第2話:辺境の村に来たはいいけれど、客がいません
辺境の村フィルヴェル。
……それは、地図で探すのも苦労するレベルの小さな村だった。
「家はボロ、道は泥、住人は五人。うち一人は常に昼寝してる。
──ええ、素晴らしくのどかで笑っちゃうわね」
しかも、カフェとして借りた古民家は、壁が傾いていた。
マリアージュ様に見せたら、たぶん失神するレベル。
「いいわ。私、そういう苦労展開にも慣れてるの」
断罪され、追放され、信用も地位も名誉も奪われ──
唯一残ったのは、“毒舌”と、“美味しいコーヒーを淹れる技術”。
「私の人生、今さらこんなものじゃ折れないのよ」
まずは掃除から。
幸い、気持ちよく動いてくれる(少々おしゃべりが過ぎる)村の老婆、マーサが手伝ってくれた。
「こんな貴族令嬢が、カフェなんて珍しいねぇ」
「元、ね。貴族も婚約者も断罪も追放も、全部過去形よ。いっそ新しい肩書きが欲しいくらい」
「んじゃ、“毒舌美人のカフェ女将”ってのはどうだい?」
「語感は悪くないけど、印象最悪ね。採用で」
数日かけて、どうにか形になった。
店内はアンティーク調、カウンターには磨かれた銀のポットと、手作りの木製メニュー板。
看板は──
Café Belle Épine
―美しい棘―
「ええ、“美しい棘”って意味よ。私にぴったりじゃない?」
オープン初日。
コーヒーも紅茶もスイーツも用意した。
自信作の“黒蜜キャラメルのブラン・ド・ブリュレ”は、王都でも高評価を得ていた逸品だ。
私は店の前に立ち、開店の札をくるっと裏返す。
「──いらっしゃいませ。世界で一番口が悪くて、美味しいカフェへようこそ」
……しかし、数時間後。
「……客が来ないんだけど?」
静寂。
風の音。
遠くで鶏がコケコッコーと鳴いた。
「人っ子一人来ないわ。これではやっていけない……」
村人は基本、野良作業中。
カフェ文化など存在しない土地であることを、私は忘れていた。
「……仕方ないわね。焼き菓子でも配って、宣伝して回るしかないわ」
毒舌令嬢、まさかの営業活動スタートである。
だが、夕方になると状況が変わった。
カランコロン──と、控えめにドアのベルが鳴った。
「……こんにちは、こちらが新しくできたカフェですか?」
現れたのは、見るからに“旅の冒険者”風の青年。
しかしその目は鋭く、腰にはしっかりと鍛え上げられた剣。
──あ、これ、たぶん只者じゃないわね。
「ようこそ。お好きな席へ。……ただし、口に合わなくても文句は禁止。それが当店のルールよ」
「はは、ずいぶん厳しい接客ですね。でも、嫌いじゃありません」
彼は微笑み、窓際の席に座った。
私は静かに、コーヒーを淹れ、キャラメルブリュレを添えて出す。
彼は一口だけ食べると──目を見開いた。
「……これは、王都のどのカフェよりも……!」
「そうね。王都の味よ。王都から来た“断罪された悪役令嬢”が作ってるから」
彼の表情が止まる。
「……まさか、あなたが“フロレンティーナ嬢”? 断罪された……」
「その“断罪された”を3回言ったら、店から追い出すわよ?」
「……すみません」
私は微笑んだ。
皮肉で張り詰めた仮面の奥に、ほんの少しだけ温かさを込めて。
「いらっしゃいませ。二杯目からはお代をいただくわよ?」
カフェ・ベル・エピヌ。
来客、1人。客単価、コーヒー1杯とブリュレ1皿。
それでも私には、これが“新しい人生の第一歩”だった。
「──悪くないわね、辺境の空気も」