「今日のあなた、句点で殴るので、やっぱりずるい」

「業務に支障」

「支障は出さない。強くなる寄り方だけ、覚えました」


 渡鈴は鳴らずに鳴り、帳の丸が夜気の中で静かに息をする。

 名は火でも水でもない。帰る温度で、骨格だ。

 零で息。一で名乗り。二で笑い。三で置き。四で返す。五で忘れた者に席を置く。

 数字は欄外、由来は脚注、輪郭は骨。

 盗む拍は、やはりどこにもない。

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