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6.

 あの盛大な暴露大会以降、私の店長に対する緊張はすっかりほぐれてしまった。


 仕事に厳しいのは相変わらずだけどそれは当たり前のことだし、ときどききつい言い方をするのも5割ほど差し引いて受け取れるようになっている。つまり、順調に仕事ができている、ということ。


 あいかわらず忙しいけれど、おかげで余計なことを考える暇はない。朝起きて大学に行って、講義が終わったらそのままバイト。家に帰ってくる頃はくたくたで(でも少しずつ余裕はでてきているけれど)、なのに大学の課題はこなさなきゃいけない。そんな毎日。


 私はあき兄と言い合いしたことを棚上げにしている。お互い忙しくて顔を合わす暇もなく、わざわざ電話やメールで連絡を取って話すのもためらわれたからだ。だって、あき兄は私の彼氏じゃないし、私が腹を立てた理由を説明するのも変な気がしたんだもん。


 第一、腹を立てた理由も今となってはなんとなく曖昧だ。


 お世話になっている店長を、会ったこともないあき兄が悪く言うのに腹が立ったのは確かだ。でも、あそこまで怒りを感じたのがどうしてなのか、そこが自分でも理解できないままでいる。

 それを考えることを放棄して私は勉強にバイトに集中する毎日を送っている。


 そんなある日のことだった。


「久保川さん、今帰りか」


 バイトが終わって店を出たところで声をかけられた。


「あ、店長おかえりなさい。お先に失礼します」


 そこにいたのは店長だ。この日は店長は本社での会議に出かけていて留守だった。会議が終わって戻ってきたのかな? それにしてももう9時半過ぎてるんだから直帰しちゃえばいいのに、仕事に手が抜けない店長らしいと内心笑ってしまった。


「今日はいつもより上がりが遅いな。何かあったのか」

「はい、明日皆川さんから報告があると思いますけど、ちょっと難しいお客様が見えて」


 クレーマーとかじゃないんだけど、やたらと注文が多くてなかなか決まらないお客様で。皆川さんが鮮やかに捌いていらっしゃいましたが、閉店少し前に来店されたので私も遅くなったのです。


「そうか、駅まで送っていこう」

「えっ」


 突然店長が言い出したのに驚く。


「どうしたんですか急に」

「いやほら、遅くなったしな。ほら行くぞ」


 ロージィ・ルームに向かっていた足をくるりと反転させ、視線で私についてくるように促す店長は相変わらずの無表情だけど、怖くはない。私は素直に店長について歩き始めた。


「――ところで、この間の話だが」


 少し歩いたところでぽつりと店長が言った。


「この間?」

「ほら、妹の――」

「ああ! あれから妹さんに会えました?」


 どうなってたか気になってたんだよね。ドレスはやめたんだろうけど、実家に招待(って変か)できたのかな? 店長、ずっと通常運行だったからわからなかった。

 すると店長はこくりと首を縦に振った。


「父が妹と婚約者を夕食に呼んでな。そのとき同席した」

「へえ、よかったですね! 彼氏さんも来たんだ」

「ああ、どうやら式の日取りが決まったらしい」

「お式! すごい! おめでとうございます!」

「ああ、ありがとう」


 話がとんとん拍子に進んだんだなあ。店長に視線を向けると、どこか目元が柔らかくなっている気がする。


「で? どうでした?」

「どうでした、とは」

「仲直りできましたか? そこ肝心ですよ?」

「――少なくとも、酷い言葉は吐いていない」


 店長、ちょっと顔を背ける。やだ、何だか――かわいい?


「会話できたんですか」

「ちょっとだけ」

「結婚のお祝いは? ちゃんと言いました?」

「それくらいは、ああ、言ったよ」

「よかった」


 店長の話だと、妹さんはお祝いを言われてちょっと目を丸くしていたらしい。店長の気持ち、少しずつでもいいから伝わるといいな。


「わかってくれるといいですね、店長が妹さんのこと実は大事に思ってるって」


 言いながら歩いてふと気がつくと、店長が私より数メートル後ろで立ち止まっていた。


「店長?」

「――君は不思議だな」

「へ?」

「だって俺よりも俺のことを理解しているみたいだ」

「そんなことないですよぉ」

「いや、君の言うとおりだ。俺はあいつのことを大事に思っている、そういうことなんだな」

「そこからですか」


 思わず苦笑が漏れた。なんて不器用な人なんだろう。きっと一生懸命すぎて脇見ができないタイプなんだろうな。


「店長も不思議ですね。最初は怖い人かと思ってたけど、そうじゃないんだもん」

「怖かったか?」

「ちょっとだけ。すみません」

「謝ることはない。君だけじゃないからな、俺を怖がるのは」


 店長が数歩歩いて私の横に並ぶ。


「だが、過去形なんだな」


 言葉とともにぽん、と頭に暖かな重みが乗っかる。頭を撫でられてる、と気がついた頃にはその重みはすっと消えて、ちょっとだけ残念な気持ちが心に残った。


「ありがとう」


 小さく囁かれた言葉はでも私の耳にはしっかり届いていて、そのまま胸の奥へとふんわり収まる。怖かったはずの人は、私の中ですっかり居心地の良いポジションを見つけてしまったようだ。


 駅までほんの5分ほど、大勢の人が行き交った名残を残したショッピングモールの、夜も働き続けるショーウインドーの前を二人で歩く。まだまだ人通りの多い駅前はにぎやかできらびやかで、でも昼間とはまったく違う顔。


 店長をふと見上げる。私より頭ひとつ分背の高い店長は相変わらず無表情だけど、仕事中の緊張感は見当たらない。店長も、仕事中とは違う顔、だ。

 ふふふ。


「てんちょ――」

「瑠璃!」


 声をかけようとしたとき、突然声がして名前を呼ばれた。

 声がしたのは駅の入り口、視線の先にいたのは――


「あ、あき兄?」


 なぜか怖い顔をしたあき兄だった。

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