閑話「父と娘」1
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ヤウーシュ母星。
赤茶けた大気の空を1隻の宇宙船が飛行している。
カニ江の愛機、カスタム宇宙船『ドゥ・ラーク』だった。
「はぁ……気が重いわね」
操縦席に座っているカニ江が、そうひとりごちる。
カニ江は今から実家へと帰り、家の金を使い込んでしまった件について父親から説教されなければならない。
流石のカニ江も気が滅入っていた。
しかし宇宙船は無情にも家へと辿り着いてしまう。
カニ江の父親ダディーエは特級階級の戦士であり、シフード氏族の最高意思決定機関『評議会』の一員も務めている。
そんな彼が住まう家は広大な敷地を持っており、宇宙船の発着場――と言ってもただの空き地だが――も備わっていた。
カニ江はそこへドゥ・ラークを着陸させ、タラップから発着場へと降り立つ。
家の方へ向かって歩いていると、発着場と居住エリアとの境にひとりのヤウーシュが立っている。
身長がサトゥーと同程度の、執事のトゥジーだった。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
トゥジーが左の握り拳を自分の胸板へと叩きつける動作をする。
ヤウーシュにおける『一礼』の所作だった。
「ただいま、トゥジー」
挨拶を返しながら、カニ江はトゥジーの姿を見る。
トゥジーのベルトからは腰布が垂れ下がっており、パリっと糊付けされたそれには皺ひとつ見当たらない。
立ち姿も重心が整っており美しく、執事としても戦士としても――戦闘力が高い訳ではないが――相変わらず隙の無い姿だった。
「……」
そしてその姿を見たカニ江の口からは、思わず文句が飛び出しそうになる。
宇宙船でサトゥー追撃を打ち切った際の、自分ではなく父親側についた事への不満だった。
――しかしトゥジーの佇まいは、己に恥じ入る点が無い事を堂々と主張している。
そしてそれは正しい。
彼の雇用主はカニ江ではなく父親なのだから。
「……ハァ、もういいわ」
お門違いの文句。
それを飲み込んだカニ江は、大人しく家に向かって歩みを再開する。
その後ろを三歩遅れながら付いていくトゥジーがカニ江へと釈明した。
「申し訳ありませんお嬢様。しかしこのトゥジー――」
「えぇ分かっているわ。貴方は貴方の仕事をしただけだもの」
「――恐れ入ります」
トゥジーも他のヤウーシュの例に漏れず、以前は戦士として生計を立てていた。
戦士として筋が悪かった訳ではないが、やはり体格の差というものは如何ともし難く、下級の地位とそれ故の貧困に喘いでいた過去がある。
そんな窮状から『執事としての仕事』を与える事で救い上げてくれたのが、現在の雇用主であるダディーエだった。
ダディーエは他にも似た境遇の下級戦士を使用人として多数雇っており、これには慈善事業的な意味合いがある。
それ故に雇われている側の、ダディーエに対する忠誠心は非常に高いものがあった。
敷地内にある本邸へと向かいながら、カニ江がトゥジーへと尋ねる。
「……パパは?」
「旦那様は食堂でお待ちです。間もなく支度が整いますので、『一緒に夕食でも』との事です」
「……そう」
それを聞いたカニ江がくるりと方向転換した。
そして食堂とは別の方向に歩き出す。
「……お嬢様?」
「私は中庭でポチと遊んでるわ。準備が出来たら教えてくれる?」
「畏まりました。夕食の支度が整いましたらお声がけさせていただきます」
「お願いね」
一礼するトゥジーと分かれ、カニ江は中庭へと歩いていく。
ダディーエ家では中庭でペットの『ポチ』を飼っていた。
せっかく帰って来たので夕食までポチと遊ぶ……というのは嘘ではなかったが、本音は『食堂に行きたくなかった』から。
今行ったら間違いなく、夕食の開始までスーパー説教タイムに突入していただろう。
「……そう言えばポチと遊ぶのも久しぶりかしら?」
カニ江が中庭へと辿り着く。
そこには巨大な柵で区切られているエリアがあった。
柵の高さは10mを超えており、高圧電流が流れるそれは時おり青白い火花を放っている。
柵の内部には様々な生物の残骸が転がっており、地面のあちこちが黒く変色していた。
「もぉ~ポチったら、またこんなに汚しちゃって~。ポチ~?」
カニ江はガントレットの遠隔操作でゲートを開放すると、躊躇する事なく柵の中へと足を踏み入れる。
エリアの片隅には、金属で出来た巨大な立方体が安置されていた。
ポチの『おうち』だった。
一面にだけ開けられている巨大な穴から『おうち』の主、ポチがその姿を現す。
「キィィ……キィアアアアア!!!」
「ポチただいま~♡」
巨大なる異形。
特定星系外生物『ゼノザード』の女王級個体『クイーンゼノザード』だった。
本来ゼノザードは『特定星系外生物による惑星環境等に係る被害の防止に関する法律』によって銀河同盟内では飼育する事が出来ない。
しかし一部惑星で『認可ゼノザード養殖工場』が運営されている様に、多額の費用と時間、そして手間を掛ければ特例として生きたまま保管――ペット化する事が出来る。
飼育に際しては様々な制約がある為、『女王級個体をペットにしている』事自体が一種の『成功者のステータス』になっているとも言えた。
◇
『ポチ』はブチ切れていた。
ゼノザードという種は文字や文明を持っていないが、知能自体が低い訳ではない。
むしろ『声』によって仲間と意思疎通し、獲物を包囲したり、狩り場に追い込んだり等、高度な戦術が取れる程には頭が回った。
それ故に『ポチ』は己が置かれている境遇をほぼ正確に把握している。
――この小さい奴らが、『私』をこんな場所に閉じ込めている、と。
許せる訳がない。
『私』は王であり、母であり、崇高な使命がある。
その邪魔をする奴らは皆殺し決定だし、とりあえず目の前に現れたコレは八つ裂きにしてくれよう。
柵の中へとノコノコ入って来た“獲物”に、『ポチ』は殺意マシマシで襲い掛かった。
◇
夕食の支度が整った。
トゥジーがカニ江を呼ぶべく、中庭へと向かう。
……何やら断続的に轟音が聞こえ、地鳴りまでしている。
建物の陰から出て、中庭を視界に収めたトゥジーが見たのは――
「キュィィィ! キュイィィィィィ!!」
「もぉ~! 久しぶりなんだからもっと遊びましょうよ~♡」
――必死で『おうち』に逃げ込もうとするポチと、その尻尾を掴んで引きずり出そうとしているカニ江の姿だった。
柵の中の至るところには見覚えのないクレーターが形成されており、何か重量物が叩きつけられたらしい。
何があったのだろうか。
極めて堅牢な筈のポチの外殻――並みの戦士では槍の一撃すら通せない――は、あちこちが凹んでしまっている。
何をされたのだろうか。
トゥジーは柵の外からカニ江へと声を掛けた。
「お嬢様、夕食の支度が整いました。食堂までお願いいたします」
「あらもう? 久しぶりだから思わず夢中になっちゃったわ! またねポチ♡」
「キュ……」
ポチと楽しく遊んで満足したのか、カニ江はポチを解放すると足取りも軽くゲートから外へと出てきた。
トゥジーは柵の中のポチを見る。
カニ江に尻尾を引っ張られた時の姿勢のまま、うつ伏せでグッタリとしていた。
「ポチ……ご苦労様」
「キュイ……」
今日のポチの餌は豪勢なのにしてやろう。
そんな事を思いながら、トゥジーはカニ江に続いて食堂へと足を向けた。
ヤウーシュの伝統的な家屋――逆さにしたお椀めいた形状の――は、基本的にはそれ単体で住居としての全ての機能が集約されている。
しかしダディーエ家では複数の家屋を廊下で繋ぎ、ひとつは居間、ひとつは客間、ひとつは食堂、といった具合に豪勢な使い方をしていた。
勝手知ったる我が家。カニ江は“玄関”から入ると、渡り廊下を経由しながら『食堂』を目指す。
途中、後ろに続くトゥジーが抑え気味に声を発した。
「これは独り言なのですが……」
「?」
「本日の夕食……実はクィーバラ殿をお呼びしております」
「クィーバラのおじ様を!?」
カニ江は足を止め、思わず振り返っていた。
流れの料理人、クィーバラ。
美食の探求者であり、ヤウーシュ料理を数段階進化させたとも謳われる料理界の巨匠である。
彼のファンを公言している戦士も多く、普段は各氏族からの招聘を受けて母星中を忙しく飛び回っている。
ダディーエもまたその味に魅了された一人であり、幾度となくクィーバラを自宅に招いた事がある為、カニ江にとっては幼少期から馴染みのある『美味しい料理をご馳走してくれるおじさん』だった。
「もしかして今日、クィーバラのおじ様が居るのって……」
「旦那様が急遽お呼びしたのです。“久しぶりに娘が帰って来るから、料理を振る舞って欲しい”と。
おっと独り言が過ぎました。お忘れください。では準備がありますので、私はこれで」
それだけ言うと、トゥジーは来た通路を引き返していった。
残されたカニ江は、何となくムズムズしたものを感じながら――
「もぉ~~……パパったら……」
――小さく呟いてから、再び歩き出す。
程なくして食堂へと辿り着いた。
扉を開けて中へと入る。
「……来たか」
出迎えたのは、食堂の中央にある長テーブル、その上座にどっかりと腰を下ろした大柄なヤウーシュ。
加齢と共に本数を増やしていく頭部と顎に生えた大量の放熱棘を、まるで髭をそうする様に撫でている。
シフードの特級戦士にしてカニ江の父親である、ダディーエだった。




