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ゲオルギウスの怪物  作者: 異伝C
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第一章 『再生する時間』




    【八月十二日(夏)】


エレベータが上昇する。 

体がフワッと重力の負荷を受け、そして次第にその感覚は自分と一体化していく。 

「小さい頃に一回登った事があるけど、こうしてまた登るのは感慨深いものがあるネ」

隣に居るゼロ先輩がひとこと漏らす。

同感だ。 僕もこの街に住んでいて登った回数なんて一回くらいしかない。


「私は一回も登ったことないよ」

そう漏らすのはハスミ姐さんだ。 相変わらずクール。


 他にもエレベータ内には観光客と思われる人々が沢山居た。

「……?」

僕は観光客に交じって異様な格好をした人物に気づく。 真夏だというのにフード付きのコートを羽織り、深々とフードで頭を覆っている……。 

(怪しい奴だな) 僕はあまり見ないようにした。


上昇を続けて五分程経ったか。 おもむろにゼロ先輩が口を開く。

「しかし長いね……さすが地上から三千メートルの怪物タワー」

その口調には期待と不安、そして好奇心が混ざり合っていた。


《間もなく展望ルームです。 国内最大級の景観をどうぞお楽しみください》

アナウンスがして、再び体がフワッとする感覚と共にエレベーターが止まった。


「さあくるゾ! ドキドキ!」

扉がゆっくりと開かれ、地上から千メートルの景色が目に飛び込んでくる。


「うわお!」


ゼロ先輩がはしゃぎながらエレベータから飛び出す。 僕たちも続けて降りる。


展望ルームは圧巻の光景だった……。

床のいくつかは透明なガラス張りで、外の景観はもちろん、足元に広がる地上から千メートル先の地面も見下ろす事ができる。 これは背筋がゾクゾクするというものだ!


「街の全部が見えるゾ! 絶景だネ!」


ゼロ先輩はポニーテールの髪と後ろにいつも引っかけているテンガロンハットをユサユサ揺らしながらはしゃいでいた。

無理もない。 ここまでの景色はそうそう見られるものじゃない。


「ホラ! あっちの海上に見えるのは百年前に建造された宇宙太陽光発電のプロトタイプ型『ヴィータ2050』! さすが、地上からの眺めと比べるとちっこいねエ!」


「ゼロ先輩、はしゃぐのは良いですけど当初の目的を忘れちゃダメですよ?」

僕はゼロ先輩をたしなめつつ、懐から『ボイスメモ付き電子メモ帳』を取り出す。

この電子メモ帳は優れモノだ。 メモ帳として実際に書くことは勿論、ボイス録音機能の他にボイスをリアルタイムで変換して文章として書き込みしてくれる。

さらに声帯識別機能もあるので、最大十人の声を分けて書き込んでもくれるのだ。


「さて、実際にゲオルタワーの展望台に登ってきた訳ですが、どうですかハスミ姐さん? 何か変わった事はありますか?」

ハスミ姐さんはしばしの沈黙のあと首を横に振る。 ただならぬオーラに僕は唾をゴクリと飲み込みながらその様相をメモに書き出して行く。


「おかしいです」

「おかしい? というのは、どうおかしいんですか?」


メモ帳の画面にハスミ姐と僕の会話がボイス音と共に文字で記録されていく。

「残留思念がありません。 あれだけ多くの残留思念が地上から見てとれたのに」

「なになに? それって、残留思念が消えちゃったってコト?」

それまで浮かれてはしゃいでいたゼロ先輩が興味津々で質問してくる。

「そうよ。 エレベータに乗った時から違和感は感じてたけど、地上から感じていた残留思念が……どんどん消えていったの」

パシャ。 ゼロ先輩は喋っている途中のハスミ姐をいつも持ち歩いているデジタル一眼レフカメラで撮影する。 パシャ。 パシャ。

「こんな経験初めて……」

ハスミ姐さんは両手を抱き合わせて身震いする。 展望ルームは冷房が効いているが、寒いほどではない。 何か良くない悪寒を感じているのだろうか。


――その時、部屋のスピーカーから十七時を報せる街の時報メロディが流れた。

《――Should auld acquaintance be forgot, and never brought to mind Should auld acquaintance be forgot, and days of auld lang syne〜》

しかも、いつもは古めかしいメロディだけなのに今回は歌詞付きだ。


「時報? 待って……今って十八時じゃない? これ、十七時の時報だよネ?」

僕も腕時計を確認する。 確かに……ちょうど十八時だ。 一時間ズレてる?


「でも、さっき十七時にもちゃんと鳴ってたし、どういう事なんだろう? 何かのイベントとかですかね?」

ゼロ先輩は改めて街全体を見渡す。 音楽は展望ルームのスピーカーから流れており、高音質で歌詞も綺麗に聴き取れた。

「何だか……悪い予感がする」

ハスミ姐さんはボソリと呟く。 もちろんその言葉もメモ帳の画面に記録される。


――話の発端はハスミ姐さんだった。


僕たちは都内二十四区の一つ、美鈴田区みすだくの高校に通う学生で、その高校の部活の雑誌部の部員だ。

雑誌部というのは日常のありとあらゆる話題や事件をバラエティ豊かに記事にして本にするという部活だ。

一冊毎のページ数は二十ページ弱と少ないが、内容の奇抜さやフューチャーされる特集等が注目を浴び、新聞やニュース番組の特集等にも取り上げられたりした事もある。

なので基本は購買部で販売している雑誌なのだが、公式ホームページからの購入も可能となっている。 学園内外でも密かに注目されている部活だ。


雑誌部の現部長は三年の黒澤零。 零と書いてゼロと読む。 

後輩からはゼロ先やゼロ先輩の愛称で親しまれながらも、雑誌部部長としての手腕は一〜二年の撮影係だった頃から右に出る者は居なく、独創的なアイデアや行動力で三年間雑誌部を支えてきたキーパーソンだ。 

その実績から旧部長に太鼓判を押され、現部長に至る。


そんなゼロ先輩が数日前に目を付けたのは、元雑誌部のOBであり現在もゼロ先輩と交流があるという高橋蓮美。 蓮美と書いてハスミと読む。 雑誌部の皆からは敬意を込めてハス姐、ハスミ姐等と呼ばれている。


彼女の実家は美鈴田区にある神社で、そこの神主の一人娘らしい。

生まれながらにして霊感があるという事で、夏になると決まって雑誌企画の納涼心霊特集で心霊アドバイザーとして重宝されてきた。

OBとなった今もゼロ先輩の伝で協力してもらっている。

神社の神主の一人娘なら、こういう俗物的な活動を嫌厭しそうなイメージがあったが、ゼロ先輩曰くクールな雰囲気からは想像できないくらいミーハーらしく、表向き素気ない雰囲気を醸し出しているが内心は雑誌企画に乗り気だ。


――そんなハスミ姐さんからゼロ先輩へ連絡があったのが数日前。


街の中心に建つゲオルタワー周辺にこの街の浮遊霊が集結してきているらしく、それらがタワー最上階へ目指して昇ったり降りたりしているのだという。

ハスミ姐さんに言わせるとそれらは残留思念との事だが、どっちにしても何かそれにより悪い影響があるわけでもなく原因が分かるわけでもない。 

ハスミ姐さんとしてはどうする事もしないが、雑誌部の心霊特集のネタにはなるかと思いゼロ先輩にコンタクトを取った次第だ。

そこから今年の夏の企画が明瞭化されていき、タワー最上階へと続く展望ルームに行けば何か分かるのではという事でこうして登ってきたわけだが……。


「残留思念てね、電気みたいなものなのよ」

そう語り出したのはハスミ姐さん。

「人間の体には電気が流れてるのは知ってる? その電気って死んだ時にスパークして、死後に体外へと放出されるの。 死の間際のイメージや思いが強ければ強いほど、強い電気エネルギーとして放出されて、そのイメージが具現化されて残留思念として動き回ったりその場に固定される。 それが俗に言う幽霊や地縛霊の正体。 幽霊も生霊も、全ては私たちのイメージしたものが色濃い電気エネルギーとして形造られたものなのね」

ゼロ先輩はウンウンと頷きながら聞いている。 何度も聞かされてきたのだろう。 

ハスミ姐さんは僕に向かって語っているのだ。

「このゲオルタワーって、要は大きな電気の集合体みたいなものでしょ? だからその周辺に残留思念が引き寄せられて来るのは、ある意味合点がいく事だと思うの。 電気的な繋がりがあるのかもしれない。 通常は残留思念も電気エネルギーだから、やがて拡散して消えてしまう。 でもゲオルタワーという無尽蔵の電気の宝庫があれば、それは消えずに残り続ける……確かな事は言えないけど、そんな事もあるのかもしれない」

「なるほど。 では、なぜ展望ルームに来たらその残留思念が消えたんですか?」

「わからないけど、こうは考えられないかしら? 多くの電気エネルギーが集まる場所に残留思念が集中して押し寄せて、強すぎるエネルギーに掻き消されたか……もしくは別のエネルギーに変換されて吸収されたような事になったとか?」

「もし掻き消されたという前者の予想なら、ゲオルタワーは一種の残留思念の掃除役になっている? もしくは後者なら、その吸収して変換されたエネルギーはこの街へ再び電力として流れていき、人々の生活を支える一部となると……?」

「さすがリュウジ君、頭の回転早いわね。 そういう事になっているのかもしれない。 まあ、確かな事は何も分からないけどね」

褒められてちょっとだけ舞い上がってしまいそうになったが、無理矢理落ち着かせるように僕は先を続ける。


「じゃ、残留思念が集まってきた理由はズバリ何でしょう? 今回のような取材をするからには、よくあること……ではないと見受けられますが?」

「これも憶測にはなってしまうんだけど、ゲオルタワー自体に何らかの……例えばエネルギーが過集中しているとか……」

「過集中? 通常よりも電力が多く蓄積されているということですか?」

「そうね。 異常といえば異常。 私も生まれてから二十年間この街で暮らしてるけど、こんな現象は初めて体験するもの。 もし異常があるとするなら、このゲオルタワーに他ならない」

「もしくはこの展望ルームだけそういう残留思念や電気エネルギーすら遮断する材質で造られた空間……とかネ?」

ゼロ先輩が割り込んでくる。


「ふむ……色々と仮説は思い浮かぶけど、確かな証拠は何もないねエ……」

顎に手を当てて「うーん」と唸るゼロ先輩の背後に、見知った顔の集団が現れる。

「あれ? お前たちここで何してんの?」

その集団の一人がゼロ先輩に声を掛けてきた。 ゼロ先輩は振り返ると、目を細めて嫌悪感を露わにする。

「あん? なんだ君たちかあ」

「ご挨拶だな……こっちから声を掛けてやったのに」

「別に声掛けてって頼んでないし、タクヤくん?」


声を掛けてきたのは同じ高校の三年、新聞部の部長である佐竹拓也。

彼の後ろには五人の新聞部の部員たちがこちらを睨み付けている。 

相変わらず威圧感たっぷりの連中だ。


新聞部は雑誌部と対立する関係にある。 硬派に日々のニュース記事を作成する彼らにとって、俗物的に読者を獲得し続け知名度を上げている雑誌部は面白くないのだろう。


「ま、どうでもいいけどな。 ハスミさんが居るのを見ると、どうせ今回も夏の心霊特集なんだろ?」

「あら嬉しい! 私たちの雑誌の一読者というわけネ!」

「ばか、情報収集のためだ。 お前らの記事と俺たちの記事が万が一にも被らないためのな?」

「へえ? じゃあ君たちは何を取材してるのかナ? まさかゲオルタワーで社会科見学でもあるまいに?」

「なんでもゲオルタワーが数日前から不調続きらしくてな。 展望ルームやエントランスに電力が十分に供給されずに停電した事もあるらしいし、タワー上部のライトが不規則に点滅したりして作業スタッフが頭を悩ませてるって話だ。 さっきの時報のズレも何らかの不調の結果と考えられる」

「部長! こいつらにそんな情報与えてやる必要なんてありませんよ!」

後ろに居た新聞部の部員が佐竹に注意する。

「構うもんか。 どうせこの手の話題は雑誌部とは無縁だ。 そうだよな?」

「うん、つまらない情報」

ゼロ先輩は言いながら僕の方に顔を向けてくると、不敵な笑みを浮かべた。


その後は特に取材に進展が無く、写真を数枚撮って僕たちはゲオルタワーを降りた。

「ソースは私たちの高校の生徒。 親がゲオルタワーで技術者をしているらしくて、その生徒経由からの情報らしい。 タクヤくんもガードが甘いねエ! クックック!」

ゼロ先輩は歩きながら嬉しそうに言った。

「その情報、どう使うんですか?」

「決まってんじゃん? ゲオルタワーの不調と残留思念の関連性。 因果はハッキリした! あとはなぜゲオルタワーが不調なのかの原因究明をしないとネ」

「なるほど! ゲオルタワーが原因なのか、それともお化けが原因でゲオルタワーに不調が起きているのか、多角的な視点から記事が作れますね」

「そう! そうなのよ! 停電とかライトの点滅とか明らかにポルターガイスト現象! オカルトに絡める事は全然できる! ネ? ハス姐どう?」

「確かに、関係性は十分考えられるわ。 本来ポルターガイストも私たちのイメージと残留思念が干渉しあった結果発生するものだからね。 強い念の力が物を破壊したり物理的な影響を受ける事はよく知られている」

「というと?」

「もしポルターガイストが原因でゲオルタワーに不調が起きているのなら、何か強い念が作用している事になる。 残留思念たちが何か警告、あるいは誰かに何かを伝えたくてそういう現象を起こしているとも取れるわね」

強い警告や伝えたい事……。 それはなんだろう?

「ま! その原因は究明できなかったとしても十分記事になる。 何せオカルトはタネが解っちゃったら面白くないし、ネ?」

ゼロ先輩がカメラのディスプレイで今日撮った写真データを眺めながら言った。 確かにそれも一理ある。


「でも何となーく気になるから、ちょっとその技術者の子供……ええと私たちの高校の生徒だっけ? 見つけ出してその後の話を聞いても良いかもね? 原因はなんだったのか」

「わかりました。 明日、情報通に依頼しておきましょう」

「情報通? ほうほう……」


【翌日同時刻】


僕とゼロ先輩は都内の私立図書館に来ていた。

入口を見ると『臨時閉館中』という張り紙が貼られている。


「ナナミー! 居るかー!」

ゼロ先輩は大声で図書館の二階の窓に向かって叫んだ。

……誰も出てこない。

ゼロ先輩は道端に落ちている小石を広い、二階の窓に向かって――。

「石はやめてください石は!」

窓が勢いよく開いて、褐色肌の女の子がゼロ先輩に叫ぶ。


「お? なーんだ居るじゃン」

「居るじゃん? じゃないっスよ!? 誰も居なくても窓に石を投げないでください! 窓に傷がつくっス!」

「はいはいナナミ!」

芹澤七海、七海と書いてナナミと読む。


ナナミさんは僕と同じ二年の雑誌部の部員だ。 

雑誌部では主に記事の校正、校閲を担当している。 その他にもプログラミングの知識があるため、雑誌部の公式HPの運用などもしてもらっている。


彼女の実家は何を隠そうココ、美鈴田区唯一の私立図書館。

市立ではなく私立。 個人の運営する図書館という事で、図書館という名前が付いているが中は図書だけではなくネットカフェのようなスペースもあり、エンタメ性が強い。 

中にはゲオルタワーのライブラリスペースもあるため、観光客にもそこそこ人気のある図書館として有名だ。


「ちょっとお願いがあるんだけどー! 中に入れてくれないかナー!」

「いいですよー! 待っててください」

ナナミさんはそう言うと下へ降りてきて裏口の方から僕たちを中に入れてくれた。


「図書館どうしたの? 臨時閉館中って書いてあったけど?」

中に案内されながらゼロ先輩はナナミさんに聞く。

「父さんが出張中で、私一人きりなんスよ。 だからその間閉館中っス」

ナナミさんは「どうぞ」と言って僕たちを広間の読書スペースに案内してくれた。

「ドリンクサーバーは今止めてて、麦茶しか無いっすけど飲むっスか?」

「気遣いはいいヨ。 それより頼みたい事があるんだけど!」

ナナミさんはそう言われて「わかりました、ちょっと待っててください」と言って僕たちを椅子に座らせると奥の方へと姿を消した。


「ちょっと暑いねエ……」

ゼロ先輩はボソリと僕に呟くと、いつも首に掛けているテンガロンハットをうちわのように扇ぐ。 休館中だから仕方ない。 冷房も切っていたのだろう。


「ナナミさんの図書館初めて来ましたけど、僕の想像していた所よりユニークですね」

「ユニーク? それ褒め言葉かナ?」

言われてからちょっと際どいワードだと気付いたが、もちろん褒め言葉だ。 

図書館と聞くと中は分厚いページの本や小難しい参考書等がビッシリと詰め込まれた棚が高層ビルのように立ち並んでいると思っていたが、この図書館はそんな圧を感じないフラットでライトな雰囲気で過ごしやすそうな印象を受ける。


「今世紀初頭に世界の書籍の全デジタルデータベース化が完了してから、過去の書物は探す物ではなくデバイスで検索してすぐにディスプレイで読めるものに変わっていったからネ。 むしろ市立図書館でもそんな本棚の山は少ないんじゃないかナ?」

ふむ。 古本屋以外の本屋が絶滅してから半世紀。 紙媒体を見る事も少なくなった昨今、図書館自体も色々と様変わりしているわけだ。


「しかし、確かに暑いですね……」

僕は額から伝う汗を拭うと、椅子の背もたれに深々と背中を付けた。 

どこを見るでもなく周りの景色を目に捉えていると、比較的新しい本が置かれている本棚の一角に、何か黒いモヤのようなものが見える。


「ん?」


人かな? そう思って一旦目を擦ってから見てみる。 

しかし特に人影はなく、モヤももう見えなくなっていた。

疲れ目かな? ちょっと釈然としない体験だった。


「はいゼロ先。 リュウジさんもどうぞ」

ナナミさんは戻ってくると、座っている僕たちの目の前の机に茶色い液体と氷が入ったグラスを置いてくれた。 麦茶だ。

「気ぃ使わなくて良いのに〜。 でもアリガト!」

窓から差す夕陽の色が投影され、まるで琥珀色になったグラスを手にする。

「ありがとうナナミさん。 いただきます」

お礼を言ってからゴクっと一杯飲む。 外の熱気で汗をかいた体に麦茶が染み渡る。

「暑いっすスね。 今冷房入れたんで、じきに涼しくなると思います。 ふう……」

ナナミさんは言いながら気怠そうに僕たちの向かいの椅子に座る。 若干いつものボーイッシュなショートヘアが乱れている所を見ると、どうやら寝起きらしい。


「で、話って何スか? ゼロ先」

ゼロ先輩は昨日のゲオルタワーでの一件を一通り話した。 

ナナミさんは静かにゼロ先輩の話に耳を傾けていた。


「――でネ、その技術者の子供ってウチの高校の生徒らしいんだけど、それが誰なのか調べてほしいんだよネ」

「ああ、それなら知ってますよ」

「ホント!? もしかして友達だったりする?」

「はい。 二年の同級生の津田絵里っス。 彼女の実家は湾の近くで、今の時間なら家に居るんじゃないっスかね? あの子部活もやってないから」

「さっすが情報通! 頼りになるネ!」

「情報通じゃないっスよ。 たまたま知ってただけっス」


ナナミさんは新聞部の元部員だったらしい。 

一年の時、ネタ探しのためにコキ使われて嫌になって退部し、元々活字が好きだった彼女は雑誌部に目をつけて入部してきた。 

情報通という通り名が付いたのは元新聞部だったというただそれだけの理由だ。

昨日みたいな取材現場にはあまり来ないで普段は部室で校正や校閲、無ければ家に帰り本を読むことが彼女のルーティンだ。 

役柄上現場では必ずしも彼女の力を必要としない場面もあるので、基本的には主な外での活動では昨日みたいに僕とゼロ先輩だけで行く事が多い。


「よし、さっそく彼女の実家に突撃取材ダ!」

「えっ!」

僕は壁に掛けられた時計を見る。 丁度時刻は午後六時。 今行くのはさすがに非常識ではないだろうか?

「何を言っているんだいリュウジ君! 情報戦で勝ちが決まるのは如何に質の良い情報を早く手に入れられるかにある! もたもたしてたら勝利は逃げていってしまうヨ!」

「いや、でも今十八時ですしさすがに迷惑になりますって。 晩御飯時に――」

「Shut up!」


気づけば、僕たちは津田絵里の家の前に立っていた。

「はあ……」

「何ため息付いてるノ? は!? さては新たな情報を目の前にして心がザワザワ血湧き肉躍るってカンジ?」

「もうそれで良いです……」


僕は玄関先の塀に付けられた表札を見る。 表札には『津田』と書かれていた。

ゼロ先輩が急かして来るので、僕は表札の下に付けられたインターホンの呼び鈴ボタンを押してみた。


しばらく待ってみたが、反応はない。

「留守?」

その時気付いたが、家の前の門が僅かに開いている。 ゼロ先輩はその門をギギギっと開けると、中に入っていった。

「ちょっ! ゼロ先輩まずいですって! 不法侵入!」

「リュウジ君見て」

うろたえる僕に冷静なゼロ先輩は庭先にある玄関の扉を指差す。

「?」

玄関の扉は門と同じく、少しだけ半開きになっていた。


田舎の夏は家の扉という扉を開け放ち、外気の風で涼を取る。 不用心。 今でこそ田舎でもそんな不用心なことはしないだろうけど、まして都会でそんな家があるなんて。

インターホンを鳴らしても誰も出なかったし、留守なら尚更不用心だ。


「ごめんくださーい!」

ゼロ先輩は大声で家人を呼ぶが、一向に出てくる気配が無い。

「誰も居ないんですかね?」

「どうかな……リュウジ君、ちょっと覗いてみてよ」

「僕がですか!?」

「他に誰が居るの? ホラホラ! 大丈夫! 君ならできる!」

僕は渋々半開きになった玄関の扉に近付き、「ごめんくださーい」と声を掛ける。 

……やはり返事が無い。 意を決して扉のノブに手を掛け、玄関を覗く。


「誰か居ますか――」

――!? 心臓が止まる。


僕が玄関を覗くと、そこには中年の女性が居た。 

丁度その人は玄関からドアノブに手を掛け、中から外を覗くような体勢で驚いた表情をしながら僕のことを見ている。


「ごご、ごめんなさい! 扉が開いていたもので……!」

しどろもどろになりながらこの状況を取り繕うように弁明する。 

なんだ、ちょうど出て来る所だったんだ。 もう少し外で待っていればと後悔した。


「あ、あの……」

……おかしい。 

相手の返答を待つが、一向に話しかけてくる様子が無い。 そして何よりその驚愕したような表情は一切変わらず、ただじっと僕を見つめているだけだった。

「……」


しばらく僕と女性の間で沈黙があって、ゼロ先輩が後ろから肩を叩いてきて我に帰る。

「どうしたの? リュウジ君」

「……あ、あの――」

女性は一切動じずに固まっている。 そして僕も女性を見つめて固まる。


「う、うわあ!?」


何故かはわからない。 でもその表情に吸い込まれそうになり、言い知れぬ恐怖が込み上げてきた僕は後退りして扉から勢いよく離れた。

「ちょっとどうしたのリュウジ君!」

驚いた僕を見てゼロ先輩は代わりに扉から中を覗く。

「すみません……」

ゼロ先輩はそう言ってふたことみこと玄関の女性に尋ねるが、返答は無い。


「何これ……」

ゼロ先輩はそうひとこと言ってその人に話しかけるのを止めると、手を玄関の中に入れてその人の顔を触る。

「ゼロ先輩、その人……どうしちゃったんでしょうか?」

ゼロ先輩は一通り触り終えると、僕の方を見て言った。

「リュウジ君、ちょっとこの人に触ってみて」

「へ?」

いきなり何を言い出すのか。

「いいから、触ってみて!」

ただならぬ緊張感を持ったゼロ先輩に圧され、僕は渋々女性の顔に触れてみた。

「これは……」


なんと表現すれば良いのかわからない。 ただ確実なのは、顔を触っているはずなのに手にその顔の感触が伝わってこないのだ。


「何だこれ……何だこれ……!?」

こんなにベタベタと触っているのに、強弱をつけて触っても全く感触が手に伝わってこないのだ! まるで空気を触っているかのように、しかしそこには確かに実体がある。 

これは一体どういうことだ……!?


「ねえリュウジ君、扉……開く?」

僕はゼロ先輩の言う通り、ドアノブに手をかけて扉を開けようとしたが開かない。

扉はビクともしない。 どんなに強く引いても、押しても、開かない。


その理由は大体わかる。 

女性がドアノブに手を掛けているからだ。 

さっき触ってわかった事だが、どんなに強く触っても顔や体がそこに岩のように固定されて動かない。

ということは、この女性がドアノブを握っているという事であって、扉がビクともしないのは当然……。


「只事じゃないのは確かだね……他に入れる場所は無いかな?」

ゼロ先輩はそう言うと家の中庭の方へと向かう。

「ゼロ先輩!? ちょっと待ってください!」

僕も逃げるように扉から離れてゼロ先輩を追う。


中庭へ行くと縁側があり、そこから家の中に入れる窓があった。 

ゼロ先輩はその窓へ指を指して言う。

「窓、開いてるね」

窓を見ると確かに開け放たれており……中は居間だろうか、テレビの音が聴こえる。

僕たちは窓に近付いて中を覗く。 


……居た。 男の人が座ってこちらを驚愕の表情で見ていた。


「す、すみません!」

僕は咄嗟に謝る。

「あの、呼んでも出なかったもので――」

ゼロ先輩は僕の謝罪を静止する。

「玄関の人と、同じじゃない?」

僕は改めてその男の人を見た。 その人は体勢も表情も変えず僕たちを見ていた。 

瞬きすらせずに。 まるで石になってしまったかのように……。


「お邪魔します」

ゼロ先輩は靴を脱いで縁側を登って窓から家の中へと侵入していく。

「あ、待ってくださいゼロ先輩! 中はさすがに――」

「そんな事言っていられないでしょ」


ゼロ先輩は男の人にまたベタベタと触る。

「やっぱこの人もさっきの女の人と同じ……」

そう言うと、家のさらに奥へと入っていく。

「ま、待ってくださいゼロ先輩! 僕も行きますんで! ……お邪魔しまーす!」

僕も靴を脱いで家の中に入る。 

男の人を横切り、ゼロ先輩の後へと付いていく。


台所、寝室、お風呂、トイレを見るが他には誰も居ない。 

残るは二階だ。 ゼロ先輩は躊躇せず二階へ続く階段を上がっていく。 

僕も慌てて追いかける。


二階には廊下があり、部屋の扉が三つあった。 ゼロ先輩は手当たり次第に開け、中を確認しては閉め、残り一つの扉をガチャリと開ける。

しばしの静寂があり、ゼロ先輩は僕に中を見るように顔をくいっと振った。

恐る恐るゼロ先輩の開け放った扉から中を覗き込んだ。

「……」

中には女の子が居て、その子もまた驚いたような表情でこちらを見ていた。


「お邪魔します」

ゼロ先輩はズカズカと中に入っていき室内を見渡す。 しかし神経図太いなこの人。


「この子が津田絵里で間違いないみたい。 壁にウチの高校の制服が掛けてある」

僕も静かに室内に入る。 

津田絵里であろうその子は手にゲーム機のコントローラを持って座っていた。 テレビの画面にはキャラクターが棒立ちしており、主に操作されるのをじっと待っている。


《――Should auld acquaintance be forgot, and never brought to mind Should auld acquaintance be forgot, and days of auld lang syne〜》


街の方から十七時の時報の音楽が流れる。 僕は時計を見た。

時計は十八時を差していた。



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