谷逃走
「たァ〜にィ〜……!」
あたしが鬼の顔で近づくと、谷くんはいつもの嫌味な笑いを浮かべた。
「やあ、どうしたんだい、怖い顔をして? スージー・スー」
「あたしの名前はスージーじゃねえ。ススイでもねぇ。須々木有紗って可愛い名前があんだよボケ」
「ははは! 他人のことボケっていうやつがボケなんじゃないかなあ〜。ボンジュール!」
あたしは谷の机に紙きれをバン!と叩きつけた。
『台湾猿 GO HOME!』と大きく赤い太文字で書かれたその紙を見ると、谷の顔色が変わった。
「……これは?」
「なんでこんなことすんの? 谷くん」
「俺じゃねーよ」
悪魔みたいな目で睨んで来る。
「あんたじゃなけりゃ誰だって言うのよ?」
「ひでーな! 俺がこんなことするやつに見えるのかよ!?」
「あんたしかいないでしょーよっ!」
あたしはつい声が大きくなってしまう。
「日頃こういう意地悪してる人なんて、うちのクラスにはあんたしかいないっ!」
後ろからフェニーちゃんが心配そうにやって来た。今日は黄色いリボンのついた自分のヘアピンで前髪を横に分けている。
フェニーちゃんが来たのを見ると、谷はあからさまに顔をそむけた。悪いことをしたことを隠すやつの表情で。
「日頃の行いが悪すぎんだよ、てめーはよ」
ウルちゃんが言った。
「そーよ、そーよ」
マイちゃんは言葉は少ないながら目つきで威嚇する。
「憐憫、愛憐、ししゃもやん」みたいなことをフェニーちゃんが、みんなを宥めるような手つきをしながら言った。
「俺じゃねえ! 誰がしたんだ、こんなひどいこと!」
谷はあくまでしらばっくれる。
「いつもお前がしてるだろーがよ!」
あたしは谷の頭をぴしゃりと叩こうとしたけど、やめた。ばい菌つきそう。
あたしに叩かれると思ったのか谷は、頭をすくめた。顔が泣きそうだった。
「……なんで俺がそんなことすんだよ!?」
「いじめてたガフンちゃんが急に人気出たから妬んだんでしょ? あんたクラス1の人気者だって自分で思ってそうだけど、単にクラス1のお調子者なだけなんだからね!」
「いっ、いじめてねーよ!」
「髪の毛ひっぱったでしょーが! 貞子だとか言ったでしょーが!」
「おっ……俺は……っ!」
「タイワン・ユェン、ゴーゥ・ホゥム……」
フェニーちゃんがゆっくりと紙に書かれた赤い文字を読んだ。
みんなが振り返る中、フェニーちゃんはゆっくりと谷くんに歩み寄ると、顔をくっつくぐらい近づけた。
「ふわ……ふぁわわ……」
谷くんが怯えるような声を小さく漏らす。
フェニーちゃんは谷くんの顔をしばらくじっと見ていたかと思うと、急ににっこり笑って、ピンク色の唇を動かし、言った。
「うぉー、しゃんしん、にー」
中国語でそう言ってから、英語で言い直した。
「I believe you」
「えーーー!!?」
あたし達は3人揃って声を上げた。
「信じちゃダメ、フェニーちゃん!」
「絶対コイツだって!」
「そんなに近づいたら変な菌うつるよっ!」
谷は、はわはわと口を震わせると、急に立ち上がり、背を向けると、ダッシュして教室を出て行った。
「あ!」
「逃げた!」
「やっぱり怪しい!」
追おうとするあたし達を引き止め、フェニーちゃんがスマホに何か文字を入力し、あたし達に見せて来る。
中国語を日本語に翻訳したもので、そこにこう書いてあった。
『証拠がない。それで、信じるか、疑うか、それを言うなら、私は信じたいです』
「うっ、うーん……」
「フェニーちゃんがそう言うなら……」
あたし達はとりあえず谷を仮釈放することにした。
「ねー、ねー」
給食を食べながら、マイちゃんが言い出した。
「今度の土曜日、有紗ちゃん家の旅館に私達、泊まるんでしょ?」
「うん。楽しみ?」と、あたし。
「舞の巨乳が生で見られるのがあたしは楽しみ」と、ウルちゃん。
「2人とも……なんか忘れてない?」
「え?」
「は?」
「ぱっ?」とフェニーちゃんが言った。
「10月……30日だよ?」
マイちゃんはぽつりとそう言って、寂しそうに豆ごはんを小さな口に入れた。
「あ……」
「ああー!!」
「アハハハ!」とフェニーちゃんが笑った。
あたしとウルちゃんが声を揃えた。
「マイちゃんの」「舞の」「誕生日だ!」
「タンジョウピ、ダッ!」とフェニーちゃんが後から変なポーズを加えながら言った。
「いつ気づいてくれるかと思ってたけど、結局言わないと気づいてくれなかったぁー……!」
マイちゃんが泣き真似をしながらフェニーちゃんに抱きつく。
「ひどいよぉー! フェニー、慰めて」
フェニーちゃんはマイちゃんの頭を撫で撫でして笑う。
「じゃ、舞の誕生日祝いも兼ねようぜ!」と今さらながらにウルちゃん。
「でも、誕生日、家でやんなくていいの?」と、あたし。
「いいよ〜。パパとママにはもう誕生日の日、お泊りするって言ってあるもん」
「親からプレゼント貰えなくなるんじゃね? 損すんじゃね?」と、ウルちゃん。
「次の日、日曜の夜に家でも祝ってくれるって」
「いいね〜! 誕生日が2日連続だね!」と、あたし。
その時、「楽しそうだね」と、あたしの後ろから声がした。
振り返ると元クラス1の美少女、森野紀伊瑚ちゃんがこっちを見ながら微笑んでいる。
「ごめん、聞いちゃった。須々木さんの家の旅館でお泊り会するんだね。いいな〜」
「あ、うん。あたし、車に轢かれそうになったところをフェニーちゃんに助けてもらったことがあって、お母ちゃんがどうしてもお礼がしたいからって、無料でおもてなししてくれることになって」
「羨ましいなあ」
紀伊瑚ちゃんはお箸を唇に当てながら、笑いながらすねて見せて来る。
「どうせなら多いほうが楽しいんじゃない? いっそクラスのみんなでお泊りしちゃおうよ?」
「えー……。そうしたいけど……さすがにそんなに大勢無料には……」
「お金払ってでもいいよ?」
キーコちゃんの大きな目が楽しそうにキラキラ光る。
「須々木さんの旅館、大部屋とかもあるんでしょ? 男子と女子で2部屋だけ取って、みんなでお金出しあえば、安くつくんじゃない?」
「おお……!」
あたしは身を乗り出した。
「なんかそれ、すっごく楽しそう!」
「でしょ?」
キーコちゃんはウフッと笑った。
「給食終わったら、参加したい人募ろうよ」
「お母ちゃんに相談してみる。もしかしたらみんなのぶんも無料……は無理だろうけど、安くしてくれるかも!」
「なんか楽しくなって来たなー」
ウルちゃんがガッハッハと笑う。
「いいなぁ、舞! クラスのみんなに誕生日祝ってもらえるぞ」
「やん。そんなのいいよぉ〜」
マイちゃんは照れてから、
「でも次の日は公園で動画の撮影だし、なんかビッグな週末になりそうだね」
そう言って楽しそうに豆ごはんをパクッと行った。
「あ、でも谷だけは来させないようにしよう」
「あったり前だろ! 絶対耳にも入れるなよ?」
「いやいや。わざと耳に入れてやって、のけものにして楽しむのがよくね?」
「ダメだよ。耳に入ったら絶対あいつ来るよ! 舞だって谷に誕生日祝われたくないだろ」
「あのさ……。主役はあくまでガフンちゃんだからね?」
キーコちゃんがそう言ってウィンクをする。
「漆原さんの誕生日は、言ったら悪いけど、ついでだよ。主役はあくまでも須々木さんのお母さんに招待されたガフンちゃんだからねっ」
楽しそうに笑っていたフェニーちゃんが急に寂しそうな顔になった。
目を潤ませ、お箸をくわえて、呟いた。
「ぶす、ガフン……」




