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第20話「夜席巡り、番号は従でしかない」

――夜の名は、声より先に体温で来る。

灯を落として、影で鳴らす。温度で渡す。数字はあとから付いてくる。


 日暮れ、ミレイの四隅に夜席を据えた。灯は置かない。渡鈴わたりすずを低く、影の輪郭だけ濃く。布椅子の脚には鐘守が無音礼むおんれいを打たずに刻み、蔵守くらもり名留なとどめ膠で輪郭を一段厚くする。殿下は木さじを帯に挿し、俺は零で息を胸に置く。シアンは白手袋の縁を半寸直し、半拍遅れて目をやる。危ない合図は甘い合図に似ているが、夜は礼が先だ。


「夜席巡回は二手」

 殿下が指で地図を撫でる。「北西・南東は私と蔵守。北東・南西はルグとシアン。合図は静かに、一で名乗り、二で笑い、三で置き、四で返す。五は席」


「番号の介入には?」

 俺が問うと、殿下は即答する。

「名呼び第一・番号従。——一に番号を置かない。輪郭で守る」



 最初の夜席、北東の角。路地を渡る風は冷たいが、布椅子の周りだけ温度が戻る。耳の白糸の女が皿を抱えて立ち、一の形で胸をひらき、声を出さずに名を置いた。皿の上のパンが、夜の湿りで柔らかい。


 そこへ、細い影が三つ。胸に札、肩に皮の鞄。名目録師なもくろくしの見習いだ。札には小さく〈#NE-032〉〈#NE-041〉……番号が先頭に出ている。悪い習慣だ。


「巡回記録です」

 先頭の少年が、丁寧に頭を下げた。礼はできる。

「お名前(※番号)を頂ければ——」


「逆」

 俺は笑いを薄く返し、零で息、一で名乗る。

「王都外部支援士、ルグ・ハート。名呼びが主、番号は従。——一に番号は置かない」


 少年は戸惑い、札を持ち替える。習慣が骨に入っているのが分かる。そこで、シアンが白手袋で三を描き、布椅子に帳面をそっと置く。蔵守から受けていた名預り帳—夜席版だ。見た目は同じだが、欄が名→番号の順で切ってある。


「書いてごらん」

 シアンの声は静かで甘くない。夜席用の声だ。

 少年はゆっくりと、名を先に書いた。――「ミナミ」。番号はその後に小さく。

 渡鈴の影がほのかに揺れ、真正印が濃く出る。**“名が主”**の輪郭が、夜の紙にも通る。


「……主従の位置を変えると、印が違う」

 少年が驚いて呟く。

「礼は順序に厳しい」

 俺は頷く。「一を間違えると、四で転ぶ」


 そのとき、路地の奥でぺたという軽い音。名上書師なうわしの紙片が、夜席の上に通称を貼ろうと滑り込む。〈夜席→“休憩所”〉。言葉は悪くないが、返せない。貼られた側が元の名に戻せないものは、没収の親戚だ。


「輪郭、前へ」

 俺は名留膠を薄く刷り、“夜席=名を置く席”の輪郭を布の縁に描く。紙片が弾かれ、風に乗って五の席へ落ちた。置いて返す所作が先にある場所では、上書きは滑る。



 二つ目の夜席、南西の角。古い井戸の脇、石が冷える。待っていたのは番号だらけの一家だった。胸に“家族番号”を縫い、互いを番号で呼んでいる。理由は切実だ。昔、名を呼ぶと徴発にかかる年があったらしい。名は痛い記憶を連れてくる。


「番号は使っていい。——返せるなら」

 俺はしゃがみ、末の子の目線に合わせた。「番号を従に。主は名」

 母親の目が険しくなり、父親の肩が固くなる。痛い年の記憶が、夜の井戸から上がってくるのが分かる。

「五の席」

 シアンが布椅子を指し示す。「忘れたい者の席。ここで零で息、一は形だけでいい」


 母親が先に座った。零を置くのがうまい。目を閉じないで、肩が一枚落ちる。一の形だけを胸に作り、二で目尻を紙一枚ぶん緩め、三で子の手を布に置く。声は出ない。出なくていい。

 父親は四で返し、半拍遅れでもう一度。渡鈴が鳴らずに鳴り、真正印が濃く出た。

「……番号はあとに書く」

 父親が自分で言った。骨が理解の順序を覚えたのだ。順序は、痛みの下をくぐる道になる。



 夜半、北西の角で新しい音がした。遅れた拍子木でも、早取りのぺたでもない。カチという微細な噛み合い。歯車の音。

 曲がり角に現れたのは、細い銀の輪をいくつも嵌めた女だった。輪は光らず、影だけを撫でる。自らを「環名師かんなもし」と名乗った。名を囲い、守ると言い、輪で名の出入りを管理するという。

「囲いは守りになるが、出られない」

 殿下が短く言う。「橋は出入りが本体」


 環名師は笑わない。布椅子の周りに影の輪を落とし、出入りする手に検印を求める。発想は悪くない。だが、一に印を置こうとした瞬間——渡鈴の影が跳ねた。

「一は名。二以降に検印」

 俺は輪を半拍ずらさせ、三で置くのタイミングに検印を移す。

 環名師は一度だけ目を細め、「……礼に従う輪なら、仕事になる」と呟いて輪を薄くした。止まれる人は、戻れる。



 最後の夜席、南東の角。川霧が浮き、足首に冷たい。そこに、ロウが立っていた。街道で名を貸してくれた案内の男だ。肩の力が少し抜け、目の淀みが薄い。


「一で名乗るのは、まだ怖い」

 ロウは正直だ。正直な人は、礼に向いている。

「形だけでいい」

 俺は胸の前で一の形を作る。ロウも作る。二で目尻を緩め、三で道端の小石を布へ置く。

「……ロウ」

 声が、夜の霧から生まれてきた。

 渡鈴が鳴らずに鳴る。真正印が濃い。

「返しました」

 シアンが四で胸に手、半拍遅れでもう一度。

 この夜の一人分の体温が、角をあたためる。温度は橋脚だ。



 巡回の戻り道、会所脇で白い箱を見つけた。名目録師の「投函箱」だ。〈名の登録はこちら〉——悪ではない。が、一に番号を置く設計だ。

 殿下は木さじを水平に置き、短く言う。

「主従の入れ替え」

 蔵守が投函箱の口に輪郭を刷り、名→番号の順路に影の矢印を付ける。ジェイが泡刃で“番号→名”の矢印をぷつと切る。箱は同じでも、道順が変われば戻りが生まれる。


 角の影で誰かが見ていた。鼓手長だ。仮面の穴が夜色に細い。今日は太鼓も粉もない代わりに、小さな帳面を持っている。注目の出入りを書きつける帳だろう。

「数字は美しい。整うから」

 仮面越しの声は遅れて落ちた。

「名は美しい。返るから」

 殿下は即座に返し、二で笑い、三で置き、四で返す。

 鼓手長はしばし沈黙し、仮面をほんのわずか下げた。それは礼の形だ。止まれる者は、戻れる——たぶん。



 宿に戻る前、寺院跡で小さな集計。パズが夜席の指標を読み上げる。

「夜席 稼働 4/4、参加 93、形だけ名乗れた 71(76.3%)、零習得 58(62.3%)、名預り→返却 49/49(100%)、番号先頭置きの是正 17/17、上書き介入 3→輪郭で弾き 3、環名輪 調整 1(礼順に従い)」


「温度、戻った」

 殿下が短く言い、パンを二で笑いながら割り、三で置き、四で返す。

「明日は**“名の道標みちしるべ”を据える。昼夜の名の流路**を表示する影の矢印。——番号は従でしかないことを、道でも示す」


「目録師は?」

 エレーネが眠たげに訊く。

「投函箱は道順を入れ替えた。明日、夜席→投函→返流の二重領収を公開でやる」

 俺は胸の裏に〈偽拍〉を一枚。重ねない。

「一に名。そこに輪郭。数字はあと。——癖にする」


 シアンが白手袋の糸を半寸切り、目で笑う。

「今日のあなた、温度で殴るので、やっぱりずるい」

「業務に支障」

「支障は出さない。強くなる寄り方だけ、覚えました」


 窓の外、夜席の布椅子が影の輪郭に守られ、渡鈴が鳴らずに鳴る。

 名は火でも水でもなく、帰路の温度。

 零で息、一で名乗り、二で笑い、三で置き、四で返す。五で忘れた者に席を置く。

 数字は並べ、名は渡す。

 盗む拍は、今夜もどこにもない。

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