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第01話 帰郷

夏のホラー2025の為に作りましたー。

よろしくお願いします。


 バスの車窓に映る山の輪郭が、滲んで揺れていた。

 降り止んだばかりの雨が舗道に水を溜め、そこかしこで濁った音を立てて流れている。


 柊真奈(ひいらぎまな)は、座席に体を沈めたまま、ただ黙ってその風景を眺めていた。

 窓ガラスに頬が触れそうなくらい近づいても、そこには懐かしさより、居心地の悪さが勝っていた――村へ帰るのは、十年以上ぶりだった。


 四日前、会社で小さなミスをきっかけに、上司から


「少し休んだら?」


 そのように、言われた。

 退職勧告ではない――はずだったが、そこにあったのは期待のなさだった。

 そしてその前夜。

 真奈はたまたま終電を逃し、タクシーで恋人の自宅に向かった。

 サプライズで訪ねたつもりだった。彼の好物を入れた紙袋を手にして、インターホンを押そうとした。

 だが、ふと窓のカーテンの隙間から中を覗いてしまったのだ。

 部屋の明かりの下、男が見知らぬ女と笑いながらグラスを交わしており、その女は彼の肩にもたれかかり、唇を近づけている。彼は抵抗するそぶりすら見せず、むしろ嬉しそうに目を細めていた。

 足元から血の気が引いた――手にした紙袋が、ずるりと落ちる音がやけに大きく響いた気がした。

 その後、何をどう帰宅したのか覚えていない。

 ただ、翌朝、携帯に届いていたのは簡潔な一文だった。


 ――「ごめん、他に好きな人ができた」


「……嘘つき」


 静かに呟くと同時、東京での生活は、崩れかけた積み木のように、ある日ぽろっと音を立てて倒れた。


 逃げたくなった。逃げる場所なんてないと思っていたが、ふと、実家の電話番号を思い出した。そして、気づけば高速バスのチケットを予約していた。


「……やばいな、これ」


 独りごちた声が、座席のビニールに吸い込まれる。

 次の瞬間、バスの車体が大きく揺れた。道が滑っているらしい。

 その時だった。


 ――ぴちょん。


 耳元で、水滴の落ちる音がした。

 反射的に横を向いた。だが、濡れている場所はどこにもなかった。真奈は口をつぐみ、手のひらで無意識に首筋を拭った。



  ▽

 


 村に着いたのは、午後四時過ぎ。空は重く曇り、森からは湿った匂いが立ち込めている。人影はまるでなく、民家の屋根にだけ、ぬるりとした濡れ色が残っている。

 祖母の家は、嘗てのままだった。

 黒ずんだ木製の門柱、開きにくい鉄製の引き戸、そして――玄関先の床に、なぜか一対の濡れた足跡が残っていた。


「……え?」


 真奈は目を凝らした。子どもの足跡。素足の形。

 けれど、周囲は乾いている。雨はすでに止んでいるはずなのに。

 足跡は、玄関から居間の奥へ、スーッと伸びていた。

 台所には明かりが灯っていた。

 蛍光灯の白い光が静かに空間を照らしているが、そこには祖母の姿はない。鍋も食器も棚にきちんと収まっていて、冷蔵庫のモーター音がかすかに聞こえるだけだった。


「……おばあちゃん?」


 真奈は小さく声をかけたが、返事はない。

 かすかに木の床が軋んだのは、自分の足音だったのか、それとも――引き戸を閉めようと、手を伸ばした瞬間だった。

 背中に、冷たい何かが『ぽたり』と落ちる。首の後ろをつたって背骨に沿って流れる、粘るような感触。


「……っ」


 真奈は小さく息をのんだ。


「み、水?」


 ひやりとした感触の中に、何か得体の知れないものが混ざっている感触。ただの水ではない。温度も違う、重さのある『気配』が、そこに触れていた。

 ゆっくりと振り返る。

 誰もいない。廊下は空っぽだった。雨もすでに止んでいて、濡れる理由など、どこにもなかった。

 なのに。

 その時――風呂場の奥、半開きになった障子戸の向こうから、ぼたっ、ぼたっ、ぼたっ、と、まるで濡れた布を絞ったような重たい水音が連続して響いた。


 ぴちゃり。

 ぴた。

 ……ぴたん。


 まるで『何か』がそこに立っているかのようだった。


 真奈の呼吸が止まる。

 肺の奥に冷たいものが溜まっていく。全身が硬直し、指先すら動かない。

 目だけが、動いていた。

 障子の隙間の奥――薄暗い風呂場の中で、確かに何かが揺れている気がした。

 濡れた髪。白い足。ぶよぶよと膨れた、手。

 見えていないはずなのに、『見えている』という確信が真奈の脳裏を占める。


 不意に、耳元で誰かの囁く声がした。


 ――……まな


 それは空気を震わせず、音ではなく水の波紋のように直接脳に届く感覚だった。

 瞬きをした瞬間、水音は止んでいた。気がつけば障子戸はぴたりと閉じており、何事もなかったように静寂が戻っていた。音も、気配も、影も、何も、なにも、残ってはいない。


 ――ただ一つだけ。居間の床、畳の上にぽつんと残された『濡れた手形』が、じんわりと広がっていた。

 子どもの手の大きさ。指の間から、水が静かに染み出していた。


読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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