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16.

本日は2話同時投稿しております。こちらは1話目です。

 気まずい。絶賛気まずい。

 私は車の助手席に乗せられています。隣には非常に重苦しい空気を纏った店長。とてもじゃないけど話しかけられると思えない。びくびく。

 だいぶ日が短くなったこの季節、すっかり外は真っ暗。対向車のライトが時折店長を照らす。

 ――怒ってるのか何なのか、とにかく触ると噛みつかれそうだ。

 そうなっては嫌なのでひたすら黙って流れる風景を見ていた。見ていたんだけど。


「あれ?」

「何だ」

「あ、あの、道が違いません?」

「違わない」

「は、はひ」


 取り付く島もない。

 やがてたどり着いたのは店ではなく、どこかのビルだ。大きなビル。その地下駐車場に迷わず車を停めて、促されるままに中に入る。誰にも会わないままエレベーターで8階へ。廊下の途中にあるドアの前に立ち止まる。


「入れ」

「どこですか、ここ」

「俺の執務室だ」

「執務室?」


 中は広々とした部屋で、しっかりとしたデスクやストレージユニットが据え付けられている。けれど店長はそのデスクではなく、デスクの隣にある別の扉へと向った。

 扉の向こうは小部屋になっていて、お店にあるような大きな鏡、メイクの練習用のマネキン、それに何段かの引き出しがついたワゴンなんかがある。


「ここって」

「ああ、俺専用の勉強部屋だ。今は店があるからここはそれほど使っていないが――座れ」

「は、はい」


 言われるがままに鏡の前の椅子に座る。首元にふわりとケープをかけられて、髪が邪魔にならないようにピンで止められる。


「あの、店長?」

「何だ」

「メイク――するんですか?」

「ああ。だがその前に質問に答えろ」


 椅子の後ろに立った店長が、背もたれに両腕をついて鏡越しに私の顔を覗き込む。


「さっきのはどういう意味だ」

「さ、さっきってどれのことですか」

「俺が君を嫌っているなんて、どうしてそう考えた」


 そんなこと言ったっけ? 自分の発言を思い返してみて、やっと思い当たったのは「知ってて近づくような女、店長は嫌いじゃないですか」って夏世さんに言ったやつだ。


「違います。将来的に店長が私のことを嫌いになるかも、ってことです」

「何でだ」

「それは――秘密です」

「夏世には話せるのに俺には話せないのか?」


 うわ怒ってる――そう思って逸らしていた視線を店長の顔に向けると。

 鏡越しの店長は、怒っているというより悔しそうだ。悔しそう――いや、寂しそう?


「店長……?」

「何でもない」


 ぷいっと横を向いてしまった店長の目尻が少しだけ赤い。

 やだ、どうしよう。年上の男の人なのに可愛いとか思ってしまう。凝視していたら店長がちらりと視線だけをこちらに向けて、それからにやりと悪い顔で笑った。


「ふうん? さっきは告白するのしないのって聞こえたけど、俺の空耳か」

「聞こえてたんじゃないですかーー!」

「いいか、久保川さん」


 ずいっと背後から顔が寄せられる。


「俺が嫌いなのは、俺の地位を知ってすり寄ってくる寄生虫のことだ。久保川さんはそうなのか? 違うだろう」

「違い……ますけど」

「違うよなあ? 君はむしろ、俺の正体を知ってからずっと俺を避けてきたもんな?」


 どんどん顔が熱くなってくる。理解が及んでくると恥ずかしくなってきてしまった。

 ええと、つまり、私が店長に告白するかしないか、って話を聞かれてたってことで、つまりそれは私の気持ちをその場で聞かれてしまっていたということで――


「う、うあああああ!」

「ど、どうした」

「やばいです店長、私恥ずか死ねます! 聞いてるじゃないですか、私の気持ち! なのに意地悪です!!」

「ふむ、夏世に言わせると俺は口が悪いらしいからな。自覚はあるが」

「じゃ、じゃあ、完膚なきまでに振っちゃってくださいよ! もう望みがないくらいまで!」

「なんだ、それが望みか――まあ、ひとまずはせっかくここに来たんだ。メイクしてやるからおとなしくしてろ」


 あまりの脈略のなさにぽかんとする。


「え、返事は?」

「俺は意地が悪いそうだからな、意地悪を発動するまでだ」


 そう言いながら店長の手が優しく私の頬に伸びてくる。

 今しているメイクを拭き取り、きちんと保湿から。

 基本のベースメイクをして、シャドウを入れたりハイライトを入れたり。

 眉もきちんとカットして形を整え、パウダーや眉マスカラを駆使してふんわり上品な眉を作っていく。

 ベースメイクの後は眉を先に書くと目元を盛り過ぎなくて済むからいいぞ、って教えてくれたのは店長だ。だから次はアイメイク。

 そうやってゆっくりと時間が流れていく。お店と違ってBGMもないし、他に人の気配もしない。私と店長の二人きり。

 店長がいつもの怖そうな雰囲気とはかけ離れた優しい手つきで私の顔に手を入れている。そういえばあき兄が「あいつに顔を触らせてるのか」って言ってたことがあったけど、確かに頬に、首筋に、口元に店長の指が触れていくのがわかる。これは確かにちょっと――勘違いしちゃいそうだ。すごく大切にされてるって。


「久保川さん、君には悪いが夏世と君とでは違いすぎる。あいつのしていたメイクを真似してもそれなりにしか綺麗にはなれないだろう」

「う、そうですね、素材が違いすぎますもんね」

「そうだ。肌の色も骨格も何もかも違う。最初に話したが、人にはその人に合う色があるし、合うメイクがある」


 私の言葉を肯定したけれど、意味が違っていた。私は夏世さんみたいな美女とは比較にならない平凡な顔だという意味だったけど、店長はあくまで個性が違う、と言いたいらしい。それがちょっと嬉しくてくすぐったい。


「ずっと考えていた。どういうメイクが君を一番引き立たせるのか。本人の希望も入れつつ、というところで色々考えていたのだが」

「あ、それもういいです。私が夏世さんのメイクにこだわってたの、何だかもうどうでもよくなっちゃったんです。勝手ですみません」


 すると店長の手がふと止まり、すぐにまた動き始めた。


「いや、いい。こだわりがなくなったということは、彰人くんとは――」

「あき兄はやっぱり幼馴染のお兄さんだってはっきり伝えたんです」

「――そうか」


 そうしてそれなりに時間をかけてメイクの手が止まった。


「どうだ」

「――!」


 鏡の中にいる私はまるで別人だ。ふんわりと柔らかな目元、瑞々しい色合いのチーク。少し大人っぽいけれど、初々しさと可愛さを全面に押し出したようなメイク。夏世さんみたいな大人の女、って雰囲気ではないけれど、可愛い大人の女性、って感じ?

 ただ、リップだけはまだ塗られていない。


「君に一番似合うメイクをずっと考えていた。君の希望通りではないかもしれないが、君にはこっちのほうが断然似合う」

「可愛い――」

「だろう? この俺が持てる全てのテクニックを駆使したんだ、自信作だな」

「さすがです。冴えないお子ちゃまをこんなに素敵に」

「何を言っている。元が可愛いからこれだけメイクが映えるんだろうが」

「え、かわ――っ」


 かわいい? 店長にかわいいって言われた! 


「ほら、こっちを向け」


 可愛いという言葉にパニックしているうちに顎に指をかけられてくいっと上を向かされた。え、顎クイまで――? そろそろキャパを超えそうですが、私。


「明るく元気で、一途で馬鹿正直。人から怖がられている俺を師匠と呼び、どんどん距離を詰めてくる。とても新鮮だった」

「そんな、動物園の珍しい動物みたいに」

「いいから聞け。最初はまあ、泣かせてしまった詫びだと思ってメイクを教え始めたが、それが彰人くんのためだというのが気に食わなくなってきてな」

「へ?」

「だから彰人くんの好みのメイク、ではなく俺好みのメイクで君を綺麗にしたくなった」


 ぽかんと店長を見ていると、ふっと店長が笑った。見たことないくらい、甘い笑顔だ。


「大人げないと思ったが、こればかりは絶対に彰人くんに譲るわけにはいかない。恋とはそういうものなのだろう?」


 どういう意味? 私を譲れない、って、そういうものだって――恋? え、恋?

 遠回しな言葉の意味が染みわたる前に、耳元に決定的な言葉をささやかれる。


「君が好きだ」


 私はぽろりと涙を落してしまった。


「こら、メイクが落ちる」


 苦笑いしながら目元をそっと押さえてくれて、もう一度修正。一歩離れて出来を確認して「よし」って頷いている。


「――で? 返事は?」


 通常進行の店長がちょっと恨めしい。あれだけぐらぐら揺れまくったのに。私の答えなんて知ってるくせに。くそう。


「わかってるくせに最後まで意地悪です、店長」

「俺ははっきり伝えた。ちゃんと君の言葉が欲しい」

「う……」

「言って、瑠璃」

「す……す……」


 わかってた。最初から私が店長に勝てるわけがないってことくらい。でも最後に抵抗くらいはさせてほしい。


「て、店長、このメイク、どうしてリップ塗ってないんですか」

「ん? 決まってるだろう。塗ったところですぐに落ちてしまうからだ」

「え、落ちてって、どう――」


  鏡を照らすライトを背にした店長は私から見て逆光。影の落ちた店長の顔はひどく色っぽくて、甘くて。

 それが私の上に覆いかぶさってきて、私は言葉を続けることができなかった。抱きしめられて、触れる唇の熱さに翻弄されて。

 やがてやっと離れた唇からフッと笑い声が洩れた。


「すぐ落ちてしまうだろう?」

「は、はい」

「答えは?」


 私はついに抵抗をやめたのだった。


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