金曜日
あたしの家がやっている旅館では、朝食はお客さん全員に大広間に集まってもらい、みんなで食事をとる。
あたしが大広間に入って行くと、みんなが土壁を背にして座布団に座り、真ん中におおきな畳の空間を開けて、並んでごはんを食べていた。
今の時期、国内のお客さんよりも海外からのお客さんのほうが多い。みんな浴衣姿で、江戸時代の日本人になった気分なのか、楽しそうだ。
カクさんがあたしを見つけて笑顔をくれた。
あたしは登校前の制服姿で、静かに畳の上を滑るように駆け寄る。
「アリサさん、おはようゴザいます」
「カクさん、おはよー」
浴衣姿のカクさんの隣に座り込み、
「ねえ、お願いがあるんだけど……」
お願いをする時用のかわいい声をあたしは出す。
「なんでショウ?」
「今度の土曜日……、あ、もう明日か! 3人だけじゃなく、たぶん20ぐらい友達来ることになっちゃって……」
「それは楽しそうですネ」
「でね。みんなフェニーちゃんとお話がしたいって言うんだけど……」
「いいですヨ」
カクさんは快く笑ってくれた。
「みんなとフェニーちゃんがお話しするお手伝い、しまショウ。私、通訳やりマス」
「ありがとーっ!」
カクさんの腕に思わず抱きついた。
そのはずみでカクさんが口に運ぼうとしていた魚の肉がぽろりと落ちる。
「あっ! ごめんなさい」
あたしは慌てて真ん中の畳スペースに準備してある布巾を取りに行くと、戻ってこぼれた魚の肉をつまみ取る。
「私も月曜日には台湾へ帰りますのデ」
布巾を持つ手が止まる。
カクさんの顔を見上げた。
お饅頭みたいな優しい顔が、そこで微笑んでいた。
「そっか……。もうすぐ二週間になるんだ」
「最後にアリサさんのお友達みんなに囲まれて、賑やかな思い出を作れて嬉しいですヨ」
「ありがとう」
あたしはいっぱい言いたいことが溢れて来たけど、それしか言えなかった。
「ありがとうね、いっぱい……。カクさん」
「まだ今日含めて4日もありますヨ」
「何かお礼がしたいな。何がいい?」
「じゃ、いつか台湾へ遊びに来てくだサイ」
「うん!」
「私が……フェニーさんも、生まれて育った国を、アリサさんにも見せたいデス」
「あたしも行きたい!」
そう思ったらめっちゃ笑顔になってしまった。
「絶対行く! その時は案内してね!」
「もちろんですヨ」
カクさんも楽しみにするように笑ってくれた。
「また、絶対に会いましょうネ」
実はこの約半年後、カクさんはまたうちに泊まりにやって来ることになるのだが、この時は長すぎる別れになるものとしか思わず、つい涙をぽろっとこぼしてしまった。
「ところで、このお魚は何というですカ?」
カクさんがお膳の上の焼き魚を指して聞く。
「トビウオの塩焼きだよ。おいしいでしょ」
「あっさりして、とても美味しいデス」
そう言いながら、トビウオの羽根のような胸ビレを箸でつまむ。
「初めて食べまシタ。これは忘れられない思い出になりマス」
「じゃ、土曜日、よろしくね。みんな楽しみにしてるから」
「私も楽しみにしていマス」
カクさんの笑顔はかわいい。
ちょっとだけアンパンマンに似てると思った。
「じゃ、学校遅れるから、行くね。ばいばい」
「行ってらっシャイ。ばいばい」
あたしは走って大広間を出ると、そのまま玄関に向かい、カウンターのお母ちゃんに元気に言った。
「行ってきまーす! お母ちゃん、ありがとう!」
「こっちこそお客さん連れて来てくれてありがとうだよ」
お母ちゃんは貫禄たっぷりの顔を優しく笑わせた。
「みんなによろしくね。行ってらっしゃい」
昨日、お泊まり会の話をすると、お母ちゃんは喜んで大部屋を使わせてくれると言ったのだった。思った通りさすがにタダとは行かなかったけど、一部屋通常三万三千円のところを二部屋一万円ポッキリにしてくれた。20人で割れば1人500円の負担だ。その代わりあたしは準備も片づけも手伝い、みんなにもある程度は協力してもらうことになった。
出るのが少し遅れたので、小走りで学校へ向かうと、角を曲がったところで、あっちから芸能人みたいにかわいい女の子が制服姿で歩いて来るのが見えた。フェニーちゃんだ。
「フェニーちゃぁーん!」
あたしは手を振った。
「足、大丈夫?」
「オォ~ウ! Alissa!」
フェニーちゃんも手を振り返してくれた。
「ゴハン、食ベタヨ」
傷はどうやらそんなには深くなかったみたいだ。でもまだ足をひきずってはいた。画鋲が刺さったのは足先のほうだったので、右足だけ踵で歩いてる。
「ほら、掴まりなよ」
あたしが肩を貸すと、フェニーちゃんは「さんきゅ~」と言って、そこに掴まって来た。
学校に着いて、上履きに履き替える時に、ちゃんと上履きの中を確認してあげなくちゃ。
谷くんかどうかは自信がなくなって来たけど、これ以上フェニーちゃんへの嫌がらせやいじめはこのあたしが許さない。




