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第24話「名の縫合、古名と新名のあいだで」

――古い名は骨、新しい名は筋。

両方を持って歩くには、ほつれ目に“礼”で縫い目を置く。


 朝。寺院跡に薄いが差し、渡鈴わたりすずは低・高で浅く呼吸する。掲示板には昨日の「往来」指標が短く貼られ、但し書きはゼロ。今日は「名の縫合ほうごう」——古名と新名がぶつかる継ぎ目に、二重領収で縫い目を置く日だ。ついでに、遠橋とおばしの片道稼働テストもやる。返す方向だけ開ける実験。危ない手だが、必要な場がある。


「段取り、三本立て」

 蔵守くらもりが巻物を開き、指で拍を刻む。

 一、縫合式・標準(古名⇄新名の二重領収+由来札)。

 二、片道遠橋(王都→ミレイ受け取り専用/ミレイ→王都返礼専用の二路を分ける)。

 三、痛み止めの席(五の席を“縫合席”にして近くへ)。


「縫合、怖い人が多い」

 エレーネが眠たげに言い、香袋を振る。「だから零を厚く、一は小さく」


 シアンは白手袋を締め、半拍遅れて俺を見る。危ない合図は甘い合図に似ている。今日は甘いのは後。礼が先だ。



 最初の縫合は、鍛冶通りの看板。漂白年に「ツチノコ鍛冶」に変えたが、元は「鉄灼てっしゃく工房」。どちらにも客の温度がある。

 布の縫合席を看板の下に置き、渡鈴を低・高で一対。鐘守は鍵束を打たずに撫で、蔵守は「縫合帳」を開く。欄は古名→新名→由来の順、番号は欄外。


「零で息。一で名乗る(店主→通り)」

 店主が胸に手を置く。「……鉄灼」

 二で笑い(通り側が先)、三で置く(古名の影を席へ)。四で返す。半拍遅れでもう一度。

 次に、新名。「……ツチノコ」で同じ手順。

 二枚の真正印が出たところで、蔵守が由来札を三で置く。

 〈鉄灼=祖父の名“あらた”と炉の色/ツチノコ=漂白年、子ども客の呼び名(返路付)〉

 上書き介入は来ない。輪郭と由来が早いと、紙は滑る。看板は見出し:鉄灼/脚注:ツチノコで落ち着いた。

 通行人の口から小さな名。「……鉄灼のツチノコ」——合成は悪くない。返せる範囲に収まっている。


「痛む?」

 俺が問うと、店主は少し笑った。

「痛かった。けど、零を置いたら、だるいに変わった。歩けるだるさだ」



 次は人の名。漂白で薄くなった古名と、仕事で広まった通称。

 列の先頭は、市場の荷車師。古名「よろず」、通称「黒車くろぐるま」。

 縫合席に座り、零→一を静かに通す。二で笑い、三で古名の影を置く。四で返す。半拍遅れでもう一度。

 通称も同様に通す。真正印は二枚、濃さが違う。古名の方が濃い。骨が近いからだ。

 由来札を三で置き、〈万=先祖の商号/黒車=すすを嫌わず働いた通称〉。

 名上書師なうわしの紙片が風に乗ってきたが、札の由来で弾かれる。物語は薄まらない。

 荷車師が立ち上がる時、膝が少し笑った。痛むほうが戻らない。帰るのに向く。



 午前の終わり、片道遠橋の試験。

 やるのは二本。

 一本目:王都→ミレイ(受け取り専用)。

 二本目:ミレイ→王都(返礼専用)。

 どちらも屋根返し・形版を併用し、逆走が起きないかを検証する。


「片道は便利だけど、礼を削る恐れがある」

 殿下が木さじを水平に置く。「三を条文の心臓に。三を通らない“戻し”は無効」


 一本目。王都側の渡鈴が置くまでは開かない設計。ミレイ側の屋根は受領のみ。

 王都:一で名乗り、二で笑い、三で置く。

 ミレイ屋根:四で受領。半拍遅れで礼のみ返す(名は返さない)。

 逆走なし。紙一枚ぶんのため息が場に走る。緊張がほどけた音だ。


 二本目。ミレイ側が置くを通し、王都が受領し、返礼だけミレイへ戻す。

 途中で、**目録師なもくろくし**の札が“番号→名”の順で滑り込もうとしたが、矢印輪郭で方向を正す。

 片道は従。双方向の礼が主だ。

 ジェイが泡立て器で「行き泡」「帰り泡」と勝手に名付ける。やめてほしいが、見分けには便利だ。従は働き者がいい。



 午後、「縫合の重場おもば」。

 漂白師なびょうはくしが薄めた地名を縫い直す。対象は河端の“葦町あしまち”。漂白年に「河辺」と呼ばれていた。どちらも街の温度を持つが、帰る道が薄い。

 布の縫合席を四脚、五の席を二脚。渡鈴を低・高に、鐘守は打たずに拍を置く。

 零を厚く回し、一を小さい声(あるいは形だけ)で。

 「……葦町」

 「……河辺」

 二で笑いは町の年長者が先、三で置くに若い衆が手を添える。四で返す、半拍遅れでもう一度。

 由来札:〈葦町=葦の伐り口の香/河辺=漂白年、水位の標〉

 真正印が二枚。ふくらみが違う。葦町が骨、河辺が筋。

 名上書布が遠くで揺れ、「“無名市”へようこそ」を再掲しようとする気配があったが、輪郭が太い今は滑るだけだ。


「——縫合よし」

 パズが紐旗で合図。止まれる街は、縫える街だ。



 そこで、文匠ぶんしょうが来た。

 句読点の男。条文の句点を三点リーダで薄める癖が抜けていない。

「縫合の文言に**“概ね”を入れたい。例外の余裕が——」

 殿下は木さじを水平に。

「例外は席で受ける。文の余白に入れない。五の席は常在**」

 文匠、舌打ち寸前で止まる。止まれた。戻れる可能性は残る。



 夕刻、一件の厄介。

 名上書師の親玉が、巨大な仮名幕を広げて現れた。

 〈“葦町”改め“清水ヶ原”〉

 字面は綺麗。だが返せない。脚注へ落ちない設計だ。

 俺は零を厚く置き、蔵守と視線を合わせる。

名留なとどめ膠、輪郭二重」

 膠を二層で引き、“葦町”の骨輪郭を増やす。“河辺”には筋輪郭を一段。

 ジェイが泡立て器で幕の四ツ角に泡楔うせつを打ち、幕面の中央だけ反転させる。

 見出し:葦町。脚注:河辺。脚注の脚注:清水ヶ原(訪問者向け愛称:返路付)。

 親玉は歯噛みして去った。止まれない者は、明日も来る。日にちを味方にするのが礼だ。



 寺院跡に戻り、今日の仕上げ——人の縫合・難。

 列の最後に立つのは、門番の男。漂白年に番号名だけで過ごし、声で名を呼ぶと検問が走ったという。古名を口にすれば痛む。

 縫合席を彼のすぐ脇に寄せ、五の席も触れられる距離に。

 俺は隣に座り、零を厚く長く置く。肩甲骨が一枚、落ちる。

 一は形だけ。顎半寸、親指ひらく、目尻紙一枚。二でほんの僅かに胸がひらき、三で名の影を置く。

 ……沈黙が長い。四の前、彼の指が布を二度撫でた。撫でて、撫でて、ようやく胸に手。四で返す。半拍遅れでもう一度。

 真正印は遅れて、しかし濃く出た。

 門番の男は額を押さえ、「痛い」と正直に言った。

「痛み止め」

 エレーネが香を低い位置で折り、痛みを席で受ける。痛みはどこかで受ければ、体は歩ける。

 男はうなずき、由来札を見て、やっと小さく笑った。

 〈古名=父の名から一字/番号名=漂白年の勤務記号(返済済)〉

 戻らずに、帰れた。



 夜。寺院跡。片道遠橋の記録と、縫合の指標をパズが読み上げる。


名の縫合(店・人・地名):実施 19/成立 19(真正印 100%)


由来札 設置 19/上書き介入 3 → 脚注化 3


片道遠橋テスト:王都→ミレイ 1/ミレイ→王都 1(逆走 0/三抜け 0)


痛み止めの席(縫合席):利用 11(離脱 0)


目録“番号先頭”介入 5 → 矢印輪郭で是正 5


参加 287/形だけ名乗れた 231(80.5%)/零習得 179(62.3%)


「温度、縫えた」

 殿下がパンを二で笑いながら割り、三で置き、四で返す。

「明日は**“名のちょう”の作り直し。会所と倉庫の記法を礼**に合わせる。句点は丸で閉じる、番号は欄外、由来は脚注。鼓手長が“二で笑い”へ遅延を乗せてくる可能性、要注意」


「二を揺らされると?」

 ジェイが泡立て器を肩に回す。

「零を厚く、一を小さく。笑いは形で通す。——声は後でいい」

 俺は胸の裏に〈偽拍〉を一枚。重ねない。

「三は条文の心臓。二は橋の欄干。折られないよう輪郭を太く」


 シアンが白手袋の糸を半寸切り、目で笑う。

「今日のあなた、縫い目で殴るので、やっぱりずるい」

「業務に支障」

「支障は出さない。強くなる寄り方だけ、覚えました」


 渡鈴は鳴らずに鳴り、縫い目は温度で落ち着く。

 名は火でも水でもない。帰る温度で、縫い目だ。

 零で息、一で名乗り、二で笑い、三で置き、四で返す。五で忘れた者に席を置く。

 数字は欄外、由来は脚注、輪郭は骨。

 盗む拍は、やはりどこにもない。

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