破壊力は世界を救う
土曜日には動画の撮影に公園へ出かけた。
再生回数40万を誇るあたし達のあの動画を、攻撃役をガフンちゃんに変えて、新たに撮るためだ。
彼女のあの迫力が加われば、きっと今度は念願の50万回を超す!
前の日に教室で、カクさんに書いてもらった紙を渡すと、ガフンちゃんはびっくりした顔であたしを見た。その紙には土曜日のお誘いの文句が、あたしの言った通りを翻訳して書いてもらってある。どうやらあたしが中国語を喋れはしないが書ける人だと勘違いしたようだ。そんな特技、あったらいいな。
我が町の市役所は山を背にして建っていて、山の上にはあの打吹公園だんごで有名な打吹公園がある。ちなみに『うつぶき』と打ち込んで変換しても、私のタブレットには候補にすら出て来なかったけど。
そこに小さな動物園みたいなコーナーがあり、柵で囲んだ大きな窪みの中にお猿さんがいっぱいいる。かわいい小猿もいる。
そのお猿さんの前をあたし達は待ち合わせ場所にした。
バスに乗って市役所前で降り、公園をめざして歩いていると、遠くのほうから私服姿のガフンちゃんが歩いて来るのが見えた。
黒いリュックを背負って、ピンク色の法被みたいな上着を風に揺らして、道路を挟んだ向かいの歩道の上を歩いて来る。
信号のない横断歩道で立ち止まった。
「ガフンちゃーん!」
あたしは大声を出して手を振る。
彼女も気づいてにこっと笑い、手を振り返してくれた。
公園はこっち側なので、あたしが横断歩道を渡る必要はない。でも、ガフンちゃんは日本の交通に不慣れだ。彼女を迎えに行ってあげなければ。そう思ったあたしは、右見て左見て、もう一度右を見るのは横着して、横断歩道を駆けて渡りはじめた。
「×××●△■ーーッ!!」とガフンちゃんが叫んだ。
大丈夫。日本の交通は安全なんだよ。横断歩道はちゃんと歩行者優先なんだから。そう思いながら、あたしはトラックの走行音がみるみる近くなるのを右耳に感じた。
右を振り向くと、トラックがそこまで迫っている。
さっき見た時は結構遠かったはずだ。
運転手のおじさんがよそ見をしているのがフロントガラス越しに見えた。下を向いている。
え……。
あたし、異世界転生するの?
これってそういうお話だったの?
ヘビに睨まれたカエルみたいに動けずに、頭が早回しでそんなことを考えてしまっていると、ガフンちゃんの声が聞こえた。
「Alissaaaa!」
ぽかんと口を開けた顔でそちらを振り向くと、横断歩道の向こうから、ガフンちゃんが両掌を前に突き出し、気功拳を放って来るのが見えた。
「ハイヤーッ!!!!」
浮いた。
張りついていたあたしの両足が、車道の上から浮いた。
風圧に押されるみたいに後ろへ飛んだ。あるいは飛ばされた。
条件反射で自分で飛んだのか、ガフンちゃんの放った本物の気功拳に飛ばされたのか、わからなかった。
ジーンズだったので公衆の面前でパンツはさらさずに済んだ。あたしは元いた歩道まで吹っ飛ばされて、気がつくとひっくり返っていた。トラックはそのままスピードをさらに上げて走り去った。
「Alissa!」
横断歩道を駆け抜けて、ガフンちゃんが駆け寄って来た。
「メシウマ!?」みたいな言葉を言った。
「あっ……。だっ、大丈夫っ……だよっ」
安心させようと笑ってみせた。
足がガクガク震えていて、動かせなかった。立ち上がろうとするのに立ち上がれない。どこか痛い気もするのにどこが痛いのかわからない。
ガフンちゃんが抱きしめてくれた。
「カンパチ! ニボシノカンカン!」みたいなことを興奮して叫びながら。
長い黒髪が鼻をくすぐる。
体温がめっちゃ気持ちいい。
安心する。
人が集まって来てくれた。
「大丈夫?」
「ケガはないかっ!?」
「あのトラック、ナンバー控え損ねた!」
「めちゃくちゃな運転しやがって!」
「しかしすっごい飛んだな!」
「頭、打ってない?」
「救急車!」
見ていた人によると、あたしは後ろに向かって3メートルぐらい、一瞬で飛んだらしい。
ああもったいない。それを動画に収めていれば……なんてことを、暢気に思ってしまった。
少し暑かったので上着のジャンパーをリュックに入れていた。それを背負っていたおかげで頭は打たなかったようだ。
ウルちゃんとマイちゃんを待たせている。あたしはむっくり起きあがると、体のあちこちを動かして点検し、みなさんに笑顔を見せた。
「大丈夫、大丈夫です。救急車はいらないです」
「なんともないと思っても病院行ったほうがいいよ」
「ケガしてないつもりで頭打ってたりするから」
「本当に大丈夫です。心配おかけしてしまってすみません。友達、待たせてるんで……。ありがとうございました」
そう言うと、ガフンちゃんに手を繋いでもらって、あたしは立ち上がった。
ちょっとまだフラフラするけど、たぶん大丈夫だ。
「っていうか、病院すぐそこじゃねーか!」
誰かがツッコむように言った。
そう言えば市役所のすぐ真ん前に大きな病院があった。
誰もがボケていて忘れていた。見えてなかった。
忘れられた病院は、みんなが思い出すと、急にそこに現れたように、でーんと威風堂々たる勇姿で胸を張った。
「オ〜ゥ……。ペラペ〜ラ! ペラペ〜ラ! はっはっは!」
通りすがりの白人のイケメンさんがギャグにしてくれた。
「ほら、すぐそこだから。絶対病院行ったほうがいいって」
勧められるままに、ぺこりとみんなに頭を下げ、あたしは病院に向かって歩き出した。少しふらつくと、ガフンちゃんが肩を貸してくれた。
病院は横断歩道を渡ってすぐのところだ。右見て、左見て、今度はもう一度しっかり右を見て、手を挙げて渡りはじめる。
ガフンちゃんもあたしを気遣って、いつもみたいに全速力で駆け抜けることはせずに、ゆっくり渡ってくれた。
ぼちぼちと紅葉に染まりはじめた山から、ひんやりと気持ちのいい風が下りて来て、後頭部に当たったら、そこがようやくじんじんと痛んでいることに気がついた。