第13話「急速に回復」
一部描写を修正しました(大筋は同じ)
サトゥーはベルトに装着していたマスク――ちょうど腰布で隠れる位置の――を取り外す。
ガントレットの解析結果を映像として見るには、マスクの視界に拡張現実として投影するのが最も早い。
顔面に装着しようとして――
「割れとるーー!!?」
――マスクの下半分が無くなっていた。
「カニ江めぇ……!」
マスクは上下逆さにしてベルトへ取り付ける。
そしてカニ江のベアハッグは、ベルトより上の位置に受けた。
結果、上方向を向いていた『マスクの顎部分』がカニ江のベアハッグ範囲に入り、圧壊したのだろう。
同時に、ナノマシン錠剤の空容器を見ながらサトゥーは思う。
「……ベアハッグの位置がもう少し下だったらヤバかったな」
恐らくはベルトそのものが圧壊し、ナノマシン錠剤も失われていたに違いない。
皮膚という袋で覆われている内骨格生物と違い、ヤウーシュは外殻が骨と皮膚を兼ねている。
その外殻が完全に割れてしまうと、パズルの様に全身がバラバラに分解してしまう危険があった。
ナノマシン錠剤を失い、人知れずトイレの床の上でバラバラになる自分……。
「止めだ止め! んで……マスクは大丈夫か……」
かぶりを振って嫌な想像を追い出し、上半分のマスクを目元に装着する。
視界が若干ひび割れているものの、ガントレットとの連動に問題は無かった。
解析の終わった情報が、映像としてサトゥーの視界に投影される。
「では10分前から再生……」
目の前の空間に己の全身像と、それに後ろからベアハッグを仕掛けているカニ江の立体映像が浮かび上がった。
≪さぁ出してちょうだい……カラーテの奥義を!≫
≪先゛に゛中゛身゛が゛出゛る゛≫
二人のやりとりが聞こえた。
そして映像のサトゥーが、カニ江の腕の中でジタバタもがき始める。
だがカニ江の拘束は緩まない。
サトゥーもこの辺りまでは覚えていた。
「ここからだ……」
やがて映像の中のサトゥーが、抵抗する動きを緩慢にしていく。
そしてついに力尽きる、かと思われた瞬間。
≪い゛やァん!?≫
カニ江の悲鳴と共に過去の自分が、背後に居たカニ江を担ぐ様にして前方へと投げ飛ばしていた。
「いや何でやねん!!」
思わずセルフ突っ込みするサトゥー。
「カニ江の拘束は暴れてもビクともしなかったやろがい!
何で投げれんねん!! 解析間違っとんちゃうか!?」
サトゥーは映像を止めると、解析のプロセスをチェックしていく。
だが異常は見つけられなかった。真実はいつもひとつだった。
その時サトゥーの脳裏に、ふと思い浮かぶ言葉があった。
――えー、今のは仕掛けがありまして――
――引っ張る直前に、少しだけ腕を押してあげたんですね――
「引く直前に、押す……?」
サトゥーは少し、着目する部分を変えた。
映像化されていなかった情報。
自身の運動データを精査し、己の重心を可視化させて映像へと追加していく。
「やっぱり……」
緑色の縦棒として表示させた『サトゥーの重心』は、カニ江の拘束から逃れようと暴れている間は基本、前のめりになっていた。
しかしカニ江を投げ飛ばす直前に、一瞬だけ垂直に戻っている。
「恐らく俺はこのタイミングで、一瞬だけ気絶したんだ。
だから体から力が抜けた……そして」
サトゥーは続いて、カニ江の運動データを収集していく。
体が密着していた事で、辛うじてガントレットの情報収集範囲にカニ江のそれが含まれていた。
解析した『カニ江の重心』を赤色の縦棒として映像に重ねる。
カニ江の重心は常時、やや後ろのめりだった。
恐らくは前のめりで逃れようとするサトゥーに対抗する為だろう。
だがサトゥーが気絶した――緑の縦棒が垂直に戻った――瞬間、がくんと大きく後ろに傾いた。
そして直後、跳ね返るように赤い棒は前へと倒れてくる。
再び脳裏に言葉がよぎった。
――姿勢を崩すまいと反射的に重心を前にしてしまったんですね――
赤い縦棒が前に倒れる。
緑の縦棒が垂直から前のめりに戻る。
そのタイミングが重なっていた。
――反射というのは無意識に起こってしまうものなので、それを利用すれば相手は反応出来ない訳です――
カニ江の重心が完全に前へと崩れる。
だが前に倒れようとするカニ江は、目の前にいるサトゥーに抱き着いたまま。
前に逃れようと体を丸めてたサトゥーの、その背中に乗り上げる。
そして――
≪い゛やァん!?≫
――カニ江は上下逆さまになりながら、サトゥーの背から前方へと滑り落ちた。
だがこの時になっても、カニ江の腕の拘束は緩んでいない。
収集データに含まれた、絶えず圧迫を受けて悲鳴をあげるサトゥーの生命兆候がそれを物語っている。
形としてサトゥーはカニ江を投げていない。
しかしカニ江がサトゥーを掴んでいたので、カニ江はサトゥーに投げられた。
結果としてそれは、合気道『腰投げ』に近い何かになっていた。
「これは投げ技なのか? 投げ技かな……投げ技かも……」
サトゥーは映像を進めた。
倒立状態のカニ江が、前方に向かって足から倒れる。
当然その回転の流れに、抱き着かれたままのサトゥーも巻き込まれた。
そしてカニ江がサトゥーを抱っこしたまま、背中から地面に落下する。
サトゥーは映像をそこで一旦、止めた。
「カニ江に対して投げ技……。いやそもそも、カニ江に投げ技って効くのか……?」
投げ技は相手の姿勢を崩して転倒させ、その位置エネルギーを破壊力へと変える技。
つまりその破壊力は、変換できる位置エネルギーに限定される。
「でもカニ江って――」
サトゥーは過去の任務の事を想起した。
◇
あれは確か『惑星ディ・ブーリ』での事。
生命が確認されたその惑星へ、文明の有無を調査する為にアルタコの調査隊が降下した。
シフード氏族の戦士団――サトゥーが駆り出されている――も護衛として同行し、それには助っ人としてカニ江も参加していた。
惑星ディ・ブーリは地表が菌糸の森で覆われた特異な惑星だった。
そしてそこには超巨大生物が生息していた。
サトゥーが目撃したそれは、前世の『学校の体育館』サイズもある『超巨大ダンゴムシ』だった。
それが全高数十mはある巨大なキノコの森を蹴散らしながら、丸まるでもなく新幹線並みのスピードで走り回っていた。
『ほげー!』
『やばいクァマーセが轢かれた!』
次々と怪我人――死者が出ないあたり、ヤウーシュの耐久力もおかしい――が出る中、逃げ遅れた戦士を庇い、カニ江もまた巨大ダンゴムシに跳ね飛ばされる。
『い゛や゛ぁぁぁぁぁぁ――』
悲鳴を残しながらカニ江が空へと打ち上げられていく。
(死んだか!?)
離れた場所にいたサトゥーは、天に昇るカニ江を目で追っていた。
(そのまま星にならないかな? カニ座)
当時、付き纏いは既に止んでいたが、ひたすら愛の告白を繰り返されて焦燥していた時期だった。
今回の助っ人参戦も、自分を追って来たのではと勘ぐっていた。
超巨大ダンゴムシのイカれた運動エネルギーを受け取ったカニ江は上空まで吹っ飛び、空を漂っていた緑色の雲に穴をあける。
そして数秒後、二つ目の穴を空けると自由落下してきた。
(親方! 空から蟹の流星が!)
『――ぁぁぁぁぁん!』
そしてそのまま地表に激突した。
轟音を立て、局地的な地震が起こる。
吹きあがった胞子の煙が晴れた時、そこには大穴――全身の形がクッキリと分かる漫画の様な――が開いていた。
(死んだか!?)
思わず近づいて、サトゥーはその漫画穴を覗き込んでいた。
しかし――
『やだもぉー、腰布が汚れちゃったじゃない!』
――穴から地獄よりの使者、ではなくカニ江が這い出してきた。
『あら? サトゥー君?
もうやだァ……私の事を心配して来てくれたのォ? 嬉しい……胸がドキドキしちゃう』
『不整脈だろ』
カニ江は無事だった。
尚、任務自体は無事に終了し、惑星に文明がない事が確認された。
そしてサトゥーも何とかカニ江をやり過ごす事に成功している。
◇
サトゥーの意識が現在へと戻る。
「――あの超巨大ダンゴムシアタックと、その後の上空からのフリーフォールに耐える狂った耐久力相手に、こんな高さの投げ技なんか効くのか……?」
サトゥーは恐る恐る再現映像を再開した。
地面へと、カニ江が背中からズドンと落下する。
大地に亀裂が入り、カニ江の体が少し埋没した。
収集データが一時的に計測不能を示し、映像にノイズが走る。
ヤウーシュ2体分の重量が、それなりの速度で受け身も取らずに落下した。
確かに高い破壊力を産むだろう。
それでも、惑星ディ・ブーリのそれを上回るとは思えない。
映像を一時停止させる。
サトゥーは地面に背中をついた直後の、カニ江を観察した。
解像度の関係で、細かい表情を読み取るまでは出来ない。
≪――≫
だが無表情に近く、投げのダメージを感じさせるものは無かった。
「やはり効いてない……?」
サトゥーは映像を再開させた。
直後。
≪ちぇりゃぁぁぁ!!≫
仰向けに倒れたカニ江に抱っこされ、同じく仰向けに倒れていた過去の自分が裂帛の気合を放ち、カニ江の拘束を振り解いた。
「だからァァァァ! 何でやねん!」
やはり過去の自分に突っ込む。
「投げのダメージないのに何でカニ江の拘束外れんねん! そうはならんやろ! でもなっとるやろがい!!」
拘束を振り解いた過去の自分は、そのまま全身のバネを使って空中に飛び上がった。
そして猫の様に空中で回転すると――
≪プレデター空手!! イヤァァァァーーー!!≫
――真下に向けて飛び蹴りを放つ。
狙いはカニ江の首。
そしてその蹴りは、一撃でカニ江の首を破断させた。
破断面から体液が噴き出し、カニが四肢をピーンと伸ばすと――
≪ゴボボーー!≫
――白目を剥いて泡を吹き始める。
(死んだか!?)
サトゥーは思わず浮かんだそんなセリフをかぶりを振って掻き消し、叫ぶ。
「いやオカシイやろッ!!」
サトゥーは飛び蹴りを放った自分の右足を叩いた。
「お前そんな威力ないやろがいィィィ!!」
己の蹴りで破断するような首ならば、超巨大ダンゴムシに轢かれた時点でカニ江の首は二つ目の流星となってる筈だった。
どう考えてもおかしい。
「ハァ……ハア……ハァ……」
突っ込みに疲れ、息を整えるサトゥー。
しばらくそうしていたが、残念ながら今度は脳裏に『不意に浮かぶ言葉』は無かった。
どこか記憶の片隅にいた『坊主頭の中年男性』も、今度は来てくれない。
「何が……何があった」
サトゥーは収集データを精査していく。
すると――
「うん? 生命兆候の数値が……」
――過去の自分がカニ江の拘束を振り解く直前に、己の生命兆候が急速に回復している事を発見した。




