第19話「眺めながら」
Caution! caution!
The new threat approaching!
「……とりあえずオフィス行こう」
ガリガリガリガリ。
弁当Cから火花を散らしながら、サトゥーは階段へと向かう。
途中、階段へと向かわない方向の廊下、その先が暗くなっていた。
庶務課がさぼっているのか、天井の照明が消えている。
「……」
何となしにそちらを見たサトゥーが、視線を戻した時だった。
パァン、という破裂音。
「……!」
音は廊下の暗がりの先から。
サトゥーはその音の意味を知っていた。
そして聞こえた時には、既に射程に収められている事を。
「……」
サトゥーは再び、廊下の先の暗がりに視線を戻す。
暗がりの中、廊下は突き当りで右へと曲がっている。
その曲がり角、ちょうどヤウーシュが立っていたら肩だろう高さの壁から、一本の爪がはみ出していた。
角の向こうから2本目の爪が現れると、壁に触れて硬質な音を立てる。
カツン、カツン、カツンと計5本の爪。
それに遅れて、ヌっと顔が現れた。
ヤウーシュの女性の顔、その半分。
その半分がニコォと笑いながら言った。
「サトっち、見つけたし」
「……」
曲がり角の向こうから、そのヤウーシュの女性が全身を現す。
暗がりの中で金色に輝く瞳をふたつ浮かべながら、その女性はカサカサカサとサトゥーの方へ走り寄って来た。
明かりの下にその全容が晒される。
サトゥーがヤウーシュの姿を形容する場合は『直立歩行するカニの化け物』に例えるが、彼女の造形にはどこか昆虫めいたものがあった。
サトゥーを見下ろす姿勢はやや前傾気味で、腰回りや四肢は細い。
甲殻の至る所が刃物の様に尖っており、触れただけで切れそうな程に鋭かった。
そして何よりも爪。
シフード氏族よりも遥かに長く、曲線を帯びたそれは一本一本が鎌に似ている。
恐ろしい凶器を両手に備えたその威容は、見るものに巨大なカマキリを連想させた。
その巨大カマキリ――右手に何やらペットを運搬するキャリーケースのようなものを提げている――が、サトゥーの眼前で急停止する。
「久しぶりだし! サトっちと会えて、あーし嬉しいし!」
「そ、そうですね……はは……ははは」
彼女の名前はエビミィー。
生まれは別の大陸だが、わざわざシフード氏族へと出向してきたカイセーン氏族出身の女性ヤウーシュ。
尚、サトゥーは勝手にエビ美と呼んでいた。
「あの……それでエビ美さん、何か御用ですか……?」
「もーサトっちってば固いし! 気軽にエビィーって呼んで欲しいし!」
「何か用か海老」
「急に心の距離を感じるし!」
「すいません言い間違えました……それでエビ美さん、用件は何でしょう?」
「もぉ~サトっちってば~」
応じながらも、エビ美はサトゥーの持ち物を確認する。
手に持っているのはレンガ。ではなくカプリーメイト。
「――サトっち、またそんなの食べてるし! きちんと食べないと体に毒だし!」
「いえ、あの、おばちゃんにこれ貰ったので……」
サトゥーが逆の手に持っている弁当Cを見せる。
「パ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」
中身が相変わらずドリルで虫かごの破壊を試みていた。
火花がチリチリ出続けている。
「それじゃ栄養偏るし! しょうがないからぁ……あーしの弁当あげるし!」
はい、と勢いよく突き出されたキャリケース。
サトゥーは覗き窓から中を確認した。
「ズモォォォォォ!!!」
全身が鱗に覆われているマントヒヒみたいな生物が入っていた。
それがくるりと背中を見せてくる。
太い棘が生えていた。
次の瞬間それらが発射され、覗き窓の内側にヒュカカ、と突き刺さる。
「モョゲヵのグ ㇷ゚ジヮだし!」
「モヨゲカのグプジワ」
「モヨゲカのグプジワじゃなくてモョゲヵのグ ㇷ゚ジヮだし!」
「舌壊れる。確かこれ、高級食材ですよね? 悪いですよ……」
サトゥーは発音出来ないが、記憶によれば確か高級食材の筈だった。
発射される棘は時にヤウーシュの外殻すら貫く。
手強い獲物としてヤウーシュ人気も高い希少品。
「別にいいし! ちょっと作りすぎちゃったお弁当あげるだけだし!」
「……」
サトゥーは知っている。
宇宙広しと言えど、この世に『作りすぎたお弁当』等という都合の良いものは存在しない。
明らかにプレゼントの為に用意されたであろう一品。
惚れた男を実力で手に入れるカニ江を『動にして剛』の狩人とするならば。
目の前にいるエビ美は、サトゥーの胃袋を掴むことで手に入れようとしている『静にして柔』の狩人。
将を射んと欲すればまず馬を射よ。
エビ美はあれこれ理由をつけて、お弁当を差し入れる事でサトゥーの事を狙っている恋する乙女だった。
「あ……はい……」
だが悲しいかな、食の好みが前世寄りなせいでサトゥーの胃袋には一切響かない。
むしろ――
「ズモォォォォォォォ!!!」
「パ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」
――ストレスでサトゥーの胃袋に穴が空きそう。
「ありがとう……ございます……」
サトゥーはキャリーケースを受け取る。
経験上ここで断ると、次回のお弁当の金額が2倍に上がってしまう。
断る毎に倍々ゲームで増額し、最終的に『あんな高額なものを用意させたのに受け取らないの?』という周囲のプレッシャーでサトゥーが負ける羽目になる。
するど今度は世間体的にサトゥーがお返しする番になり、そのやり取りは周囲を致命的に誤解させる恐れがあった。
程よく受け取る事で被害を抑制する、というのがサトゥーの出来るせめてもの対策だった。
「でもお弁当用意するの大変じゃないですか? 無理しなくていいですよ。無理しないでね。無理やめてね。無理やめろ」
「もう~サトっち食べてくれるなら~あーし全然大変じゃないし~!!」
余談ではあるが、ヤウーシュが作るお弁当とは。
お弁当にする獲物が『運搬時は沈静化し、食事のタイミングで狂乱化する』様に、効能が時間差で現れる様に薬品を調合し、それを注射する作業が『お弁当を作る』と呼ばれている。
「でも今日のグ ㇷ゚ジヮは~、活きが良すぎて沈静化しきれてないし! 少し恥ずかしいし!」
(沈静化してこれかよ)
グ ㇷ゚ジヮの生命力にドン引きするサトゥーの前で、エビ美が恥ずかしそうに顔を手――凶悪な爪が生えている――で隠し、腰を左右に振っている。
その度に――
パァン!!
――という破裂音が響いていた。
右、左、右、左。
エビ美の腰が動く度にパァン、パァン、と破裂音が連続する。
こだまでしょうか。いいえ、ソニックブームです。
腰を突き出すエビ美の動きが瞬間的に音速域へ達し、一瞬だけ水蒸気の雲を形成。
それが消えると同時に、周囲へ衝撃波が撒き散らされる。
「――」
至近距離にいるサトゥーの顔面に衝撃波のビンタが襲来。
触れていないのに触れている。これぞエビ美の腰のコシ。
ダンスフロア熱狂!
パオパオパオ、ズモォォォォ、パァン!
パオズモォパァン! パオパオパァン! ズモパォズモパォ、パァン、パパァン!
アゲてみたいでしょ~? うん、みたーい! 行きますよー、はいせーのっ! あぁ~、ソニックブームの音ォ〜!!
「――だし! ――は――で、――は――だし!」
(つらい)
お弁当の奇声と腰振りの衝撃波で麻痺する耳。
何やらお弁トークを繰り広げているエビ美を前に、サトゥーは虚空を眺めていた。
やがてトークに満足したのか――
「――それじゃああーしはもう行くし! お弁当、ちゃんと昼まで我慢しないとダメだし~?」
「それは確実にそう」
「じゃあまただし!」
エビ美が暗がりのある廊下の奥へと去っていく。
カサカサカサと角の向こうに消えてから、再び顔が半分だけヌっと現れる。
その半分がニコォと笑みを浮かべて――
「バイバイだし!」
――そう告げてスっと角に消えていった。
パァン、パァンという破裂音も聞こえたが、やがてそれも遠ざかる。
再び廊下に静寂が戻る。
「パオオオオオオ!!」ガリガリガリガリ
「ズモォォォォォ!!」ヒュカカッ、カァン!
脇にカプリーメイト。両手に弁当箱。
「つらい」
立ち尽くすサトゥーはそれだけ呟くと、今度こそ階段へと向かった。
◇
「やっと着いた……」
本拠地3階にあるオフィス。
その一角にサトゥーのデスクがあった。
基本は任務の為に外に出ているので、デスクワークは殆ど行っていない。
ものが置かれていないデスクの上に、お弁当箱ズを置く。
「……」
金ぴかゾウが虚ろな目をして倒れていた。狂乱剤が切れたらしい。
「……」
モョゲヵのグ ㇷ゚ジヮは棘を撃ち尽くして静かになっていた。
でも暫くするとまた生えてくる。
「疲れた……」
サトゥーが椅子に腰を下ろし、頭を抱え込む。
「宇宙港から自分のデスクに来ただけなのに、どうしてこんな疲れてるんだ。
何か凄い時間掛かった気がする……20日くらい経ってないか?
気のせいか……あ、そうだ」
そこでふと思い出したサトゥーが、腰のベルトに装着していたマスクを取り外す。
下半分が欠損しているそれを眺めながら、ひとりごちる。
「予備に替えておくか……」
そう言いながら、デスクの引き出しを開けた。




