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夢物語  作者: 文屋 夜
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■■という名の部屋の中で

『ある時目を覚ますと、私は一人、大理石でできたような白い階段を上っていた。壁も白く、窓も白い。文字通りの真っ白な世界に、私はいた。私はただ無意識に階段を登っている。まるでプログラミングされたかのように、自然に、なんの違和感もなく、その歩みを進め、止めることはない。今になって気付いたが、この空間には音がない。階段をどれだけ上り進めても、カンという音すらしない。白色無音の気味の悪い空間に私はいる。だが、違和感はない。不思議と聴覚と視覚が慣れている。こんな場所には来たことがないのに、見知った場所のように思えるのだ。デジャヴでもない。本当に来たことがないはずなのに、知っているのだ。誰もいない、空白の空間に私は一人。私は真に孤独になった気がした。

 誰もいない空間を一人で歩いてどのくらい経っただろうか。何もかもが白いせいで、時間の感覚すらわからなくなってしまった。あてもなく、ただ歩くのは、普段ならつまらないが、ここではそうは思わない。この歩くという行為が自然なのだ。故に私は、歩き続ける。

 眼の前に、踊り場が現れた。そこから先には階段がなく、行き止まりだった。私はとりあえずそこまで進み、立ち止まった。前を見ても、白い壁があるだけで他は何も無い。ふと、振り返ってみると、そこにあったはずの上ってきた階段がなくなっていた。私は白いゲージに捕らわれてしまったのだ。ネズミ捕りにかかるネズミのように考えることもなく、ただ無意識に自然に進んだ結果がこれなのだ。私はこの空間に来て初めて焦りと不安を感じた。四方八方から襲いかかる恐怖から逃れられない私は、ただ冷や汗を流すことしかできない。ついにはうずくまり、頭をかかえてしまった。目をつむり、暗い世界を目に映す。あの忌々しい空間から逃れられたように思えた。それでも、周りには今でもあの空間が広がっている。そう肌で感じるのだ。暗い世界に逃避してもまだ冷や汗が身体を伝っている。もう逃げようがないのかもしれない。怖くなって、瞼を始め全身に力が入る。早く悪夢が終わってほしいと願っていると、かすかになにか音がした気がした。私は思わず目を開いた。黒から白に世界が転換し、脳に加わる恐怖が増大する。だが、それ以上に、この空間に響いたかすかな音が気になって仕方がなかった。私は全神経を耳に集中させ、音を探る。

「──ないで」

耳に入ったのは、女性の泣いているような悲痛な声だった。どこから声がするのかと周りを見渡すが相変わらず、白い壁があるばかりだ。

「──ないで、──ないでよ」

また声がした。しかも複数人の声となって空間に響いた。どこからするかもわからない声を必死に探すが、見つからない。私はまた怖くなり、うずくまって目を閉じてしまった。

「──ないで、──ないでよ」

同じあの声が脳に響く。逃げられず、藻掻くこともできず、どうしようもない無力な自分を痛感する。

「──なないで」

聞き取れる言葉が少しだけ増えた。

「──なないで、──ないでよ」

「──ないで、──なないでよ」

「死なないでよ、──」

死なないで。直接的な言葉に心臓をぐっと掴まれる思いがした。

 もう、自分自身、なにがなんだかわからなくなってしまっていた。なぜここにいるのか、この声は誰のものなのか、死にそうになっているのは誰か。考えても考えても、眼の前には空白しかない。それでも、あの声は響き続ける。次第に音自体が大きくなって、近づいてくる。

「死なないで、死なないでよ」

「死なないで、凜華」

私はひどい驚きに包まれた。凜華は私の妻だ。最愛の妻が死ぬなんて、私には耐えられない。凜華は、凜華はどこにいるのか。目を見開いて探した。次第に今まで白かった壁に色がついて歪んで、変わっていく。気づくとそこは病室に変わっていた。

「凜華、凜華!」

声のする方に振り返ると、凜華が病衣を着て、目をつぶって仰向けに寝ていた。色白の美しい、見惚れる肌は、粉雪が覆っているかのように、いつにもまして白かった。違う意味で見とれてしまった。最愛の、一番大切な、人の死。この先の人生にあるはずの光を奪われ、暗い砂漠に一人置き去りにされたような感覚に、私は喰われた。凜華の姿が水面に映り、揺れている。拭われることもなく、頬を伝って落ちていく。私は動くことができなかった。今になって気付いたが、凜華の周りを見覚えのある女性たちが囲っていた。彼女たちは、凜華の友人だ。結婚式で友人代表スピーチをしてくれたのでよく覚えている。彼女たちも、声を上げ、大粒の涙を流していた。私は、少し、少しだけ凜華を誇らしく思えた。友人に慕われるよい人妻だったのだと。

「──今までありがとう」

自然と口から言葉が溢れた。凜華を失うことを受け入れきれたわけではない。出来るなら、私も死んで天国があるのならそこで凜華と過ごしたい。でも、凜華はそんなことをしてほしいと言わない気がする。これはただの感。感に過ぎないのだが、どこか信用がおける。初めて目をつむり、涙を拭った。

 次に目を覚ますと、そこはいつもの家だった。隣のベッドは、すでに掛け布団が畳んであって、誰もいない。開いているドアからパンを焼いた匂いがする。おもむろにベッドから出て、リビングに向かう。リビングの扉を開けると、ソファーに立て膝をついて座り、片手に小説、片手に珈琲を持った凜華がいた。いつも通りの色白の凜華だ。ソファーの前のテーブルにはバターが塗られ、端のほうがかじられたパンがある。私はゆっくり彼女に近づいた。そして、抱きしめた。服を挟んで、彼女の温もりを感じる。

「…おはよう」

彼女はそう言いながら珈琲を机に置いて、私の頭を撫でた。

「うん、おはよう」 

私はまた泣いてしまった。彼女が生きていることが、何よりも嬉しかった。

「どうしたの?」

心配そうな声で凜華が尋ねてきた。

「なんでもない。ただ、君が生きていてくれて良かった」

言ってから、私は恥ずかしくなってしまった。慣れないことは言うものじゃないと思った。赤面する私を彼女は抱きしめ返した。

「ありがとう、私も君が生きていてくれて良かったよ」

「うん…」

「はい、終わり。珈琲淹れるね」

「うん、お願い」

凜華は小説をソファーに置いてキッチンへ。私は小説の表紙に目を奪われた。


   『恐怖という名の部屋の中で』


最後までご覧いただきありがとうございます。この作品は、私が夢で見た内容を膨らませて執筆しました。

実際に夢を見て、起きた時は涙で枕の半分ほどが濡れていました。(ただし、この後慰めてくれるような妻はおりません。そもそも未婚です。)読んでいただき

ありがとうございました。

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