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第2話「公開試験、重ねた数字で黙らせる」

――ギルドの中庭は、朝露の代わりに噂で濡れていた。


 王女親衛隊の紋章を掲げた馬車が門に横付けされた時点で、今日はもう“平日”ではない。野次馬でバフが掛かるなら、ここはもう戦場だ。


「書類は通した。だが前例がねえ」


 受付のリナが眉を寄せる。彼女は現実主義だ。情に流されず、書式を愛するタイプ。


「外部支援士として登録したいの。王女隊の名で」


 殿下は涼しい顔で印章を差し出す。リナは押印された紋様を三度見たあと、肩をすくめた。


「はい、王女様の権威、はい、ハンコの暴力。——ただし、ルールは皆同じ。外部人員は“公開試験”が要る。これを突破しないと、ギルド案件に介入できない」


「構わない」


 俺は即答した。逃げる理由は一つもない。むしろ舞台がほしい。


 その返事に、中庭の端で誰かが笑った。《赤獅子》だ。隊長ヴァルドは腕を組み、横に控えた魔術師ジェイは口角を上げている。昨日より元気そうだ。バフなしで死にかけた翌日に笑えるの、すごい神経だな。


「おいおい、荷運び。公開試験は見世物じゃねぇぞ。お前の“薄味スープ”で観客の胃袋が満たせるか?」


「満たせるよ。鍋が大きければ」


 正面から返すと、ジェイは鼻を鳴らした。


「じゃあ見せてもらおう。補助なんざ飾りだと、俺は思ってる」


 飾りね。飾りの有無で昨日の生死は分かれたが、彼にとっては装飾品らしい。



 公開試験の内容は単純だ。


 第一試験:重荷走。百キロの石を担いで周回コースを二周。支援士は“味方の負荷を軽減”し、タイムを競う。


 第二試験:模擬討伐。木製のオーガ模型に刻まれた弱点を、指定時間内にチームで三回突く。支援士は隊の命中と生存率を上げる。


 第三試験:連携審問。審査員から支援の順番と理屈を問われる。ここは理屈が武器だ。


「チーム編成は?」


 審査員の老人が問う。殿下は頷き、「親衛隊から三名貸与する」と宣言した。鎧が三つ、中庭の陽に光る。


 対する《赤獅子》は四名で出るらしい。ジェイがニヤニヤと杖を回した。


「人数差で負けたなどと後で言わせないためにもな」


 審査員が手を上げる。観衆が静まる。鐘が鳴った。


「第一試験、開始!」


 親衛隊の女騎士が石台に手を伸ばす。俺は合図と同時に印を切る。


〈速度:微〉〈防御:薄膜〉〈回復効率:小〉〈筋力共有:微〉


 一巡――そして、二巡、三巡。薄い膜が鎧に吸い込み、重さの矢印が肩から腰へ、腰から地面へ流れていく。走りのフォームが、力学の教科書みたいに整う。


「軽っ……!」


 女騎士が驚いて笑い、石をひょいと持ち上げた。彼女の肩の筋肉は盛り上がらない。負荷の一部を“地面に回す”からだ。


「回せ、回せ。呼吸は四拍、蹴りは二拍。合図は殿下に合わせろ」


 殿下が小さく頷き、手のひらで拍を刻む。俺はそのリズムに支援を重ね続けた。速度、防御、回復効率、筋力共有。四つで一組、三組で一塊。重ねるごとにフォームがさらに綺麗になり、靴音がメトロノームと同期する。


《赤獅子》はどうか。ジェイのバフは強い。ただし、単発。序盤は互角に見えたが、コーナーで差が開く。フォームのズレは距離になる。二周目の直線、親衛隊の背中が風の矢になる。


 ゴールの鐘。タイムが掲示板に跳ねる。


 親衛隊+俺:一分三十八秒。

 《赤獅子》:一分五十秒。


 ざわめきが“驚きの音階”を奏でる。ジェイの顔から笑いが剥がれた。



「第二試験、開始!」


 模擬オーガの木肌に、赤い印が三つ。こめかみ、膝裏、腋下。決められた順で突けば合格。外せば減点。時間は三十秒。


 俺は短く息を吸い、印を切る。


〈視界安定〉〈速度〉〈命中補正〉〈連携予測〉


 “命中補正”は微弱だ。単発なら空気の気休め。だが重ねれば、視線の端で僅かに浮く“最短の線”が見える。手元が線上に置かれると、狙いは甘くない。


「殿下、合図を」


 殿下は人差し指で小さく三拍を刻む。親衛隊の三人が三角形に広がる。俺は補助を重ねる。二巡、三巡。刃の入り口が“ここです”と木のほうから自己申告してくる。


「今!」


 殿下の声と同時に、三つの刃が三つの印へ。木の中で鈍い音が三度鳴り、中庭に遅れて響く。二十四秒。クリアの鐘。


 《赤獅子》は――ジェイの強化は鋭い。だが二撃目で僅かに角度を外し、三撃目は時間切れの直前に辛勝。三十一秒。観客の空気は、判定を知っている。



「第三試験、審問に移る。支援の順序と根拠を述べよ」


 審査員の老人が、羊皮紙をめくる指を止める。視線が鋭い。理屈の試験は、派手な力より残酷だ。嘘がつけない。


「初手に速度を選んだ理由は?」


「行動経済学です」


 どよめき。俺は続ける。


「初手の速度は“失敗コスト”を下げます。防御や回復は失敗の“被害”を減らすが、速度は失敗の“回数”を減らす。試験のように限られた手数で勝敗が決まる場面では、初手で手数を増やし、次に被害を薄膜で抑え、三手目で回復効率を上げて持久を確保。四手目以降は対象の“誤差”に合わせて命中か視界を選ぶ。順番は固定ではなく、拍で切り替える」


「拍とは?」


「呼吸と歩数の“内部メトロノーム”。隊長の合図と同期させ、支援の更新タイミングをずらして“段差”を作ります。これで効果の切れ目がなくなる」


 老人の目が細くなる。殿下は唇の端だけで微笑んだ。《赤獅子》のほうで、ジェイの舌打ちが聞こえる。


「よろしい。では反対に、支援の重ね掛けの欠点は?」


「強すぎると“過制御”になります。人間は余白で動く。速度を上げ過ぎれば、視野が狭くなる。だから上限は三巡半。四巡目は状況限定。——もう一つ、重ねるということは“更新の負債”を背負うこと。維持の手数をどう捻出するかが支援士の腕です」


 老人は静かに頷き、鐘を二度鳴らした。


「総評。親衛隊+ルグ、合格。——補助は飾りではない。舞台そのものだ」


 中庭に拍手が広がる。殿下が横目で俺を見る。彼女の拍手は、音が小さいのに密度が高い。


 《赤獅子》のほうを見ると、ヴァルドは腕を組んだまま視線を落としていた。ジェイは杖を握りしめ、歯を食いしばっている。彼の悔しさの行き先は、彼自身だ。俺のほうに飛んでこないだけ、昨日より賢い。



 登録が終わると、殿下は書類の最後にさらりと署名した。王家の名はインクの匂いすら威厳だ。


「では、午後の本番へ」


「本番?」


「王都結界の調整。あなたの“重ね”が、都市全体に効くかどうか」


 都市全体——鍋が、急に巨大になった気がした。


「結界は古い譜面で動いています。音符がかすれている箇所がある。そこで、わたくしたちの拍を重ねる」


「俺は支援を“個”に掛けるのが本業ですが」


「個の集合が都市ですのよ」


 殿下は人差し指で、机の端を軽く叩いた。トン、トン、トン。拍が短く、迷いがない。


「その前に、少し寄り道をしましょう。ギルド裏の広場。——王都の人々に、今日の合格をお披露目する」


「見世物、ですか」


「宣言です。あなたはもう、“荷物しか持てない男”ではないと」


 なるほど、広報。舞台の外にも舞台はある。彼女は王女であると同時に、王都の舞台監督だ。


 中庭を出ると、陽はもう昼の角度だった。石畳の上で、影が短い。背中の軽さは今朝よりも軽く、なのに胸だけがゆっくり重くなる。


 鍋は大きければ大きいほど、味の偏りが出る。底が焦げないように、かき混ぜ続ける者が要る。俺がそれをやれるのか。いや、やるしかない、と殿下の拍が言っている。


 広場に出ると、噂の波が押し寄せた。群衆の目が一斉にこちらへ。殿下が一歩進み、短い言葉で告げる。


「本日、王女親衛隊は新たな外部支援士を迎える。——ルグ・ハート。彼の支援は、重ねれば重ねるほど、わたしたちを強くする」


 拍手の中で、俺は右手を胸に当て、ほんの少し頭を下げた。昨日の俺が持てなかった“役目”が、音になって胸に響いた。


 午後、結界の譜面に触れる。世界の外枠に支援は乗るのか。答えは次の鐘が教えてくれるだろう。


 重ねるほど軽くなる世界で、俺は今日も重ねる。拍と、手と、物語を。

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