第11話「満面の笑み」
ヤウーシュ族、母星。
そこに居を構えているシフード氏族の本拠地前で、サトゥーとカニ江の婚闘は続いていた。
「ホォォォォ! ンホォォォォォン!!」
カニ江の猛攻が続く。
辛うじてサトゥーは攻撃を避け続けていた。
前世の幼く古い記憶から合気道の体捌きを引っ張り出し、必死で転換、転身の足捌きを繰り返す。
「ホアアアアアアアア!!」
至近距離を駆け抜ける致死の握手を叩き、払い、必死にその軌道から身を逸らす。
「「「サトゥーくぅぅぅん! 負けないでーー!」」」
「「「逃げてばっかじゃねぇか戦えボケーー!!」」」
観衆が焦れ始めていた。
開始から数分。
サトゥーはひたすら回避に徹している。
防御は不可能だった。
カニ江にニギニギされた時点で、そこの部位は永遠の輝きを宿して宝石と化してしまう。
「サトゥー君! そォい!
逃げてばっかじゃ! どるァア!!
私には! オぉン!! 勝てないわよぉぉぉ!!」
「ハァ!」
時折サトゥーは反撃に転じた
だが空手による打撃は、カニ江の外殻と体重差に阻まれ一切効果が無かった。
「効かないわ! はぁん……はぁん……」
攻勢一辺倒でカニ江の息も少しづつ上がって来ている。
「ファーブルスコ……コポォ……ドプフォ……」
だれそれ以上にサトゥーも消耗し、その呼吸は大きく乱れていた。
心理的負担があまりにも大きい。
絶え間なく振り下ろされる死神の鎌の下で、反復横跳びをしている気分だった。
サトゥーの空手では勝機が無い。
ならば勝ち筋はひとつだけだった。
「オフゥ……フォカヌプフォ……」
サトゥーはひらすら機をまった。
そしてついに、それは来た。
「え゛ぇ゛~~い!!!」
カニ江が左手を振り上げ、サトゥーの頭上目掛けて振り下ろす動作。
それが記憶の中、前世の幼少期に合気道道場で見た、練習相手の動きと同じ軌跡を描く。
「一教ォォォ!!」
当時教わった通りに動く。
頭上から降り注ぐ死の線、その内側へ。
落ちてくるカニ江の左上腕を捌き、側面へ抜けると同時にカニ江の左肘と左手首を掴む。
流れに逆らわず腕を振り下ろさせてから、その勢いを利用して一気にカニ江の重心を引き倒した。
合気道『正面打ち一教』。
道場で最初に習った、覚えている数少ない技のひとつだった。
「あ゛ぁん!?」
カニ江が踏み込みの勢いのまま、流れるように地面へと倒れ、うつ伏せ状態になる。
サトゥーはカニ江の左肘を極めたまま素早く腰を下ろし、両膝を使って左肩も極めた。
「制圧完了! やったどー! 私の勝ちです婚闘は早くも終了ですねそれほどでもない!」
この状態まで持ち込めば、もはや脱出は不可能だった。
相手を傷つけずに制圧する、合気道の面目躍如と言える。
だが――
「「「いけーサトゥー君腕ブチ折っちゃえー!!」」」
「「「うあああカニィーエちゃん負けないでー! いややっぱり勝たないでー! お前が死ねやサトゥー!!」」」
――観衆は誰ひとり、終わったと思っていなかった。
ヤウーシュの決闘とは、やるかやられるか。
どちらかが機能不全となるまで続行される。
手が捥げようが、足が捥げようが、動けるならば続行あるのみ。
「そういえばヤウーシュって蛮族だった……!」
サトゥーは悩んだ。
カニ江と結婚したくはないが、腕を圧し折る程に憎んでいる訳でもない。
サトゥーは対話を試みた。
「カニ江……勝負は付いた。
君の気持は嬉しく思う……だが自分は今、仕事に打ち込みたいと思ってるんだ。
だから君の気持には答えられない……ここは大人しく降参してくれないか?」
「んふふふ……」
うつ伏せに倒され、腕を極められているカニ江が顔だけサトゥーに向け、答えた。
「そういえば、このカラーテをされるのは2回目だったかしら? サトゥー君」
「お願いおはなしをきいて」
「私……ずーっとこの時の為に考えてきたのよ?」
「おねがいです、わたしのおはなしを……何て?」
ぐん、とカニ江の体に力がこもった。
「うお!?」
「今から見せてあげるわ……私の『カラーテ破り』を!!」
カニ手が右腕を空中に浮かせる。
そして指先が有機的に蠢き始めた。
鋭い爪が陽光に煌めき、カチカチと音を立てる。
「な、何をするだァーッ!?」
カニ江が右手を振り下ろす。
ガツンと音を立てて、爪が地面へと食い込んだ。
そしてそれをアンカー代わりに、カニ江が体を起こし始める。
「やめろ! む、無茶するな、待って……待ってください! 待ったァー!!」
サトゥーが左腕の関節をさらに極める。
既にミシミシという感触が届き始めていた。
「し、知らないのかしら……? サ、サトゥー君……!」
カニ江が両脚を広げ、右手と合わせた3点で無理やり起き上がっていく。
バキバキバキとカニ江の関節から異音が聞こえ始めたが、サトゥーに手加減をする余裕は無かった。
「恋゛に゛待゛っ゛た゛は゛無゛い゛の゛よ゛ぉ゛ぉ゛!゛!゛」
「らめぇぇぇぇぇ!」
メキョメキョという奇怪な音があたりに響いた。
そしてその音が止む頃―
「「……」」
――何故かサトゥーは立ち上がってしまっていた。
その正面にはカニ江が居て、同じく直立している。
カニ江は左腕をサトゥーに破壊させながら、それを無視して、無理やり立ち上がったのだ。
そして二人は何故か握手を交わしていた。
握手では無かった。
最後まで関節を極め続けていたサトゥーが、カニ江の左手を持ったままなだけだった。
カニ江が視線を落とし、自分の左腕を確認する。
左腕は滅茶苦茶に破壊されていた。
肩が砕け、肘が逆に曲がり、手首が割れている。
亀裂からは筋繊維が飛び出し、蛍光色の体液がピューピュー噴き出していた。
視線をサトゥーに戻したカニ江が誇らしげに宣言する。
「これがカラーテ破りよ」
「ただのパワーでは?」
心外そうな顔をしながらカニ江が返した。
「あらヤダ、技と呼んでちょうだい」
サトゥーはカニ江の左手――千切れんばかりにプラプラしている――を両手で掴むと、しっかりと握手しながら言った。
「それにしても流石はカニ江さん!
私もつい本気を出してしまいましたよ。久しぶりに気持ちのいいバトルが出来ました。
じゃあボチボチ良い時間だし報告があるし私はこれで」
サトゥーは手を放すとくるりと回り、てくてくと歩き出す。
やがてその歩みがスタスタに変わり、さらに加速しようとした時。
サトゥーの背後から大蛇が現れると、サトゥーの胴体にくるりと巻き付いた。
大蛇ではなかった。カニ江の右腕だった。
背後から抱き着いたカニ江が、サトゥーの耳元で囁く。
「ダ、メ」
カニ江が右腕にぐん、と力をこめる。
サトゥーの胴体が絞めあがり、外骨格が悲鳴を上げ始めた。
「おげぇぇぇぇぇ!」
「サトゥー君……知ってるわよ……!
あなたはまだ奥の手を隠してる……私には分かるの……!」
背後からの、片手ベアハッグ。
本来は両腕で締め付ける技だったが、何の問題もなかった。
カニ江は片手の腕力だけで以って、サトゥーの外骨格のうち、もっとも強固で堅牢な筈の胴体部分をゆっくりと粉砕し始めていた。
「さぁ出してちょうだい……カラーテの奥義を!」
「先゛に゛中゛身゛が゛出゛る゛」
そもそも奥義なんてねぇし、このままでは死ぬ!
ベアハッグから脱出しなければならない。
サトゥーは全力で重心を前に傾け、カニ江の右腕を振り解こうとした。
が、動かない。
カニ江の右腕はぴくりとも動かなかった。
負荷を掛けたせいで外殻の亀裂が深くなっただけだった。
「「「――――!!!」」」
周囲の歓声が聞き取れない。
だんだんと音が遠ざかり始めていた。
視界も黒くなり始める。
(あれ……これ死ぬのでは?)
サトゥーの頭の、どこか冷静な部分が呑気にそう分析する。
だがどうしようもなく抗えず、サトゥーの意識は闇へと沈んでいった。
◇
目の前を巨大な質量が通過する。
「うおっ!?」
思わず後ろに仰け反り、尻もちを付いた。
通り過ぎたそれを視線で追うと、それはトラックだった。
荷台には『伊勢貝運送』と書かれている。
「くそ、あぶねーな!」
撮影してやろうとスマホを取り出したが、カメラ機能を立ち上げる頃にはトラックはカーブの向こうへと消えていた。
「……あとで会社名検索してやるからな」
そう呟きながら男――佐藤ユウタは立ち上がった
30歳独身、週末の夜。
コンビニへ夜食を買いに行った帰りの、とんだ不運だった。
近くに転がっている、投げ飛ばしてしまった買い物袋を回収する。
中を覗いた。
「あーあ、弁当がめちゃくちゃだよ」
悪態を付きながら、佐藤は自分のアパートへと戻る。
部屋の前に辿り着き、開錠してドアを開けた。
玄関口からそのままキッチンへと繋がる、単身者用の間取り。
靴を脱いで顔を上げる。
「おかえりなさい、サトゥーさん!」
目の前に居たのは、満面の笑みを浮かべているサメちゃんだった。
【正面打ち一教】
合気道の初歩的な技。一教、二教、三教、四教とある最初のひとつ。
相手が正面から振り下ろしてきた手刀を受け、その腕を抑えて倒す技。
ただし腕を抑える関係上、慣れないうちは力で返されやすい。




