さよならカクさん、また来てカクさん
その日の朝のことはよく覚えている。
月曜日だった。
あたしが制服姿で大広間に行くと、円になって朝食をとっているお客さんに混じって、カクさんが焼き鮭を箸でほぐしていた。
とても楽しそうな表情で、まっすぐに鮭を見つめていた。
「カクさん……」
あたしがそう言って横に並ぶと、ようやく気がついてくれた。
「おお、アリサさん」
優しく微笑んでくれた。
「今日、台湾へ帰りますヨ」
「あたしが学校から帰ったら、もうカクさんはいないんだね?」
あたしは涙が出そうになった。
このわずか半年後にまた泊まりに来るなんて知らなかったから、永遠の別れみたいに思ってしまった。実際にぽろっと、もったいない涙をこぼしてしまった。
「また会えますヨ」
カクさんはそう言って、それ以上微笑めないと思われた顔を、さらに微笑ませた。
「死に別れるわけじゃありませんし、生きていれば、どこかで会えます」
っていうかカクさんはそれから毎年、年に2回のペースでやって来て、そのたびに長期滞在してくれるのだが、その時はそんなこと知らなかった。本当に死に別れるぐらいに思ってた。
「ありがとう」
あたしはまっすぐカクさんの優しい目を見つめた。
「カクさんがいなかったら、フェニーちゃんとお話できたこと、きっとないままだった」
本当にそうだった。あのお泊り会は、カクさんがいなければ実現できなかった。あのお泊り会がなければ、本多くんはきっとずっと中国語が話せること、何も言ってくれなかった。不思議なやつだから。
「一期一会……。いい言葉ですよネ」
カクさんは遠くを見るような目で、言った。
「玉枝サンがそれを大切にするの、私もよくわかりマス」
お母ちゃんは一期一会がモットーだ。ちなみにあたしはその言葉の意味はよく知らないけど。たった一度広島から泊まりに来たキーコちゃんのことを覚えていたお母ちゃんは本当に凄かった。あたしも一つ一つの出会いを大切にしたい。
同じクラスになれたみんなとも、
親友同士になってくれたウルちゃんとマイちゃんとも、
仲良くなりはじめた緑子ちゃんとキーコちゃんとも、
最近一緒にいると一番楽しいと思える本多くんとも、
台湾から転校して来て、言葉が通じないのに仲良しになれたフェニーちゃんとも、
そして、とても優しくて、あったかくて、少しエロいけど、あたしとフェニーちゃんを繋いでくれた、特別なカクさんとの出会いは、決して一生忘れない。
「土曜日、あたし達に付き合ってくれたから、昨日はだいぶんお仕事溜まってたんじゃない?」
日曜日、カクさんは一日中部屋に籠もって仕事をしていたようだ。目の下にクマが出来ている。
「土曜日は楽しかったデス」
カクさんは疲れたような顔を見せないよう、気遣うように、笑った。
「みなさんに混じって私も若返って楽しめましタ。ありがとうございマス」
でも昨日、みんなはそのまま公園で解散し、結局カクさんはみんなから「ありがとうございました」の言葉も言われることなく、別れたのだった。
「カクさんっ!」
あたしはたまらず、カクさんの顔に抱きついた。胸でカクさんの顔を包み込んで、ほっぺたをカクさんの頭にすりすりした。
カクさんは何も言わず、箸を落として、されるがままになっていた。
こんなにたくさん、色んなことをしてもらったのに、あたしは何も返してあげられてない。そんな気がして、その気持ちを伝えたくて、ギュッと、ギュッと。気が済むまでカクさんの顔をあたしは抱きしめ続けていた。
あたしがようやくハグを解くと、なんだかお風呂上がりみたいな顔になってるカクさんが教えてくれた。
「台湾人はみんなフェイスブックをやっていマス。私のフェイスブックのアドレスを教えますのデ、遊びに来てくださいヨ」
「うん! 教えて?」
あたしは自分のスマホを取り出した。
「遊びに行く。メッセージも送るから」
カクさんはあたしのスマホを手に取ると、フェイスブックのアプリを入れてくれて、そこからの検索で自分のページをブックマークしておいてくれた。
友達がいないのか、カクさんのページは更新がとても少なく、面白かったテレビ番組の紹介しかなかったけど、一応これであたしはカクさんと繋がることが出来る。
「じゃ、学校、行って来るね」
「はい。行ってらっしゃい。気をつけテ」
あたしは何度も手を振って、大広間を出て行った。




