閑話「父と娘」2
ヤウーシュ料理を楽しもう
「まぁ座りなさい」
「えぇ」
ダディーエに促され、長テーブルの下座、ダディーエの対面の位置にカニ江が腰を下ろす。
それを確認してから――
「「「失礼いたします」」」
「うむ」
――壁際に控えていた使用人たちが一斉に、予め用意してあった鉄柵を手に取ると、長テーブルを囲うように即席の檻を組み立て始めた。
これは文字通り、料理が逃げ出さない為の檻だった。
「……」
「……」
年頃の娘、戦いしか知らない父親。
ひとつ檻の中、話題がある筈もなく。
「……」
「……」
空気が重い。
使用人たちが鉄柵を組み立てる無機質な音だけが、食堂の中に虚しく響く。
先に沈黙を破ったのは父だった。
「……最近どうなんだ?」
「どうって……何が?」
「仕事とか……色々……」
「別に……普通……」
「そうか……」
「……」
「……」
空気が重金属。
説教を警戒して心の殻に閉じこもっている娘と、その殻の開け方を知らない父親。
会話が続かない。
程なくして檻が組みあがると使用人たちは檻の外へと退出し、相変わらず無言な父と娘だけが内部に取り残される。
しかしそこへ、この膠着状態を打破してくれる人物が食堂に姿を現した。
「歓談中のところ失礼する」
上下に長い円筒型のコック帽と白い前掛けを着用した老齢のヤウーシュが、料理の乗ったキッチンワゴンをガラガラと押しながら食堂へと入って来た。
その姿を見たカニ江が嬉しそうに声を上げる。
「……クィーバラのおじ様!」
「やぁ、ニィーエちゃん」
カニ江に愛称で応えたこのヤウーシュこそが、武力が全てを支配するヤウーシュ社会にあって、芸事で身を立てる事に成功した稀有なる存在。
雇われた先で料理を振る舞い、対価として報酬を受け取るプロの料理人、クィーバラその人(?)だった。
ダディーエが得意げに説明をする。
「今日はたまたまクィーバラ殿をお呼びしていてな」
「え、あぁ、そうなの」
「お前もクィーバラ殿の料理を食べるのは久しぶりだろう。せっかくだ、楽しんでいきなさい」
娘にはバレてないと思っている父。
カニ江は何と無しに、壁際に控えているトゥジーの方を見た。
トゥジーは何やらパチッ☆っとウィンクをしている。
なので――
「そ、そうね」
――カニ江は大人の対応をした。
一方、親子の事情を知らないクィーバラが純粋にカニ江に話しかけてくる。
「それにしてもニィーエちゃん、本当に久しぶりだねぇ。
いやぁ美人さんになった! ついこの間までこんなだったと言うのに――」
――そう言いながら、クィーバラが自分よりも低い相手の頭を撫でる動作をする。
クィーバラの身長は2mも無い。
チビと言われるサトゥー以下であり、ここまで小さいとヤウーシュ社会では居場所が無くなる程だった。
また純粋にクィーバラも荒事を苦手としており、戦士としては五流以下も同然。
だがそんなクィーバラが社会から排斥される事なく、引く手数多の料理人として活躍し続けられる程には、彼の生み出す美食を待ち望んでいるヤウーシュは多いと言える。
「もぉ~おじ様ったら、それいつの話!? 私だってもう子供じゃないんだから!」
「わっはっは! いやぁ済まない済まない。さて、それではダディーエ殿、料理を始めさせてもらおう」
「うむ、よろしく頼む」
「ではまずこちら――」
クィーバラがキッチンワゴンの上、丸蓋を被せられた丸皿を二つ両手に持つと、トゥジーの開けた扉から檻の中へと入場する。
そして長テーブルに着席しているダディーエとカニ江の前に、それぞれを配膳した。
「――前菜『シェフの気まぐれサラダ』からご賞味いただこう」
クィーバラが被せていた丸蓋を取り除く。
皿の上にあったのは……“そこら辺の木から圧し折って持ってきた、葉っぱが付いたままの枝”だった。
それを見たダディーエが呟く。
「む、これは……」
次の瞬間、“葉っぱが付いたままの枝”が皿の上から飛び立つ。
同時に戦闘が苦手なクィーバラは大急ぎで檻から脱出し、トゥジーが扉を締め切った。
ダディーエとカニ江だけが残った檻の中で、一見すると葉っぱに見える翅で飛翔する『シェフの気まぐれサラダ』が、羽音を響かせながら高速で飛び回る。
このサラダの正体は枝に擬態する大型の蟲であり、蜂に似た生態を持っていた。
クィーバラが料理の解説をする。
「この“ヴゥサッンィガ”は尾部から毒針を射出してくる凶悪な蟲なのだが……。
この毒針が実に性質様々でしてな……高威力短射程、高初速長射程、または散弾、あるいは炸裂型……産地や時期によって種類が豊富。何を撃って来るか分からない、まさに――」
「――“気まぐれ”サラダ、なのね!」
説明を聞いていたカニ江が、椅子に座ったまま突然上半身を左へと傾ける。
直後、その体をかすめる様に『太くて短い毒針』が飛来し、甲高い音を立てると長テーブルの表面に突き刺さった。
どうやらカニ江を狙ったヴゥサッンィガの毒針は高威力短射程型だったようだ。
「よし、では頂くとするか」
説明を聞き終えたダディーエとカニ江が、長テーブルの上にあった槍を手に取る。
これは戦闘用ではなく食事用の槍であり、地球文明で言うフォークやスプーンに相当した。
「では私は二品目の準備をしてこよう」
前菜の提供を終えたクィーバラが、キッチンワゴンをガラガラと押しながら食堂を退出していく。
そして再び取り残された父と娘。
「……」
「……」
またしても会話の消える食堂。
聞こえるのは気まぐれサラダの羽音のみ。
地球の蜂と異なり、ヴゥサッンィガの毒針は連続で発射できる。
高速で飛び回りながら毒針――もう一匹の毒針は炸裂型だった――を射出する二匹だったが、父と娘は気配を頼りにノールックでこれを回避。
そしてほぼ同時のタイミングで二人が槍を繰り出すと、気まぐれサラダは呆気なく貫かれた。
そのまま口元に運ばれ、抵抗むなしくムシャムシャされる。
噛み砕く殻の歯ごたえ、溢れ出す体液の温もり、そして最後まで暴れる命の輝き。
それらを感じながらありがたく頂く。
これぞヤウーシュ料理。
「流石はクィーバラ殿だ、活きが違う!」
「そうね」
客の好みを把握してメニューを決定し、産地を訪れ、食材を捕獲し、死なせる事なく食卓へお届けする。
それだけならば凡百の料理人(?)でも可能だが、そこに『活きの良さを保ったまま』という条件を付け加えると途端に難易度が上がる。
何せ捕らえた食材の生態について熟知していなければならず、保管や輸送にも気を配る必要があった。
そしてそのあたりが面倒臭がり屋なヤウーシュにとって鬼門となっている。
「……」
「……」
サラダを食べ終えてしまった。
再びの沈黙。
コース料理の空隙を担う筈の楽しい歓談が、今この場には無い。
「お待たせした。次はスープだ」
「お、おぉ次の料理か」
そして救世主が戻って来る。
キッチンワゴンを押したクィーバラが次の料理を運んできた。
再度、クィーバラが檻の中に入ってそれぞれの目の前に皿を置き、丸蓋を持ち上げる。
先ほどよりも深めの皿に入っていたのは、七色に光る巨大なナメクジ――頭部だけタコに似る――だった。
「二皿目は『ドヶロロヮ産のグヶゼンォプ ~季節の風を添えて~』だ」
「む……」
二皿目を見たダディーエが怪訝な反応を見せる。
巨大ナメクジ『グヶゼンォプ』は高度に発達した色素細胞を体表に持っており、周囲の景色を映し出す事で環境に溶け込んでしまう特殊能力を持つ。
しかし逆に言えばその程度で、動きが鈍い故に仕留める事自体は容易。
高度な擬態能力も待ち伏せならばいざ知らず、目の前に料理として出されてからでは生かし切れるものでは無かった。
一言で言えば、場違い。
サトゥーの前世的に言えば、コース料理で駄菓子を出されたようなもの。
「おじ様、これって……」
「ふふふ……このクィーバラ、半端な料理は供さぬが信条。ご安心召されい」
思わず『グヶゼンォプ』の意図を尋ねてしまったカニ江に、クィーバラが自信満々に答える。
そして腰のベルトから複数の瓶と注射器を引き抜くと、その場で調合を始めた。
「このグヶゼンォプ、普段は待ち伏せで狩りをしているが故にノロマ、という印象を持たれる事が多いのだが……。
実は一年を通して繁殖期にだけ、自ら獲物を狩りに行く獰猛なハンターへと変貌するのだ……出来た」
シリンジ内で完成した薬液。
クィーバラはそれを皿の上に居るグヶゼンォプ――早速、皿に擬態して姿を隠そうとしている――にチクリと注射した。
直後、色素細胞の作り出す映像がデタラメな模様に変異し始める。
かと思った直後――
「「Kyurooooohhh!!」」
――奇声をあげながらグヶゼンォプが二匹とも皿から飛び出し、檻の内側に張り付くとそのまま勢いよく走り回り始めた。
そこで更に擬態能力が復活した為、檻の一部に化けながら高速で動き回るグヶゼンォプの姿を捉えるのが途端に困難となる。
「さぁこれが『ドヶロロヮ産のグヶゼンォプ ~季節の風を添えて~』だ! 召し上がれ!」
グヶゼンォプは溶解液を吹き掛け、獲物を溶かす事でそれを啜る。
料理を完成させたクィーバラは急いで檻の外へと避難した。
「成程……“季節の風”とはそういう……」
「確かに手強いわね……!」
突然、檻の一部に亀裂が入り、内側に秘めていたピンク色の粘膜が曝される。
その部分は檻ではなく、擬態しているグヶゼンォプの顎、その内側だった。
「「Pyuaaaaaahhhhh!!」」
「ぬん!」
「えい!」
しかし吐き出された溶解液は、父と娘が回転させた槍の風圧によって呆気なく吹き散らされる。
攻撃の失敗を悟ったグヶゼンォプは大慌てで回避行動に移るが、熟練の狩人である親子の目から逃れる事は出来なかった。
「はいィ!」
「そこね!」
またしても同じタイミングで繰り出された槍に貫かれ、そのまま口元へ。
むしゃむしゃガブガブと『ドヶロロヮ産のグヶゼンォプ ~季節の風を添えて~』は親子の口内へと消えていく。
「むぅ、これはスルスルといけるな」
「臭みもないし……流石はおじ様!」
「わっはっはっは! お気に召していただけた様で何よりだ」
料理の活きを良くする為に、食材に薬液を注射する手法はヤウーシュ料理では広く用いられている。
しかし風味を著しく損ねたり、または健康被害が出てしまう等、その扱いには高度な知識が求められた。
それでいて、特定の季節にだけ見られる食材の生態を、デメリット無く都合よく引き出してみせたクィーバラの技はまさに一流の料理人のそれと言える。
「さて、では次だ」
「……」
「……」
三皿目の準備の為に食堂を出ていくクィーバラ。
そして会話が途絶える親子。
が、ここで遂にダディーエが本題を切り出した。
「ところで……病院では随分と使ったようだが、何か怪我でもしたのか?」
「えぇ……婚闘でちょっと……」
「そうか……婚闘で……ここここ、婚闘だと!!??」
婚闘。
意中の異性を暴力でゲットするヤウーシュの特異なる文化。
娘が婚闘をしたという事は、娘が婚闘をしたという事なんです。
「だだだだだ誰とだ!? パパパパパパは聞いてないぞ!!??」
「だって話してないもの」
「そ、そういう話ではない!! だ、誰とだ!? 相手は誰だ!!??」
「……サトゥー君よ」
「サ……サトゥー……?」
ダディーエは己の記憶をひっくり返して確認する。
シフードの特級戦士は全部で十人。
そして全員が『評議会』に所属している。
そして『評議会』にサトゥーという戦士は居ない。
つまり娘の婚闘相手は特級戦士ではないという事になる。
「では上級戦士か……いや、上級にサトゥーなんて戦士が居たか……?」
「ハァ……サトゥー君は中級戦士よ」
カニ江は溜息と共に事実を告げた。
この後、父がどういう反応を返すのか分かり切った上で。
そしてその通りになった。
「ちゅちゅちゅ中級戦士だと!!?? そんな相手はパパは認めないぞ!!」
「は?」




