歌姫フェニー・スー
みんなで片付けを手伝い終わったら、さあ、カラオケ大会だ!
と、その前にカクさんの有り難いお話を拝聴することになった、なぜか。
「君達にこの言葉を捧げまショウ。フランスの文豪アンドレ・ジイドの言葉デス」
そう言うと、カクさんは演劇のような大袈裟な動きと言い方で、叫ぶように言った。
「おお、青春よ! 人は人生で一時しかそれを所有しない! 残りの年月はただそれを思い出すだけだ!」
「カクさーん」
みんなカクさんの言葉は無視して、言った。
「俺らにも中国語教えてよー」
「そんなのいいからさー」
「フェニーちゃんと直接お話してみたーい」
ウルちゃんだけが、カクさんに見とれながら、さっきの言葉に感動したように震えていた。
「中国語は難しいですヨ。台湾人が日本語を覚えるより、日本人が中国語を覚えるほうがずっと難しいデス」
「えー! そうなのー?」
「何が難しいの?」
「日本人が中国語を覚えることの難しさを、有名な笑い話で説明しましょうカ」
「笑い話?」
「聞きたい、聞きたいー」
「中国語は同じ発音の言葉でも、メロディーによって意味が変わりマス」
「ふむふむ?」
「それでそれで?」
「料理店で日本人客がごはんを食べていまシタ。彼は店員のお姉さんに中国語で『水餃子一碗いくら?』と聞きまシタ。するとお姉さんは激怒して、お客の頬をひっぱたきました。なぜだかわかりますカ?」
「わかんなーい」
「わかるわけなーい」
「『お姉さん、水餃子一碗いくら?』は中国語で『小姐,水餃一碗多少錢?』デス。『水餃』は日本語で言えば『鍵を』のメロディーに近いデス。これがこのお客さん、『水餃』を『ねぇねぇ』みたいなメロディーで言っちゃった……」
そう言ってカクさんは1人でプーッ!と吹き出した。
「ん?」
「どういうこと?」
当然みんなとの間に産まれる温度差。
「『水餃』のメロディーを間違えただけで、まったく違う意味になるんデス。お客さんのメロディーだと『睡覺』になってしまいまシタ。『寝る』の意味デス。これだと『一碗』が同じメロディーでも『一晩』に変わってしまいマス。『一碗寝る』とは言いませんからネ。知らず知らず、彼は店のお姉さんにこう言ってしまったのデス。『小姐,睡覺一晚多少錢?』」
「えーと?」
「オチ、はよ」
「どういう意味になっちゃったの?」
「『小姐,睡覺一晚多少錢?』……。意味は、『お姉さん、一晩いくらで寝てくれる?』です」
そう言ってカクさんは再び吹き出すと、笑い転げた。
「それって……」
女子を中心にブーイングが起こった。
「中学生に聞かせる話じゃなくない?」
「意味わかんない」
ウルちゃんを見ると、百年の恋が冷めたような顔をしていた。
「どぅーあっはっは!」
お父ちゃんが1人、爆笑していた。
お父ちゃんがカラオケのセットをしてくれた。マイちゃんの高さに合わせてあるマイクスタンドから、みんな抜いたマイクを手に持って歌った。
みんな上手だ。歌い慣れてる感じ。フェニーちゃんはリクエストに応えて緑子ちゃんの赤いドレスに着替えるため、別室に消えていた。
緑子ちゃんが意外なぐらい音痴だった。これは多くのファンを失ったかもしれないな。
みんなまんべんなくマイクを回して歌った。キーコちゃんは罪の意識からか遠慮して、歌わなかった。マイクを独占してもおかしくないと思われた谷くんもやたらと大人しく、部屋の隅でコーラを飲んではゲップしている。
お父ちゃんが自分のアコースティックギターを持ち出して来て、カラオケの伴奏に合わせてかき鳴らしていたが、はっきり言って邪魔だった。
ホドリゲス忍くんがラップもしっかり入れながらHiphopを披露した。さすがにハーフだ。似合う。色、黒いし。
あたしが『万有引力の法則』というバンドの『樹になるあの子』という誰も知らない曲を可愛く歌っている時、襖がスパーン!と派手に開き、フェニーちゃんが戻って来た。
「オー!」
「オオーー!!」
まるで駅前を歩いていたら有名なアイドルがエレベーターから出て来たのを見るように、みんなが興奮した。
緑子ちゃんの真っ赤なドレスに身を包んだフェニーちゃんは、画面の中にいないのが不自然なほどキラキラしていて、蛍光灯がライトとは思えないほど透き通っていた。
誰も聴いていなかったので、あたしは歌うのをやめ、オケも止めた。マイクをスタンドに戻す。
そしてにっこりと笑顔を作ると、手をヒラヒラさせて歌姫の登場を告げた。
「みなさん、お待たせしました! 来たぞ来たぞ、異世界から真っ赤な妖精が来てくれたぞ! 拍手でお迎えください、歌姫! フェニー……! スー〜〜!」
拍手喝采が沸き起こり、フェニーちゃんが照れるあまり頭を掻きながら、懐かしの猫背になる。
緑子ちゃんが独断で浜崎あゆみの例の曲を入れると、フェニーちゃんは噂の通りの綺麗な日本語で歌いはじめた。日本語喋れない人とは思えないほど流暢だった。
みんなはびっくりした顔をしながらも、その歌声に聴き惚れる。ちょっと選曲が古いことなんて誰も何もツッコまなかった。
歌い終わると大きな拍手が起こり、すぐにみんなが声を合わせた。
「アンコール! アンコール!」
「あんこ! あんこ!」
あたしの隣でカクさんもはしゃいでいる。
「浜崎あゆみ、安室奈美恵、大塚愛は台湾で大人気なのデス! 私も大好きデース!」
フェニーちゃんはぺこりと頭を下げると、お父ちゃんからアコースティックギターを借りた。まさか、もしかして、弾き語り!?
期待した通り、フェニーちゃんはギターを爪弾きながら、中国語のとっても美しい曲を歌ってくれた。
「綺麗……」
あたしは目を細めて聴き惚れながら、カクさんに聞いた。
「何て曲?」
「私も知らないデス」
カクさんは音楽を邪魔しない声で言った。
「若い人の歌ですかネ。とてもいい曲デス」
後から知ったのだが、この時歌ってくれたのはフェニーちゃんのオリジナル曲で、この3年後、彼女はこの曲でシンガーソングライターとしてもデビューすることになる。




