わからないからわかりたい
あたしの家は旅館で、お客さんの入って来るところも家の玄関も同じ入り口になっている。自動ドアを開けてあたしが中に入ると、ちょうど新しい男のお客さんが1人、カウンターで宿帳を書いているところだった。
「おかえりー」と、カウンターの中に立つお母ちゃんが言う。
宿帳を書いていたお客さんがその声に反応してあたしのほうを見た。色の少しだけ黒い、鼻の大きなアジア人だ。一目で外国人のお客さんだとわかった。
「こんにちはー」
あたしはいつものように挨拶をする。
「こんにっちワー」
外人なまりはあるけど流暢な日本語をにっこり返してくれた。
「どちらの国からですか?」
「台湾からですヨー」
えっ! とあたしは飛び上がりそうになった。
あたしは思ったことがすぐに口から出るタイプではないけれど、あまりのタイミングのよさにびっくりして、思わずペラペラと話しはじめてしまっていた。
「わぁっ! あたしのクラスに今日、台湾人の女の子が転校して来たんですよー。でもその子、日本語がまったく喋れなくって……。あのっ。台湾語、教えてくれますか?」
早口で喋ったので、通じてるかどうか少し不安になったが、お客さんはにっこり微笑むと、
「台湾語はたぶんだけど通じません。今の台湾の若い人は台湾語が喋れなくなってる人、多いですかラ」
「えー? じゃ、何語なんですか?」
「とゅっごく語です」
「トュッゴク語? き、聞いたこともない……」
「あ。発音悪くてゴメンナサイね」
お客さんは気をつけて言い直してくれた。
「ちゅう……中国語です」
「有紗っ。お客さん困ってらっしゃるでしょ」
お母ちゃんが呆れたように笑いながら、あたしを叱る。
「長旅で疲れてらっしゃるんだから……」
「構いまセン」
お客さんはお母ちゃんにそう言ってからあたしにまた向き直り、
「私の国の人と仲良くしてくれてアリガトゴザいます。私は2週間滞在していますのデ、なんでも聞いてくださいネ」
「本当ですかー? あとでお部屋にお邪魔してもいい?」
「ノックしてくれたら、私のほうからロビーに出て来ますヨ」
「あたし、アリサ。お名前聞いてもいいですか?」
「羅覺です。この字です」
そう言って宿帳に書いたばかりの自分の名前を見せてくれた。
「カクさんと呼んでください」
「ありがとう、カクさん。またあとでね。ごゆっくり」
そう言って奥へ引っ込もうとして、
「あ、そうだ! 今日ね、その友達が横断歩道で挙動不審になってたんだけど……」あれどういう意味なんだろう? わかるかな?
あたしが詳しくそのこと話すと、カクさんはすぐにわかって、教えてくれた。
「台湾では信号のない横断歩道は自動車優先なんですヨ。だから車の途切れたところを狙って、みんな全速力で駆け抜けるんデス」
「えー!」
あたしはびっくりしてしまった。
それじゃ何のための横断歩道だろう。
「これこれ。お客さんを困らせてはだめですよ」
お母ちゃんがまたあたしを叱る。
「いいんですヨ」とカクさんは言って、優しく微笑んでくれた。
自分の部屋に入るとすぐに、スマホで検索した。
ガフンちゃんがなぜ、あの綺麗すぎる顔を、貞子ヘアースタイルで隠しているのか、調べるためだ。
あたしの頭には2つの推理があった。
『徐雅雰』とワードを入力して、検索。結果は0だった。
もしかしたら台湾の芸能人がお忍びで転校して来たのかと思ったのだが、違ったみたいだ。
次に『台湾 マフィア』で検索する。
前に観たGACKTとHYDEが共演している日本映画で、台湾はマフィアが横行する恐ろしいところだみたいな描写がされていたのを思い出したのだ。
ガフンちゃんはそんなマフィアに命を狙われて、日本へ家族と一緒に逃げて来たのかもしれない。
しかし現れた記事を読むと、台湾はどうやら治安のすこぶるいいところで、そういうヤバい団体は一所にまとめられて隔離されているらしい。もしかしたら日本よりも安全な場所なのかもと思えた。
それならなんで顔を隠すような髪型をしているんだろう?
うーん……。
頭の中に昼間見たガフンちゃんの素顔が浮かぶ。
妖精だった。透明だった。
それでいて気取ったようなところがまったくなくて、目なんてまるで泣き出しそうな可憐さを湛えていた。
あんな美少女が現実に存在するとは思ってなかった。
貞子ヘアースタイルとあの猫背をやめれば、間違いなく彼女の話題が沸騰する。
そんなことを考えていて、はっとした。
なんであたし、こんなに他人のこと、しつこく考えてるんだろう。
もしも他人があたしのこと、こんなに熱烈に考えてたら、気味が悪いんじゃないんだろうか。それこそ谷くんが言ったように、うざがられて当然なんじゃないだろうか。
なんであたし、こんなにガフンちゃんのこと……
考えて、すぐわかった。
わからないから興味をもった。
わからないからわかりたい。
つまりはもっともっと、仲良くなりたいだけなのだ、と。