非現実的美少女、再び
病院の椅子に座り、順番を待つ間、ガフンちゃんがずっと隣で頭を優しく撫でてくれていた。
「はんにょー、ちゅだ、ちだおー」みたいなことを言いながら、心配そうにあたしの顔を覗き込んで来る。
ぽろぽろと涙がこぼれていた。長い前髪がぐっしょりと濡れている。
あたしはガフンちゃんの顔が見たくてたまらなくなった。
頭を撫でてくれる彼女の頭をすりすりと両手で撫で返すふりをして、真ん中から貞子ヘアーを、仏が手を開くような動作で、柔らかいほっぺたに沿って、そっと開いてみた。
大きな宝石みたいな目が現れた。優しく涙をぽろぽろとこぼしていた。
涙袋がぷるぷると震えていて、かわいかった。
こんなかわいいもの、やっぱり現実のものとは思えない。
今度はガフンちゃんは嫌がることなく、されるがまま、あたしと見つめ合うままになっていた。
あまりに美しい絵画を見ていると、見とれてしまってずっと見ていたくなる。あの感じで、あたしは彼女の顔を失礼なほどに無言でぽかんと見つめた。お陰でさっきトラックに轢かれそうになった心がすうっと癒されてしまった。
レントゲンを撮ってもらったけど異常はなく、診察は思ったより早く終わった。
待合い室に戻るとウルちゃんとマイちゃんが駆けつけてくれていた。
「アリサ! 大丈夫?」
「有紗ちゃん、大丈夫?」
時間差で2人がほぼ同じ言葉を口にした。
「うん大丈夫だって。ごめんね、心配かけて。早く公園行って動画、撮ろう」
「いやいや! やめときな」と、ウルちゃん。
「頭打ったんでしょ? だめだよ」と、マイちゃん。
「だってウルちゃん、水泳部の練習サボって来たんでしょ? 悪いよ。それに今度こそ50万回達成するんだから! やろうよ」
「いーんだよ。今の時期の水泳部、どうせ筋トレぐらいしかやんないんだから。それよりあんたの体のほうが大事だよ」
「ダメだよ! ほんと大丈夫だって! こんなことで中止にできないよ!」
あたしはムキになった。
「『こんなこと』じゃないよバカ! 大事とっとけ!」
「け、喧嘩しないで……」
オロオロとマイちゃんが言った。
「だってあたしのせいで中止だなんて嫌だがん! 迷惑かけてるみたいだがん!」
「強行しようとするほうが迷惑じゃ、アホ! お前、攻撃されて吹っ飛ぶ役なんだぞ!? また頭でも打ったら死んじゃうぞ!」
「マイちゃんが柔らかい胸で受け止めてくれるもん!」
あたしの言葉にマイちゃんが顔を赤くして胸を両手で隠した。
「あたしの攻撃ならともかく、ガフンちゃんの最強攻撃なんだぞ!? あんたの頭が砕けた上に、マイの胸も破裂しちゃうかもしれんだらが!」
「は……破裂……」
マイちゃんの顔が青ざめた。
「そんなの……!」
その時、記憶に甦った。
あたしがなぜ、助かったか。
ガフンちゃんの強烈な気功拳が、その迫力が、横断歩道の向こうから、あたしを吹っ飛ばしたことを。
「あ……」
まだお礼を言ってなかったのを思い出した。
「そうだった。あたしがトラックに轢かれかけた時、ガフンちゃんが気功拳で吹っ飛ばしてくれて、それであたし、助かったんだよ」
「ふ……吹っ飛んだの?」
マイちゃんが目を見開いた。
「凄い! やっぱり本物なの?」
ガフンちゃんはあたし達の激しい口論にオロオロしていたが、急にあたしが大人しくなったので、きょとんとしていた。
「お礼の言葉……。何て言ったらいいんだろ」
「中国語なんでしょ?」
マイちゃんが言った。
「シェーシェーでいいんじゃない?」
頭の中でそれをガフンちゃんに言ってみた。なんか変だ。たどたどしすぎて、それじゃ気持ちが伝わらない。
やっぱり日本語で「ありがとう」を言いたかった。でもそれで意味が伝わらなかったら意味がない。
あたしは気持ちのままに、そっとガフンちゃんに近寄ると、ぎゅっと手を回して抱きしめた。抱きしめながら、言った。
「ありがとうね。ガフンちゃん、あたしの命の恩人だ」
ぽんぽんとあたしの背中を優しく叩きながら、ガフンちゃんが言った。
「オ~ゥ、めしー! めしー!」
「あ。飯って言ったな。お礼に飯おごれってことかな」と、ウルちゃん。
「そう言えばもうお昼だ。お腹空いたね」と、マイちゃん。
ちょうど近くにおいしい牛骨ラーメンのお店があった。東京の銀座にも進出しているほどの有名店だ。
「よし、『神徳』行こうよ。ガフンちゃんのはあたしがおごる」
あたしが言うと、2人はおー!と喜び、ガフンちゃんはきょとんとしていた。
『神徳』は県内に3店舗あって、名探偵コナーンの作者の故郷でスイカの名産地でもある栄町の店が特に人気だ。でもあたし達の住んでいるところからは遠い。
3店舗それぞれが味もメニューも違えていて、病院裏にあるここの店は一番人気がなかったけど、あたしはここが一番あっさりしていてメニューも多いので好きだった。
「よーしラーメン食うぞ、ラーメンだ」と、席に着くなりメニューも見ずにウルちゃん。
「私……、えっと。何にしようかな」と、メニューを眺め回しながらマイちゃん。
ガフンちゃんは写真のない日本語だらけのメニューを手に持って呆然としている。
「ラーメン屋さん来たらやっぱりラーメンだよ、ガフンちゃん。あたしに任せて」
あたしはそう言うと、ラーメンをウルちゃんのも含めて3つ注文した。
マイちゃんが遅れてたまご御飯定食を注文した。
「いいか? アリサ。今日は中止にするぞ?」
ウルちゃんがしつこくまた言った。
でもあたしもあの迫力を思い出したら、日を改めて体調万全で臨んだほうがいい気がした。
「じゃ、今日は公園で小動物園行って遊ぼっか」
あたしが言うと、2人はほっとして、ウンウンウンウンうなずいた。
ラーメンが3つ、運ばれて来た。
済んだ色のスープに白いシコシコの縮れ麺、具はゆでたまご、焼豚、メンマ、もやしにネギ。シンプルだけどこれがうまいのだ。
「オオーウッ! りりしいラー!メン!」みたいなことをガフンちゃんが言って興奮している。
「ああっ……、凄いおいしそう。私もラーメンにすればよかった……」
マイちゃんが肩を落として後悔してるけどもう遅い。あとでみんなから一口ずつ貰いなさい。
「いただきまーすっ」
あたしとウルちゃんが声を揃えると、
「いったっきまーっ」
ガフンちゃんが真似してノリのいい声で言った。
みんなお腹が減っていた。あたしとウルちゃんのズルズル麺を啜る音が店内に響き渡った。ガフンちゃんは外国人らしく、最初は音を立てずに食べてたけど、あたし達を見て「あっ、そうか」みたいに笑い、可愛くながらも音を立ててちゅるちゅると麺を啜りはじめた。
「うっまーい!」
「おいしーい!」
「はぁ~おつー!」
たまご御飯定食は時間がかかるようで、まだ来ない。
マイちゃんが涙目で餃子のタレを入れる小皿を持って、托鉢の僧みたいに恵んで貰えるのをじっと待っていた。