非現実的美少女
谷くんが逃げて行くと同時に、あたしはガフンちゃんに言った。
「大丈夫? あいつ、ちょっとおかしい子だから気にしないで」
わなわな震えていたガフンちゃんはあたしのほうを見て何か言いながら、すぐに笑顔を見せてくれた。
「女子の髪引っ張るなんてサイテー」
あたしは憤慨してそう言いながら、彼女の長い黒髪を整えてあげる。
「っていうか、なんでこんな髪型してんの? 分ければいいのに。こうやって……」
観音扉を開けるように、彼女の髪を真ん中から両側へ掻き分けた。
扉の中にはさらにカーテンがあったので、二度目を掻き分けると、彼女のお顔が現れた。
非現実的美少女がそこにいた!
あたしの動きが固まった。
間違いない、これは異世界からやって来たものだ。
異世界のお姫様、あるいは妖精だ。きっと耳は尖ってる。
鼻、たっか!
目、でっか!
透明感があまりにも凄いので、ほんとうに向こう側の景色が透けて見えるかと思った。
「はうっ! あうあうあう〜!」みたいなことを言って、慌ててガフンちゃんが身を引いて、再び自分を貞子みたいな髪型に戻す。
言葉を忘れていたあたしはそれでようやくハッとして、声を出した。
「もっ、もったいないよガフンちゃん! そんな美少女なのになんでその髪型してんの!?」
ガフンちゃんは「アイヨアイヨー、メイメイヨー」みたいなことを照れ臭そうに言いながら、誤魔化していた。
凄い秘密を知ってしまった。
誰も見ていなかった。見たのはあたしだけだ。
どうしよう。
みんなにバラすべきだろうか。
いや、あたしとガフンちゃんだけの秘密にしよう。
なんだか秘密を共有する仲間みたいな意識が生まれて、あたしはますます彼女との距離が縮まった気がした。
ウルちゃんとマイちゃんと机をくっつけて、給食にした。
「ガフンちゃんも呼んでいい?」
あたしが言うと、
「うん、呼ぼうよ」とウルちゃん。
「うん、そうしよう」とマイちゃん。
さすがは我が強敵。気持ちのいいやつらだぜ。
あたしがジェスチャーで一緒に食べようと伝えると、ガフンちゃんも気持ちのいい理解力で机をくっつけて来てくれた。
ガフンちゃんが非現実的美少女であることを2人に言いたくてたまらなかったが、黙っていた。あんなに分厚く髪で隠してるんだもん。それには何か理由があるに違いない。
無遠慮に彼女の秘密を暴くのは失礼を通り越して無礼な気がした。それだからこそ、さっきたまたま観音扉を開いてしまった時、自分と彼女だけの秘密にしておこうと決心したのである。
あたし達3人だけ喋って、ガフンちゃんはずっと黙って給食を口に運んでいた。
今日の献立はフランクフルトと春雨サラダ、それとカレーだ。別に台湾でも珍しくなさそうだし、ガフンちゃんとの間に話題になるものはなかった。
言葉が通じれば話しかけてあげなきゃとか気を遣うところだろうが、何しろまったく通じないので、むしろ大きな長毛種の犬と一緒にごはんを食べてるみたいな感じで、あたし達は平気で彼女を放置してしまっていた。
ふと見るとガフンちゃんが寂しそうに見えたので、あたしは彼女の机をトントンと叩いた。
顔を上げた彼女に2人の友達の紹介を英語でしてみた。
水泳部のウルちゃんを指し、
「ハー・ネーム・イズ・ウルトラ・モコだよ。すごい名前でしょ。シー・イズ・ベリー・ファニー・ガール。シー・イズ・スイマー」
「ウルトラの戦士でありますっ!」
ウルちゃんがビームを出す真似をして、おどけた。
次に美術部のマイちゃんを指し、
「ハー・ネーム・イズ・ウルシバラ・マイ。シー・イズ・ベリー・キュート・アンド・えーと物静か……クワイエット・ガール。シー・イズ・えーと……、アーティスト!」
「あ、アーティストじゃ……ない!」
マイちゃんが顔を赤くして、照れた。
あたしの英語の発音が悪すぎたらしく、通じてる雰囲気はまったくなかったが、ガフンちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。そして何か思いついたのか、自分のノートを取り出すと、そこに何やら書きはじめ、書いたそれをあたし達に見せてくれた。
そこには彼女の名前が『徐雅雰』と書いてあった。
それを指さし、彼女は「シュィヤーふんっ」みたいに言った。
「え?」
「え?」
「なんて?」
あたし達3人は顔を見合わせた。
ガフンちゃんはもう一度、髪で隠れてて口しか見えないけど、笑顔で言った。
「シュィヤーふんっ」
あたし達はそれぞれ聞こえた通りに真似をした。
「そいやー、フンッ!」と、ウルちゃん。
「シュレッダー、ぽいっ?」と、マイちゃんぜんぜん違うよそれ。
「シーヤー、ふぇんっ」とあたしが言うと、ガフンちゃんがウンウンうなずき、笑った。
どうやらそれが彼女の名前のネイティブな発音らしいとわかるのは後のことになるが、意味がわからなくても何かが伝わり合ったような気がして、あたし達4人は笑い合った。
ガフンちゃんが自分の名前を書いたページを開いたまま、あたし達にノートを差し出して来た。シャーペンも一緒に渡して来る。ああ、これはあたし達の名前もここに書けということだな、とすぐにわかった。
ガフンちゃんの名前を囲むように、3人それぞれがノリノリで名前を書いた。
『潤虎茂子』
『漆原舞』
『須々木有紗』
それを見てガフンちゃんが「ざまぁねぇ!」みたいなことを喋った。
「ん? 今、ざまぁねぇな、って言ったのか?」と、ウルちゃん。
「まさか。台湾語で何か言ったんだよ」と、マイちゃん。
「なんて読むの? って聞いたんじゃない?」と、あたし。
読み方を教えてあげた。すると嬉しそうにそれをたどたどしく、彼女が聞こえた通りに繰り返してくれる。
「う……うりゅとりゃ、もうこ……」
「猛虎か……。カッコいいな」ウルちゃんが腕を組んで満足そうに、うなずいた。まぁ実際、苗字潤虎だしな。
「う……うっしー、ばーらー、まい」
「牛か……。確かにマイは中学生にしては牛っぽいもんな」ウルちゃんがマイちゃんの胸を見ながら、言った。
「もー」とマイちゃんが胸を押さえて隠す。
そしてあたしの名前を読んだ。
「す……すき……。Alissa!」
「愛の告白みたいだな!」
ウルちゃんがふざけて抱きついて来た。
「す、好きーーー、有紗!!」
「ぎゃー! やめれー!」
あたしが気功拳を放つと、ウルちゃんが吹っ飛んで行った。
4人で声を揃えてあっはっは!と笑った。
1人で廊下を歩いていると、谷くんとすれ違った。
「よう。変な名前のススイさん」
「その呼び方やめれ」
「日本人を代表して台湾に恩返し乙~」
「なんだ、それ?」
「え! 知らんの!? 東北大震災の時、台湾は世界で一番多くの義援金を日本に送ってくれたんだ。てっきりその恩返しをしてるんだと……」
「関係ないわい」
こいつにガフンちゃんの非現実的美少女のあの素顔を見せてやりたいと思った。きっとこいつの態度は激変する。
「え~? そうなんだ~? ただのお節介だったんだぁ~?」
谷くんにそう言われ、あたしの歩く足が止まった。
「お……お節介……?」
「見てるとあまりにも構いすぎだよ。ガフンちゃんもきっとうざいって思ってるよ」
あたしは黙ってしまった。
確かに髪をかき分けたのはやりすぎだったと思ったし……。
「日本人って親切で優しい自分を見せびらかしたいんだなって思われてるよ、きっと。いい加減にしといたら? アハハハ!」
そう言い残して谷くんは教室に入って行った。
そうなのかな……。
あたし、お節介な子だって、思われてるのかな……。