勇者の視点
「ばいばい勇者様。またね」
僕を見送ってくれた魔王の娘……ヒメちゃんは、とても名残惜しそうだった。
そんな表情をされるとまいってしまう。後ろ髪を引かれてしまう。
僕は勇者で、彼女は魔王の娘。本来であれば殺し殺し合うような関係こそが健全なんだろうけれど、僕たちはこうして敵対することもなく今日も楽しくお茶してお話してこうして帰路についている。
宿敵である魔王の根城で厚いおもてなしを受けて、挙句に手土産までいただいてしまった。非常に申し訳ない。
「それにしても、またね、かぁ」
相手に敵意があれば、こっちだってそれに応えるだけだというのに。あからさまな好意にはどうしたらいいかわからない。
勇者としてここまで命がけで駆け抜けてきたせいか敵意よりも好意のほうが得たいが知れなくてある意味恐ろしい。
もしもヒメちゃんの好意が演技で僕を害することが最終目的だったとしたらそっちのほうが得心がいくのだが、ここまで何度かわざと隙を作ってそこをついてくれるか観察してきたのだけどそんな素振りはカケラも見つからなかった。
本当に微細な隙を見せてみたり、わざとらしすぎたかもしれないような盛大な隙もあえて見せたことがある。でも彼女はそこを突いてくることはなかった。
むしろ彼女はあまり生き方が器用なほうではないらしく、よく転んでいた。なにもないところで転ぶのは割と日常茶飯事でひどい時には自分の脚にひっかかって転ぶなんて神業すら披露されたことがある。
あと僕がわざと盛大に隙を見せるために、一度聖剣を持たせてみたことがあった。
彼女が聖剣がカッコいいと言うので、持ってみるかい? と冗談で言ってみたところ、意外とノリノリだったのだ。
結果としては、聖剣は彼女には重すぎたらしく、うぐぐ、と唸りながらなんとか構えた所で限界が来たらしく、べしゃりと地面に崩れて落ちてしまった。ちなみにその時の困った表情と恥ずかしがってひたいの角の根元をかく仕草はとてもかわいらしかった。
これでは武器を使って戦うなんてとても無理だ。
きっと彼女は魔王にとても大切に育てられたに違いない。
そんな娘が僕に好意を抱いてくれている。最初は戸惑いしかなかったけれど、今は正直悪い気はしない。
どころか魔王城へ向かうのを若干楽しみにしている自分がいる。
戦いに明け暮れた僕にも異性との逢瀬に心躍ったりするのかと困惑がある。
ヒメちゃんの動作がすべて可愛らしく映る。きっとこれが恋というものなのだろう。
「ははは、辛いなぁ」
僕が勇者じゃなかったら、ヒメちゃんが魔王の娘じゃなかったら。
意味がないのはわかっていても、そんな「あり得ない」「もしも」を夢想してしまう。
意味がないのに、そんなことはやめろ。とずっと自分に言い聞かせているのに。気が付けばそれを考えてしまっている。
本当にどうしようもない。
「進行度は四割と言ったところか」
そんな明らかな恋慕を抱えたまま勇者を遂行する自分はどうしようもない。
僕は先代勇者と魔王の戦いを見た事がある。
あまりにも巨大な魔法や最高峰の剣術をすべて雑にぶつけ合う。これこそ戦闘の極致だと理解させられる戦い。
そんな死力を尽くしても、先代勇者は敗けた。惜敗だったかもしれない。けれども逆転はあり得ない実力差だった。
言わば先代勇者の負けは必然だった。
今度アレと戦うのは自分の役目だ。果たしてどれだけ研鑽を重ねればあの領域にたどり着けるというのだろう。
一回の人生では足りない。では何回分を投げ捨てれば勝てる? 見当もつかない。
半ば自暴自棄になり魔王城へ突入した僕を出迎えたのは魔王の娘で、彼女は戦う気がないと言う。さらには好意を抱いてくれて、僕に魔王城を案内してくれた。
これならいけるかもしれない、と思った。
最少極大聖魔法陣。ヒトの魔力を高め、魔族の魔力を抑制する極大魔法。一度発動すれば魔王すら弱体化は免れない。
ただこの極大魔法は発動に膨大な準備と時間がかかるのだ。
幸い聖魔法陣に使用する魔力は魔族には探知されないものだから、タネを仕込んでいる現場さえ押さえられない限り感知される可能性は低いだろう。
つまり僕は、魔王に勝つための小細工を弄するために、僕に好意を持ってくれている娘を利用している。
最低なのはわかっている。正道たれという勇者の肩書から逸脱した行為だというのもわかっている。
ただこれ以外に魔王を倒せる手段がまったく思いつかない。半端な小細工などすべてひっくり返される圧倒的な実力差。それをひっくり返せる唯一のトンデモ。
僕はそれに全てを賭けることにしたのだ。
もしも仮にこれが成功したら、彼女はどんな表情をするだろうか?
自分に対する好意を利用したのだと、僕を罵るだろうか?
魔族として殉じて僕と敵対するだろうか?
ヒメちゃんを裏切っているのだ。どう見積もっても良い未来は浮かばない。
準備にかかる期間はうまくいったとしてもあと半年はかかる。そしてそこまでもやってもこの聖魔法陣の成功率は五割といったところだ。
いくら魔王に感知できない魔力だとは言っても、相手はなにせ人外の王だ、どんな裏ワザがあるかもわからない。油断は絶対にできない。
でも勝率が五割だとしても僕はもうそれに賭けるしかない。
仮にこれが成功したとして、彼女が僕に向ける表情を思うと止まってしまいそうだ。それほどに彼女は僕の心に入り込んでいる。
でも僕を送り出してくれた家族。僕の為に命を投げ捨ててここまでの道を作ってくれた仲間たち。僕に力を与える為に命を賭して祈りをささげてくれた神官たち。
それらを裏切ることはできない。
「さて、どうなるかなぁ、はぁ」
もう自身では止まれない僕は投げやりなため息をつくくらいしか現状にできる反抗が残されていなかった。