翔
ガフンちゃんの周りにクラス中のみんなが集まった。
谷くんも、一匹狼の郷田くんも、クラス1口数の少ない本多くんも集まっていた。
まるでガフンちゃんのサイン会だ!
サインをしてるのは彼女ではなく、集まってるみんなのほうだったけど。
前にあたし達3人が名前を書いた、あのノートを広げ、別のページを開いて、ガフンちゃんはみんなに名前を書いてもらっていた。
言葉が通じないのでどういうつもりなのかはわからないけど、うん、間違いなくクラスのみんなの名前を覚えたがっている。
さっきの気功拳の演武にみんなは感動したらしい。確かにあの迫力はプロ級の迫力があった。一気にガフンちゃんはみんなの人気者になっているように見えた。
「はい、並んで並んでー」
あたしは警備員さんのようにみんなを一列に並ばせる。
「1人ずつよー。1人ずつだよー」
郷田くんがノートにシャーペンで名前を書くと、ガフンちゃんが「ざまぁねぇ!」みたいに言う。
郷田くんが「ああ!!?」みたいに睨むので、あたしがすかさず訳してあげる。
「なんて読むの? って意味だよ」
もちろん本当にそう言ってるのかどうかはわからない。いやたぶん、合ってる。
「郷田、太郎だ」
郷田くんが脅すような声で言う。
「ゴウダ、タロウダ」
ガフンちゃんが『だ』まで名前だと思って繰り返した。
本多くんがぼりぼり頭を掻きながら前に出て来て、ノートに『本多奏太』と書いた。
「ざまぁねぇ!」ガフンちゃんが文字と本多くんの顔を交互に見ながら、笑顔で言った。
本多くんは顔を赤くしながら「ほん、そ……です」と言った。
「聞こえねーよ!」とウルちゃんがばしっと頭を叩いてどつくと、なぜか嬉しそうに笑った。
いつも大人しい本多くんの笑顔を初めて見て、あたしはちょっと嬉しくなった。
谷くんが得意げに前に進み出た。
ノートに自分の名前をスラスラと書く。
『谷翔』と。
そしてまた、からかうように言った。
「たにしょう、ですよ。貞子さん。たにしょうです。早く日本語覚えてね!」
ガフンちゃんが吹き出した。
書かれた『谷翔』の文字と谷くん本人を交互に指さして、何か言ってる。
「な、何がおかしい!?」
谷くんは珍しくニヤニヤ笑いが取れて、びっくり愕然としている。
「笑うな! やめろ! 俺は他人を笑うほうの立場だ!」
ガフンちゃんの笑いは止まらず、机に突っ伏して、ヒーヒーと涙を流しながら何かにウケまくっていた。
みんな意味がわからず、ぽかーんとするしかなかった。
家に帰ると、あたしはカクさんの部屋へ行った。
うちの旅館の客室の扉は襖だ。一応中からはつっかえ棒で鍵が出来るようになっているが、外からは鍵が出来ない。なんとかしたほうがいいんじゃないかとあたしは思っているが、お客さんからは「日本らしい情緒がある」とかで喜ばれているらしい。とりあえず今のところ、盗難事件さえ起こったことはないが。
襖をぼすぼす言わせてノックすると、中に声をかけた。
「カクさん、いるー?」
「はい、いますヨー」と機嫌のよさそうな声が返って来た。
ロビーに出て来てくれたカクさんにコーヒーをご馳走した。
喫茶コーナーの本格コーヒー豆で淹れたおいしいブレンドコーヒーだ。あたしはコーヒー牛乳のほうが好きだけど(←小声)
「アリガトウゴザいます。台湾人はコーヒー好きなんですヨ」
ほくほくしながらカクさんが言った。
「学校は楽しいですカ?」
「うん! ガフンちゃんが来てからもっと楽しくなったよ」
「ソれは良かった」
カクさんは自分のことみたいに嬉しそうに笑ってくれた。
「で? 私に聞きたいこと、何かありますカ?」
「うん」
あたしはうなずき、メモ帳を取り出した。
「ガフンちゃんが今日ね、この文字を見て爆笑したの。なんでだったのかなって、知りたくて……」
メモ帳に『谷翔』と書くと、カクさんはぷっとコーヒーを噴き出しかけた。
「誰か……。これは、お友達の名前?」
「うん。男の子の。ちょっとおかしな子なんだけど」
「これは若者言葉なんですけド……」
カクさんはにこにこしながら教えてくれた。
「『翔』という漢字には『うんこ』という意味があるんですヨ」
「ええっ!?」
あたしはびっくりして、言った。
「日本だとむしろカッコいい名前ですよ? 谷くんにはとても似合わないぐらい……!」
「ええ。そうですネ。でも、中国からどうも伝わったようで、理由もわかりませんが、中国語の『翔』は『うんこ』という意味があるんデス」
カクさんはコーヒーから口を離すと、改めて噴き出した。
「櫻井翔……(笑)」
「じゃ、谷くんはうんこなんですね?」
「はい、うんこデス。失礼な話ですガ……」
「うんこうんこーって呼んでやっていいんですね? これから」
「呼ばないほうがいいでしょう。失礼ですからネ。うんこうんこー、だなんて」
ちょうど通りかかったオランダ人のイケメンのお客さんが、あたし達の会話を聞きつけて、やって来た。
「うんこの話、してるの?」
「はい! うんこの話、してるんです」
「コーヒーがうんこの匂い、して来ました……」
この後めっちゃ談笑した。